第3話 お隣さんに世話になる

 翌朝、ベッドで目を覚ますと窓から差し込む日の光から寝すぎてしまったことを悟り、クロードは慌てて飛び起きるが、そこで頭の中で打ち鐘が鳴らされたようにガンガンと痛み、思わず頭をおさえる。

「あっ、起きた?」

 ヘラが扉を開けて、何の遠慮もなく入ってくる。

「なんでまだウチにいるんだよ」

 ヘラは昨晩、クロードが自室のベッドに倒れ込んだのを確認してから、自分の家に帰っていったはずだった。

「あら、そんなこと言っていいの? せっかく寝坊したクロード君の代わりに、朝ごはんの準備をしてあげたのに」

「ありがとうございます、ヘラ様」

 仰々しく頭を下げるクロードであったが、それは本心であった。彼女についていくように部屋を出て、すり切れた黒い絨毯の敷かれたリビングに入ると、すでにテーブルにはライ麦パンとサラダとコップに入った水が用意されており、さらに先に着席している少し猫背の女性の姿があった。

「ごめん、母さん。寝坊しちゃって」

 席につきながらクロードは謝る。

「ヘラちゃんにはお礼を言わないとね。昨日も世話になったんでしょ」

「もう言ったよ」

「言われたっけ」

「駄目じゃない、ちゃんとしなきゃ」

「いや、ヘラがとぼけているだけだから」

「いつもヘラちゃんには迷惑ばかりかけてしまって、ホントにごめんなさいね。私もこの子もしっかりしてないから。せめて私がもうちょっと動けたら良いのだけど」

「いえいえ、お母さんは休んでいて良いんですよ」

 それまでニヤニヤしながらクロードのことを見ていたヘラだが、思いのほか冗談を真に受けてしまったクロードの母の様子に、少し慌てる。

「そうだ。今週末、小麦の畑で踏圧があるからクロードも来てよね。昨日はそのことを伝えるつもりで来たんだけど、それどころじゃなかったから」

「分かった。そういえば畑の方はどう?」

「特に問題はないわよ。お兄ちゃんたちが相変わらず暇そうにしているから、もっと広くても大丈夫なくらいだってお父さんも言っていたし」

「いや、でも朝ごはん食べたらすぐ手伝いに行くよ。今日は配達の仕事は一件しか入っていなくて、遅くても大丈夫だから」

 だからこそ早朝に起きて、朝食の支度をしてから畑仕事に取り掛かろうと思っていたのだが、昨日酒に付き合わされたせいでこの有り様であり、クロードはパンとサラダを口に詰め込むとすぐに外に出ていく。



「おはようございます」

 帰り道でもその上空を通ったが、家を出て山と反対方向に少し歩けば、柵で区切られて整備された茶色の土の畑が見える。まだほとんど芽は出ておらず、中にはまだ種まきが終わっていない場所もある。

「おっ、呑んだ暮れのお出ましか。また吐くほど呑んだってヘラから聞いたぞ」

 ヘラの兄の一人、四男のドゴールが威勢良く声をかけてくる。

「飲まされたんだよ。断ろうとはしたんだけど」

「まあ仕方ないだろう、それが付き合いってもんだ。むしろそういうときに先輩たちにゴマをすっとけば、少しぐらい仕事をサボっていても咎められなくなるからな。有効に使えよ」

「堂々とサボっている人は言うことが違うね」

「今日はおまえも仲間だろ」

 ドゴールは笑いながら言う。

「それに、俺の素晴らしい働きぶりもあって午前中の仕事はほとんど終わっちまったぜ。種まいたところには大体水やりもしたし、去年からずっと壊れていた柵も直した。この後キャベツの豆の選別作業があるけど、倉庫から出さないといけないから午後になるだろう」

「膨大な量の草むしりがあった気がするんだけど、あれも終わったの?」

「さあて、俺はちょっくら昼寝でもしてくるかな」

「終わってないんだね」

「俺みたいなイケてる男に、あんな地味で腰の痛くなるだけの作業は似合わねえ」

「じゃあ、ドゴールはどんなことなら似合うっていうのさ」

「そうだな、どこかのお金持ちのお嬢様と結婚して優雅に暮らすことかな」

「すがすがしいまでに働く気がないね」

「そりゃそうさ。ただ、そんな俺でもなってやってもいいと思うのは、竜使いだな。やっぱり竜を操って空を自在に飛び回る姿は格好良いもんだ。女の子にだってモテるに違いねえ」

「たまに町中で声を掛けられることはあるけど、そういう覚えはないね」

「なあに、おまえももう少し大人びてくれば周りも放っておかないさ。ともかく、おまえはもっと竜使いであることを生かすべきだ」

「郵便配達員になれただけでもかなり生かせていると思っているけどね」

「そうだな。あれはまさしく俺たちの勝利だった」

「ドゴールに何かしてもらったっけ?」

「何度か一緒に詰所まで行ってやっただろ。あのときのことをもう忘れちまったのか、兄弟」

「ああ、街に着いたらすぐ繁華街の方に消えていっていたことは覚えているよ」

「都会が俺を呼んでいたから、それに応えてやったまでさ。そういや、あの子は元気にしてるか。ほら、酒場にすごい美人ちゃんがいただろ」

「つい最近、名家の長男からの求婚を断ったらしいよ」

「ほう、ということは俺にもチャンスがあるな。むしろチャンスしかないと言える」

「言えないと思う」

「夢を見るのは自由だろ。この世に生を受けたからにはな」

「夢ねえ」

 そこでクロードはため息をついた。

「どうした少年、憂鬱な顔をして。何か悩みごとか?」

「別に、なんでもないよ」

「おまえはもう少し感情が顔に出ないようにするべきだな。そんでもって大人の駆け引きってやつを覚えないといけねえ。正直なところ、あんな愚直な頼み方で聞いてもらえたのが驚きだったぜ」

「見苦しかったのは分かっているよ」

 クロードは自分の行動を思い出して、苦笑いしてしまう。

 この国の郵便配達員というのはそう簡単に就ける職業ではない。そもそも竜を手に入れるには、野生の竜などまず居ないことから、誰かから譲り受けるか購入しなければいけないのだが、とても一農家が買えるような代物ではない。それなりに良い竜を手に入れようとすれば、最低でも家一軒分ほどのお金もかかり、実際竜使いと呼ばれる人でも竜を自前で飼っているのはごくわずかだ。クロードが所属している詰所の配達員でも自分の竜を持っているのは、クロードを除けば二、三人しかおらず、それも自分専用ではなくその家の所有するものとされている。さらに仮に竜を所持していたとしても、竜に関わる仕事はほぼ全て縁故採用なので、ごく普通の農家の生まれのクロードが頼れる筋などあるはずがなかった。

 それでは何故そんな彼が配達員になれたのかといえば、ひたすら配達員の詰所に行って拝み倒したからである。毎日詰めかけて、雇ってもらうように頼み込んだのだ。それは毎日家から通うことで竜を乗りこなせることを示す意味もあった。しかしそれでも当然の如く門前払いで相手にされなかったのだが、一か月ほど経ったある日、突然上からの許可が出たとのことで実技のみの入所試験を受けるように言われ、それにどうにか受かって働くことになったのである。

「でも、そういうところがおまえの強みだと俺は思っているぜ」

「強み?」

「ああ。おまえはちょっと気弱で引っ込み思案なところがあるが、決めたことは断固としてやり遂げようとする意志がある。ちゃんとした一本の芯が通っているって感じだ。だからおまえには結構期待しているんだぜ、クロード」

 そんな風に言われるとどこかむず痒さを感じさせられるが、素直に嬉しかった。

「なんたっておまえがすげえ奴になれば、俺もそのおこぼれにあずかれるからな」

「そんなことだろうとは思ったよ」

「さあて、今日はもう十分働いたから街に繰り出すとするか。そうだ、街まで送ってくれよ。竜で飛んでいけばすぐだからな」

「いや、さすがにこのままサボるわけにはいかないよ」

「いいじゃねえか、たまにはよ。おまえなんか毎日仕事ばかりで全然遊んでねえだろ。日が沈んでからの方がずっと楽しめるが、この際構わねえ」

 ドゴールはそのままクロードを引っ張っていこうとするが、そこで「おい、クロードを連れてどこに行くつもりだ」とそれを咎める声が飛んできた。

「げっ、親父」

 いつのまにか近づいてきていたのは、険しい顔をしたヘラたちの父親であった。

「やっぱりおまえが一番遠くまで逃げていたな。このままじゃ夜になっても終わらねえぞ」

「嫌だ、かわいこちゃんたちが俺を待っているんだ」

「馬鹿なこと言ってねえで、さっさと仕事に戻りやがれ」

 そう言って容赦なくドゴールの背中を蹴り飛ばすと、ドゴールは逃げるように畑の方へ走っていった。

「すみません、寝坊した上に呑気に喋ってしまっていて」

 クロードは少々怯えながら謝るが、父親は「いや、話はヘラから聞いている」と自分の息子に対するときよりも遥かに優しく答える。

「畑の手伝いなんて繁忙期と俺が頼んだときだけでいいんだ。一応、畑はおまえの母親からウチが貸してもらっているわけで、ちゃんと出来高分の報酬は受け取ることになっている。ただでさえウチは労働力が余っているからな、丁度良いぐらいさ」

「それはそうかもしれないですけど」

「おまえはまだ子どもだ。何もかもを背負わなくていい。もし将来農家としてやっていくというのなら、そのときはちゃんと貸してもらった土地は返すつもりだし、困ったときは俺やバカ息子どもを頼れ。そもそも、おまえは竜の郵便配達という誰にでも出来るものではない仕事を立派にこなしているだろ。息子どもよりもよっぽど優秀さ」

「運が良かっただけです。竜を手に入れられたのも、懐いてもらえたのも、特別に雇ってもらえたことも」

「おまえがそう思うならそれでも良い。ただ、頑張りすぎておまえまで倒れてしまったら元も子もないからな。それだけは覚えておいてくれよ」

「はい、ありがとうございます」

 クロードは深く頭を下げる。

「そうだな。でもせっかく手伝ってくれるというのなら、仕事に出かけるまで息子どもと一緒に草刈りをやってもらおうか」

 ヘラの父親はそう言って歩き出すので、クロードもそれについていく。

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