第8話 クビ
「とにかくだね、君のせいで朝から電話は鳴りっぱなし、メールも届きっぱなしなんだよ!」
俺は今、沸騰してシュポシュポ鳴ってる真っ赤なヤカンと向き合っていた。知ってる知ってる、俺もさっき素知らぬ顔でクレーム対応したもん。「あの男は本当に社員なのか?」とか、答えられるわけねーだろ。「この人殺し!」いや、そんな要素は流れのどこにも無かったよな? 「こんな会社、潰れてしまえ!」俺もそう思う。
俺の逃亡は未遂に終わった。予めこちらの行動を予想していたエージェントに捕まり、半ば無理やり会社へと連れてこられたのだ。もはやこれまでと大人しくお縄につき何食わぬ顔でいつもの業務をこなしていた俺の身柄は、しかしお白州へと引きずり出された。
「社員全部を張り付けても対応が追いつかないんだよ! これでは業務なんて無理だ!」
社長は怒り狂った。こんな説教してる暇あったら電話の一本でも受けろよ、なんて正論が霞んでしまうほど怒り狂った。
「君は、嘘をついて私の結婚式をサボりダンジョンへ行き、そのことで我が社に被害を与えた。分かっているのかね!?」
サボりも何もお前の結婚式なんて出る予定
「そもそもだね、冒険者といえば聞こえはいいが実質チンピラかヤクザ、反社だよ。我が社の社員として恥ずかしくないのかね!?」
おおよそ魔導技術関連会社の社長が口にしてはいけない言葉がポンポンと飛び出してくるが、何を言っているのか本人も自覚してないんだろうなあ。こういうとこだけ意見が一致するのが悲しいぜ。
俺の身元が特定されてからこっち、会社にはリアル、ネットを問わずに突撃が繰り返され、業務に重大な支障をきたしているらしい。そんなもん片っ端から通報してぶち込めよと思うんだけど、個人客も相手にしている手前そう簡単にはいかないんだろう。ただでさえヘイトを買いやすい商売だから難しいところではあるが、冒険者人気なら断固とした対応の方が受けると思うぞ。あいつらルールに則った暴力大好きだからな、ルール外の暴力はもっと大好きだけど(振るう方限定)。
「君はこれだけの事態を引き起こしておいて、まだしらを切るのかね!?」
だって別人だもーん。
話の長さに比例し社長の顔もどんどん赤く、いや赤さを超えてどす黒くなっていく。もちろん会社には悪いとは感じてるんだよ。だがこのボンボンの前に立つと謝罪の心も雲散霧消してしまう俺の気持ち、分かるだろ? むしろ今は、どこかに存在しているであろう別の容疑者さんたちに申し訳ないと思っている。似たような背格好のメガネでオールバックなんて珍しくない、冤罪を吹っかけられて被害を被っている誰かが出ていなければいいんだが、浜の真砂とネット狂人は尽きることがないからな……。
「聞いているのかね、穴守君!!」
社長は怒った。クレーマに怒る代わりに俺に怒った。午前中全部を使って怒った。いやまあそりゃ怒るだろうなって話だしそこはいいいんだが、怒ると同時に嬉しさが隠せてねーんだよな。本人は気づいてないんだろうけど口の端を上げて鼻の穴は広げて、俺をいたぶるのが楽しくて仕方ないって表情だ。口では冷静で理論的なつもりでも顔は正直だな!
社長の話はとどまるところを知らず、暇を持て余した俺の脳内には他愛ない戯言が浮かんでは消えていく。なんというか、コイツの小物臭ってちょっとしたことで激怒する堪え性の無さが大きいよなあ。ナリは悪くないしコネで地位まであるんだから、もう少し落ち着くだけで勝ち組間違いなしなんだけどな。怒るにしてもさあ、声を荒げるんじゃなく重みのある感情表現でもしてくれたら威厳の一つも出てくるだろうに。なんて考えながら説教を聞き流す。いや、実際にはアドバイスなんてしないよ? 嫁に消されるので……。
だが、思えば社長だって昔はこうじゃなかったのだ。ナチュラルボーン小物ではあったが、こんなふうにオモチャをいたぶって悦ぶ変態ではなかったのだ。弟である会長の四男が別の子会社を大成功させ、本社へ栄転を果たした辺りから感情的になることが多くなったのは気のせいではないだろう。声を荒げ、無理な事業計画による残業も増えて……そういえば、ちょうど先輩との距離が急接近したタイミングとも重なるな――俺は考えるのを止めた。
「全く、浜川くんたっての願いを聞いて入社させてやったというのに、恩を仇で返されるとはね!」
そう、俺達は結局、あの女の被害者と言える。だが恐ろしいことに、俺個人、社長個人で言えばあの女が大いにプラスになっているのも事実だった。俺はそれ以前から十分に強かったが、しかし先輩と出会って確実に一、いや二段は腕を上げた。この会社だって業績は極めて順調だ。可愛い嫁さんを貰って仕事も充実、絵に書いたような成功した若手社長、スカし抜いたエリート――ひと目見たときから気に食わなかった男だが、一番の被害者と考えると手を合わずにはいられない。
「そもそもだね、君はひと目見たときから気に食わなかったんだ!」
気が合うなオイ。
もっと違う出会い方をしていれば、俺達は違う関係になれたのだろうか。毒婦に蠱毒へ投げ込まれず、普通の社長と社員であれば、俺がコネ入社でなく真っ当に採用されていれば――いや、これは物理的に無理だな。
手を変え品を変え表現を変えて罵っていたのも最初の1時間だけ、あとは同じ話を延々と繰り返す不気味なBotと化した社長は、休憩も挟まずに単独ライブを続けた。持ち歌の少ない新人アイドルよろしく同じ歌を歌ってばかりだがテンションは上がる一方で、頬を上気させ、息はより荒く、目元は昏い歓びに歪みねじ曲がった。
(さすがに、ここまでだな)
こんな顔をされてしまえば、もはやどうしようもない。事故とはいえ俺から出た錆だ、大人しく叱られるつもりだった。社長の気が済むまで説教に付き合って、しばらくは大人しく仕事に打ち込むつもりだった。なんなら反省の印としてダンジョンも当面はお休みするに
だが、全ては終わった、終わってしまったのだ。俺はその言葉を待った。午前中全部使って待った。歓喜のリサイタルが長すぎて俺の引越し先妄想選手権がついに海外編に突入したころ、社長はようやく言った。
「穴守君、キミはクビだ!」
「お世話になりました」
「……は?」
社長は何故か固まっているが、驚くような要素があったかね? ま、最後くらい礼はしてやるさ。俺は深々と頭を下げると踵を返し、ようやく正気に戻ったのだろう社長が何やら喚き立てるのを背中で聞きながら退出した。さらば、ふかふかの絨毯。お前の踏み心地、嫌いじゃなかったぜ。
先生に帰れと言われてほんとに帰っちゃう小学生みたいだなと考えながら自分のデスクで荷物をまとめていると、申し訳無さそうな顔の浜川先輩が現れた。
「ごめんねえ、私も止めたんだけど怒りようが酷くて」
「仕方ないですよ、結婚式を嘘ついてサボられたわけですから」
あと
んーなわけあるかっつーの。
「一晩寝れば忘れると思うから、ね?」
「いえ、大丈夫です。これまでお世話になりました」
「……本当に辞めちゃうの?」
「なんつーか、さすがにもう無理ッスね」
「そう……」
先輩が珍しく悲しそうな表情をするが、それも一瞬だった。
「で、どうする? 復讐する?」
そんな期待の籠もった目で見ないでほしい。お前は俺に何をさせてーんだよ。
「……いや、止めときますよ。なんだかんだ言って、あんな状態だった俺を拾ってもらったのは感謝してますし」
そう、女のケツに目がくらんだとはいえ、名の通った大手の子会社にこんな学歴も職歴もない男を採用し、いままで粘り強く育ててくれたのは感謝してるんだ。自分の社会人適正に半信半疑だった俺だが、おかげで真っ当にやっていけると自信がついた。冒険者なんて長く続けるもんじゃない、安心安全安定な生活こそが正義。今の俺なら、きちんと社会人が出来るはず、次の勤め先もきっと見つかるはずだ。会社にはいくら感謝しても足りない、ただマイナスが大きすぎたってだけ。
「そう……残念だわ」
この女が何について残念がっているのか気になったが、恐ろしくて俺には尋ねることが出来なかった。
「一つ心配なのは、俺が退職して別の誰かがサンドバッグ役になりやしないかってとこですよ」
「そうね、新しいオモチャを考えておかないと」
人をオモチャ扱いするんじゃねえ。
「それと、この忙しいのに抜けてしまって」
「ああ、それは大丈夫。穴守君の仕事量ならどうにでも埋められるわ」
アマァ……。
「会社は別になっても、私達は友達よ。また食事でも行きましょう」
「いい加減ダンナのヘイト煽るのに俺使うの止めてもらえますかね……」
俺は顔を歪め、先輩が手を握るままにさせておいた。これ盗撮されたら俺の罪状に新婚の社長夫人との不倫が追加されるな……。
私物は持ち込まない主義なので、通勤用の鞄とコンビニの袋だけで荷物は纏まった。事情を察しているのか、声を掛けてくる奴はいない。新人は社長を恐れて話に首を突っ込まず、ロートルはやり過ごす術を知っているから生き残っているのだ。だがそれはお互い様、恨んだりなんてするわけがないし、それでいい。後輩たちは皆可愛いし、他の生き残り達とは戦友のような雰囲気になる。お互いちらりと視線を交わす、それで十分だ。こんなブラックな会社だが、このご時世に選り好みする余裕のあるやつなんてごく少数だ。俺は失敗したけどよ、お前らはしっかりしがみつけよ。
それで言えば、小田が外回りに出てて助かったぜ。アイツはまだうちの雰囲気に染まりきってないからな、退職理由を根掘り葉掘り聞かれたり義憤にかられて社長へ抗議されたらたまらない。おい、小田、もう少し賢く生きろよ。あとあの女には絶対捕まるんじゃねえぞ。
フロアを見回すと、流石に胸に来るものがあるな。外面だけは完璧の、広く清潔で明るいオフィス。思えば色々なことがあった。希望に胸を弾ませていた初出社、社長の初説教、初残業、先輩の婚約発表、説教、休日出勤、残業、次々と消えていく同期たち、説教、説教、残業、説教――よし、これ以上は止めよう。
俺は万感の思いを込めてフロアに一礼すると、最後に言った。
「あ、きちんと会社都合でお願いします」
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