第2話 少年は幼馴染に慰められる
「大変なことぐらい、僕だって分かっているさ。あんなおっさんたちに言われるまでもない」
月明りに照らされる中、それほど高くもない空をクロードは飛んでいた。ただ普段とは異なり、背を丸めてだらりとした様子で月の光に照らされるその背中に寄りかかるように乗っており、どちらかといえば乗せられていると言った方が適切であった。
「分かっているさ。無謀で、馬鹿で、夢見がちなことぐらい。でもさ、でもだよ。それでも、おまえと一緒ならなんだって出来るような気がしたんだよ。いや、今だって思っている。オーヴィーだってそう思うだろ?」
するとオーヴィーは赤ら顔のクロードの身体に染み渡るようなソプラノで鳴き、長い首を後ろに向けて彼の身体に懐っこく寄り添わせる。
「毎日空いている時間に練習もしているし、おまえが速度をあげても落ちそうになることもない。この調子なら秋のレースのときには良い感じになっているはずさ」
街の明かりもとうに見えなくなっており、さらに山の麓の方に飛んでいくと、まもなく石造りの小さな民家が見えてくる。そしてその手前の畔道では、クロードと同じくらいの年の女の子が彼らのことを見上げていた。
「遅いじゃない、クロード。一体何してたのよ」
オーヴィーがゆっくりと着地すると、彼女は駆け寄ってくるが、すぐに「うわっ、酒くさ」と顔をしかめる。
「ん? なんでヘラがいるんだ」
「ひどい酔っぱらいようね。もう家の前よ」
「酔ってなんかないって、うえっ」
クロードはオーヴィーの背中から降りて歩き出そうとするが、すぐに気持ち悪くなる。
「ちょっと大丈夫?」
ヘラはよろめいたクロードの身体を支える。
「ごめんね、オーヴィー。こんなになったクロードを運んでくるの、大変だったでしょ」
彼女はもう片方の手でオーヴィーの首を撫でるように触る。するとオーヴィーは嬉しそうに彼女の顔にも頬をこすりつけてじゃれつく。
「大変なんてことはない。なんせこいつは竜征杯で優勝する竜なんだからな」
「竜使いってもっと誇り高くてすごい人たちだと思っていたんだけどな。でもクロードの様子を見ていると、あまりそうは思えなくなってくるのよね。詰所の人たちも毎日朝まで吞んだくれているみたいだし」
「尊敬できるような人なんて、あそこには一人もいないよ。皆そこそこの竜使いの家系の次男や三男なんかで、ただのコネで入っているんだから竜使いとしての誇りなんて無いのさ。必ずしも竜に乗りたい人が乗っているわけじゃない」
「でも、あなたは違う。そうでしょ」
「それは、そうだけど」
「あら」
ヘラが首をかしげる。
「いつもならもっと意気揚々と言うじゃない、自分は彼らと違って立派な竜使いになるんだって。何かあったのね」
「別に、何もないさ」
「私をごまかせると思う?」
「思わないけど、なんだっていいだろ」
「これは思ったより重症ね。おそらく全治三十分ぐらいかしら」
付き合いが長いだけあって、クロードがへそを曲げていても彼女はあっさりとしている。
「それで」
それからヘラは聞き直すと、クロードはやがて「やっぱり無謀なのかな」と素直に弱音を吐き出した。
「竜使いや竜征杯のことをよく知らない私でも分かることね。そもそもいくら配達員の給料が良いとはいえ、参加費だって馬鹿にならないんでしょ。淡い夢を見たいがために、大枚をはたくつもり?」
竜征杯に全ての竜使いが参加しない理由の一つとして、出場するだけでお金がかかることもあり、それは普通の農村や街で働く人たちの給料の半年分ほどにもなるという。何故そんなに払わなくてはならないのかといえば、竜征杯は全土に渡る大規模な大会であるため、各地に審判員を派遣して中継地点を設置し、また救護班も準備させておくなど何かと運営費がかかるのでその負担のためであり、さらには安易には参加できないようにすることで出場者を絞る意図もあった。国土の広さに対して渓谷や樹海、山脈などの人がほとんど住んでいない場所も多く、さらには竜使いの数も限られてはいるが、それでも国中から猛者が集まり出場者は毎回数百人にのぼる。
「やってみなければ分からないことだってあると思うんだ」
「なにも今回、無理に出場しようとしなくてもいいじゃない。せめて出場する名家の方々に目をつけられるぐらいの実力をつけて、一緒に飛ぶように誘われるぐらいになってから、また考えればいいのではないかしら」
「そんなに待っていられないよ。次は早くても五年後なんだよ。それに今回は選挙の年で、優勝の重みが段違いだ。実際、名前が王都にある石碑に刻まれるのは選挙と被る年だけだからね」
「そういうところは一丁前にこだわるのね」
「だって本当の一番にならないと意味がないだろ」
「そんなだから、詰所の人たちに馬鹿にされるのよ」
ヘラは呆れ交じりにため息をつく。しかし彼女はさらに言葉を続ける。
「でもあなたは全部分かり切った上で、目指しているのでしょ。だったら、私も含めて他の誰に何と言われたって気にすることないじゃない」
「それも分かっているさ。だからこそ、ちょっと言われたぐらいで凹む自分が情けなく思えるんだ。オーヴィーはいつも頑張ってくれているのに」
「ふうん。じゃあやっぱり、もっと練習して上手くなって、それこそ誰にも負けないぐらい強くなるしかないじゃない。じゃないと参加する意味もないのでしょ」
クロードは顔をあげてヘラを見る。ヘラは毅然とした様子だった。
「確かに、その通りだね」
「ええ、そうでしょ。お姉さんはいつも正しいんだから」
彼女とクロードは同い年だったが、クロードに対して姉のように振舞うことが多々ある。彼女自身はむしろ五人兄弟の末っ子だが、四人の兄たちよりもずっとしっかり者であり、一方でクロードは一人っ子で意地っ張りながら内気なところがあり、幼少期はいわゆるお隣さんであるヘラの背中に隠れることも珍しくなく、だからこそ今でもそんな関係が続いている。
「そうだね。ありがとう、ちょっと元気出たかも」
「酔ってない時もそれぐらい素直になればいいのに」
ヘラは少し嬉しそうな顔でクロードの背中を叩くが、するとクロードは「うっ」と呻くと一気に青ざめる。
「あっ、ごめん」
クロードは口元に手を当てながらおぼつかない足取りで林の方に向かう。
しかし、そこでオーヴィーが林の方に顔を向け、突然低い声で鳴きだした。
「どうかしたの?」
ヘラもオーヴィーが意味もなく鳴き出すようなことはしないと知っている。オーヴィーはふらふらと歩いていたクロードをその短い足で小走りに追いかけると、彼を背負うように立った。
「ん、何かいるのか」
すぐにその意図に気付いたクロードは、翼と身体の隙間から覗くように林の奥を見やる。するとかなり遠くの方の暗闇で何やら蠢くものが見えた。さらにバサバサと翼をはためかせるような音が聞こえると、木々の枝葉がざわめくように揺れる。
「鳥かしら」
「それにしては大きな音だったけど」
「もしかして野生の竜だったりして」
「真面目に言っているの」
クロードが冷めた目を彼女に向けるのも無理はなかった。今時、野生の竜を目にすることなどまず無い。そもそもこの国を作った人間たちとその末裔が竜使いの民と呼ばれる所以は、彼らがこの地方に生息していた竜を手懐けてきたからであり、それはただの共存などといったものではなく、徹底的に飼い慣らしていったのだ。現在少なくともクロードたちが見かけるものは全て、恣意的な交配で品種改良を重ねながら生まれてきた竜であり、それらは人間が扱いやすいように体長は大きくてもせいぜい数メートルほどに抑えられ、その体形もすらっとしていて背中に乗りやすいように滑らかで流線形のものが好まれる。火を吹けるものでさえ今やさほど多くなく、大人になっても喉を酷使しないせいか、美しい声質を持った竜だけで結成された合唱団さえある。そんなわけでこの国では、竜は戦いの際に駆り出す兵器であり、物資の輸送を担う家畜であり、さらには人々に親しまれる愛玩動物でもあった。
「でも、まだどこかにいるかもしれないでしょ。ほら、もしかしたら例の伝説の竜だったりするかもよ」
「いや、そっちの方がありえないから。そんなのがいたら今頃僕の家なんか木っ端微塵だ」
「それぐらい私だって言われなくても分かっているって。でも、こうやって話していれば気が紛れるでしょ」
「いや、全く。むしろ気が抜けたら、気持ち悪さがぶり返してきた」
クロードはオーヴィーの横を通り抜けて茂みに入っていく。
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