第3話 魔眼


「浜川先輩よぉ~、あのクソボンボンどうにかしてくれよ~」

「コラ、穴守あなもり君。日枝にちえだ社長、でしょ」


 社長室から戻るなり、俺は斜向はすむかいの先輩に泣きついた。いや、抗議の声を上げた、か?

 

 昨日は俺の欠席に社長がさぞ怒り狂ったんだろうな、他の連中は出社タッチアンドゴー外回りをきめ仲良く空席だ。流れを読んで社長の怒りを避けられないとこの会社では生き残れない。今回は事前モーション盛り盛り、見て回避余裕だったろうさ。


「結婚してちったぁ大人しくなると思ったらいきなりこれだぜ、きちんと尻に敷いといて下さいよ」


 どかりと椅子に腰を下ろし背もたれをギコギコ揺らして口を尖らせた俺を見て、先輩はいつも通りに微笑んだ。そう、この黒髪をひっつめたメガネ清楚系一般女性会社員が、目の前の女こそが俺の職場の先輩にしてあの瞬間湯沸かし器の新妻、浜川千鳥なのだ。


「っていうか、なんで昨日の今日で出社してるんです? ハネムーンにでも行ってくりゃいいじゃないですか、二、三年くらい」

「プロジェクトの大詰め何だもん、無理だよ」


 なら結婚式なんかしてんじゃねーよ。


 このクソ忙しい時期の貴重な休みを潰され、そのうえ上納金まで搾り取られる。俺はサボったからいいが、他の真っ当な社員一同は怒り心頭だろう。だが、先輩にとってそんなものはどこ吹く風だった。


「でね、穴守くん。君でしょ? あれ」


 ……。


「あれとは?」

「あの動画」

「動画とは?」

「これなんだけどね」


 先輩はスマホを取り出すと、例のあれを再生した。チッ、めげない女だぜ。


「ここの……はい、ここ。ね、君でしょ?」


 クソッ、きっちりと一番疑わしいフレームで止めやがる! 俺はもちろんシラを切り通しにかかった。


「ハァ……社長に変なこと吹き込んだの浜川先輩ですね? 訳の分からない絡まれ方をしてこっちは大弱りです。別人ですよ別人」

「そう。でも君だよね?」


 こっ、このアマァ……。


 浜川先輩の目がまっすぐこちらに向けられる。俺の全てを見透かすような目だ。


 冒険者は冒険を続けるうちに、特殊な能力に目覚めることがあるという。そしてこの女は冒険者だった。ふと冒険者エクスプローラーズギルドの待合室で隣り合ったとき、この女は言ったのだ。駆け出しの下っ端冒険者丸出しだった、しょぼくれきった俺に向かって。


「君……滅茶苦茶強いでしょ」


 俺がまだ成人する前の話だ。先輩の言う通り、すでに俺は滅茶苦茶強かった。俺の擬装は完璧だった。量販店のチノパンにグレーのパーカー、申し訳程度の胸当て。どこからどう見ても安っぽいチンピラのなりそこね、いつ死んでもおかしくないような駆け出し冒険者だった。あれ、この動画のやつもそっくりな恰好してんな……。


 とにかく、俺の擬装は完璧だった。それまで、俺の力を見抜いたやつは大手クランやギルド職員にすらいなかったのだ。それが、偶然隣り合っただけの、せいぜい同い年ほどの女に見破られてしまうなんて――


 ――だって君、これだけ小物臭が全くしない人は初めてだよ


 この女の特殊能力は、そう――【小物レーダー】。


 そして、この女は、そう――小物マニア。


 小物マニア――俺には全く理解できないが、つまるところ器の小さい人間に対するフェティシズムらしい。その性癖が能力を呼び込んだのか、はたまた能力に人格を歪められてしまったのか……今となっては、もはや確かめるすべもないし、確かめたくもない。きっと誰も幸せにならない。


 先輩はその力を発揮して俺の実力を見破り、結果として俺たちはパーティーを組むことになった。それからもいろいろな事件があったんだが、まあ、それは別の話だろう。ただ確かなのは、この女が超常的な能力――いわゆる【魔眼】を得ているという事実だけだ。そして、それを運用するだけの知能と欲望を持っているということも。


 この、目の前でデスクの前に座り可愛らしいマグカップにコーヒーをくゆらせている、どう見てもごく普通の会社員の女は、魔物だった。いや、もちろん比喩的な意味でだが、物理的な意味だったとしても俺は驚かないだろうね。


「大丈夫、私からも上手く言っておくからね」

「だから、別人ッス……そんなに似てます?」

「ごく親しい人なら確信するかな、くらい? でも穴守君、友達いないから大丈夫でしょう?」


 やかましいわ。


 浜川先輩は自分の直感を微塵も疑っていないし、俺も口では否定しているが顔は正直だ。冒険者として組んでいたときもそうだったが、この眼に隠し事が出来た覚えがない。結局、こうやって事実上の言質を取られるのだ。俺の防波堤は早々に決壊することとなった。


「……参考までに聞いときますけど、動画越しに大小・・って分かるんスか?」


 俺の疑問に、先輩は変わらず微笑むだけだった。ケツの穴がキュッと締まった。


 浜川千鳥、相変わらず恐ろしい女だ。だが……


(……先輩が俺を売ることはない、か?)


 俺の情報は、それはもう高く売れただろう。だが、先輩はそうはしなかった。むしろ露見しそうなピンチを助けてもらったことが幾度もあるくらいだ。俺達の関係は対等ではなく、猿回しとその猿くらいの間柄だったが、それでも先輩が俺の意思を決定的に無視するようなことはなかったのだ。だから長く続いた。


 何だかんだ先輩と組んだお陰で俺は確かに強くなったし、稼ぎだって一桁は増え、しかもコネで会社まで紹介してくれた。頭が上がらない、というよりは上手く使われているだけな気もするが、今更愚痴っても仕方がないだろう。


「そんなに心配しなくてもいいんじゃないかな? あの映像だけなら大丈夫だと思うよ」

「それを聞けて安心しましたよ。ま、何か言ってくるやつがいても知らぬ存ぜぬでいきます」


 俺が一番心配しているのはアンタという存在についてなんだが、しかしこの言葉は心強い。魔眼からは逃げられないが、盗撮動画からは逃げられるんだからな。


(せっかく入った真っ当な企業だ、問題も多いが冒険者に比べれば百倍マシ。こんなチンケな問題で首になることはできねえ)


 俺と先輩のチームは唐突に終わった。ある日、この女は突如冒険者を止めるといい出したのだ。それ自体はいい、そろそろ大学4年、就活に力を入れるのは当然だろう。驚いたのは、あれよあれよという間に先輩がけっこうな難関であろう企業へと就職を決めてしまったことだ。そう、このブラックな内情を知らない哀れな就活生子羊たちからは、うちはそれなりに人気の会社なのだ。ま、あの能力ちからを持ってすればこれくらいは、と当時は軽く考えていた。俺がその真の恐ろしさを知るまで、さらに1年待たなければならなかった。


 俺はこの女の紹介で会社に入った。俺の大学は名前が書けて金さえあれば入れると評判の、まあそういうやつだ。そんな底辺からこのレベルの会社に入れるなんて、奇跡か、あるいはコネかのどちらかだ。そして幸いなことに、女に頼まれ採用を捻じ曲げるバカなボンボンが一人いた。よくあるクソッタレなコネ入社の一人として、俺は会社の門を潜った。そして、真実を知ったのだ。


 なんとこの女、俺との仲を誤解させて社長をき付け、ちゃっかり玉の輿に収まってのけたのだ。最初からそれを狙って俺を入社させたのだ。可愛い後輩をお願いしますと社長に近付き、いい雰囲気になってからは俺と親密なところを見せつけて社長の嫉妬心に薪をべた。焚べて焚べて焚べまくった。先輩は冒険者であることを隠しているが、それは俺も同じだ。俺たちの仲を先輩が話したがらなかったのもまた追い風となって、妬みの炎を煽った。社長の家族からは当然反対にあったらしいが、それすらもスパイスとなって2人に貢献した。社長の鼻の下がだらしなく伸びるのを見ながら考えた、俺はもっと慎重になるべきだった、と。あの推薦は、どう考えても一介の社員がねじ込める範疇を越えていた。最大限に警戒してしかるべきだったのだ。だが、冒険者としての身分を隠して就活するも全滅の憂き目に合っていた俺にとっては渡りに船、地獄に仏だった。俺は先輩に心からの感謝をささげつつ、それに飛びついた。全て、この女の計算だった。あれ、もしかして俺、売られてない……?


 ……この女の作戦は完璧に遂行された。そう、引退を切り出したあの日から、全ては始まっていたのだ。周囲も羨む大恋愛――という名の狩りは、猟師の完勝に終わった。効果が上がりすぎたのか、社長は公私混同で俺に仕事上の嫌がらせをする始末だ。小さい、あまりにも小さい男――だが、それもそのはず、社長は小物界に現れた超新星、小物界最大にして最後の大物、King of 小物、Lord of 小物らしい。先輩はアイツにゾッコンで、アイツは先輩に囚われた。それはあたかも、巨大な女郎蜘蛛の巣に捉えられた可憐なモンシロ……きったない蛾のようなものだった。最近知ったんだけど、こういうの毒婦って言うらしいな。


 なんと恐ろしい女、と長年震えていたが、最近は少し考えが変わってきた。こんな魔性が、会長の三男とはいえたかだか大手業の子会社の社長夫人に収まってくれたのだ。世界の平和と安寧にとって、本当に幸運だった。小物よ、お前が世界を救う勇者になるかも知れないのだ。どんな冒険者でも勝てない、絶対的な魔王を封印する大切な役目なのだ。世界を絶望の淵から救う、ただ一つの手立てなのだ。聞いているのか小物よ!


「穴守君、君という人間は早速仕事をサボって女子社員とおしゃべりなど、そんな暇があるのかね!!」


 俺の呼びかけに応えたのか、小物が現れさっそく小物らしい八つ当たりをかましてくる。小物、小物過ぎて人間に討たれ、結果世界が滅びそうなそうなのが問題だな。いや、先輩なら「それもまた小物、これこそが小物」として美味しく頂いてしまうのだろうか……。


 そう考えると問題は女性関係だ、小物、刺されるような真似だけはするんじゃないぞ! 


 

 そんな下らない心配をしながらクレームのメールに目を通していた俺は、まさか「刺される」のが自分の方だったなんて考えてもいなかった。




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