第2話 呼び出し


穴守あなもり君、社長から呼び出し」

「またっスか……」


 先輩経由でもたらされた毎度のかわいがり通達に、俺は顔をしかめた。クソみたいな通勤ラッシュに揉まれ、やっとこさ会社に着いたと思ったらこれだ。祝日明けの出社一発目、机に座った瞬間クソイベント発生とはね。高尾山ダンジョンで発散したばかりのストレスゲージもあっという間に急上昇だぜ。俺はメールの返信やら朝のラジオ体操やら電気ポットのカルキ除去やらと理由をつけ出頭先延ばしの限界に挑戦した。


 我らがNICIHEDA DSTニチエダ・ダンジョン・サイエンス・アンド・テクノロジー社はダンジョンからもたらされる技術を利用した製品開発を行っている、いわゆる「ダンジョン周辺企業」だ。ダンジョンで使用する製品を扱う「ダンジョン企業」よりも安全でイメージもよく、しかも儲かる分野として大人気の銘柄。よほど景気がいいのか、俺が入社する直前には自社ビルも建った。おかげでフロアはどこもかしこも明るくて清潔、ウオーターサーバーに空気清浄機、マッサージ機まで充実と絵に書いたような一流企業のピカピカオフィスだ。反面、仕事内容はブラックもブラックなんだがな。


 「冒険者に還元せず、美味しいとこだけ持っていってる搾取野郎」との批判も上がっているが、一冒険者としてその気持はよく分かる。ま、上手くやるやつが儲かるのは会社も冒険者も同じってことだろう。ここ十数年で爆発的に成長した領域の、日本で三本の指に入る企業。その子会社がうちだ。そして、親会社の会長の三男、それがうちの社長様だった。


 そんな注目企業のトップが営業職の下っ端3年目に一日と空けず突っ掛かってくるんだから参るぜ。確かに優良社員とは言えないが、こっちだって外回りで靴を擦り減らしながらより良い社員になろうとお互い磨き合ってるんだ。支給品のお高いビジネスチェアー相手にだけど。努力を惜しまない模範的な社員を吊るしてる暇なんてないだろ、無視しといてくれよホント。


「穴守さん、社長から呼び出しッス」


 俺がファストフードの紙ナプキンで3体目の金魚を完成させたタイミングで、頭上から声が掛かった。隣の席の新人、小田だ。この野郎、社長に捕まりやがったな? 


 焼けた肌に長い茶髪、夜の街に放り出せばそのままホストかキャバクラの客引きに早変わりのチャラさ。それもそのはず、コイツは現役バリバリの冒険者だ。そして、客先にうちの商品を売り込むならそんな冒険者っぽチャラさはプラスに働く。あるんだよ、とても社会人とは思えない見た目にだけ宿る説得力ってのがよ。俺も入社してすぐ冒険者証を取らされたからなあ。こんなナリだが空気を読んで先輩を立てることもできる、なかなか見どころのある奴だ。冒険者なんて腕相撲の強さでしか上下を確認できないヤツばかりだからな。


「小田、ちょっと来い」


 俺は期待の新人を引き連れ部屋の隅へ移動した。ピカピカの水槽がぶくぶくと泡を登らせている。我が社が誇る憩いの場、いきものふれあいコーナーだ。水の中を涼しそうに泳いでいるのは3匹の真っ赤な金魚。俺は水槽台の引き出しから餌を取り出し、ぽちょぽちょと水面へ投下した。


「おうおう、ジョニーちゃんは今日も元気だな」


 真っ先に水面へと顔を出した一匹に俺は言葉をかけた。残りの2匹はビーちゃんとグッドちゃんだ。


「小田、うちの社内はキレイだよな」

「はあ、そっスね」

「そんな中で水槽に金魚の死体がプカプカ浮かんでたら客はどう思う?」

「取引考えますね」

「だろう? 社長の説教は放っといても支障はないが、金魚の餌やりは売上に直結する重大事なんだよ」

「はあ。でも社の売り上げが下がるより自分が怒られる方がイヤなんで早く行ってくださいよ」


 小田、見どころのある男。主張すべきは主張する男。


 そして、機を見る能力なら俺だって負けてはいない。いい加減潮時だろう、俺は名残惜しくも楽園を去るハラを決めることにした。


「ちっ、仕方ないか……悪いな、ジョニー。2時間待っといてくれ」



◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 1時間ぶり3度目の呼び出しを受け、これには流石の孔明も勝てないと重い腰を上げる。重い足を引きずって重い社長室の扉を開ければ、そこには今にも叫び出しそうな顔の重い男がいた。


「穴守、穴守あたる君。キミ、昨日の祝日、僕の結婚式に来なかったね?」

「はあ」

「欠席理由が『妹の結婚式に出席するため』」

「間違いありません」


 俺は体の前で手を組み、上半身をやや前傾させご高説を傾聴した。分かってるならわざわざ聞くなよ。


 自社ビルの最上階、ガラス張りの壁から差し込む光を背に受け、高そうな椅子から今でも飛び掛からんばかりの前傾姿勢を見せる男。我が社のトップにして世界的企業の御曹司、日枝――日枝、日枝……日枝なんとか氏だ。銀の匙をくわえて生まれ、有名大学を卒業し、今は新婚ホヤホヤで幸せの絶頂のはずなんだが、何をそんなに目を吊り上げることがあるんだろうね。


 ま、これはいつものことだ。社長という地位は大層ストレスが溜まるのか、こうして下々の者をゆえなく締め上げて心身の安定を図らないといけないらしい。そんな圧政に耐えるのも民草の努め、これも給料分の仕事だ。


「いいかね。このご時世、家族というのは何よりも大事だ。そして結婚式とは新たな家族が生まれる神聖な儀式、決しておろそかにすることは許されない。それが、妹さんの結婚式だからと欠席を許したが――」


 社長は怒って見せているし実際怒っているんだろうが、こう何度も呼び出されては耐性スキルも生えるって話だぜ。話の中身だって大したことはないし、業務上の影響もない。社長のストレスゲージを下げる効果があるだけだ、こっちのゲージと引き換えにな。俺は適当に相槌を打ちながら御高説を右耳から左の鼻の穴へと素通しした。適度にガス抜きに付き合い、粛々と自分の机に戻るだけ。百万遍繰り返した普段通りのルーチン、普段通りのお守り――


「じゃあ、どうしてダンジョンで君の姿が目撃されているんだね!!!!」


(なっ……!?)


 俺は混乱した。一体どういうことだ!?


 社長はふかふかの椅子に浅く腰掛けたまま、唯一の取り柄である端正な顔を歪ませ大声を張り上げている。おかしい、昨日はバレないようにわざわざ遠くの(と言っても電車で1時間だが)ダンジョンに足を運んだのだ。しかも念には念を入れて始発だ。式場は都内だったはず、誰かに見られたとも思えない――


「この動画! これはキミだろう!!」


 疑問は差し出されたスマホで瞬時に氷解し、融けた水は冷や汗となって俺の背中を滝のように流れ落ちた。


(……おいおい、メチャクチャ映ってるじゃねーか!!!!)


 ショートソードを振り回してワーウルフを端からしばいていく動画。魔物を撃退し危機に陥った女冒険者を救う、心当たりしかない映像。映ってる、この上なく映ってるよ!!!!


(おうおう、どーしてくれんだよコレ! あのアマ、もしかしてライブ配信してたのか? これだから配信者はクソなんだよ、次会ったらタダじゃおかねーぞ……!!!!)


 俺の答えは一つだった。


「……別人では?」

「いや、どう見ても君だろう!?」

「いえ、違います。全くの別人です」


 知らない人ですね、他人の空似というやつです、誰しも同じ顔をした人間が3人いるらしいですよ、ゴム人間では? っていうかそもそも似てなくないですか? 俺はあらゆる言葉を弄して歴史の修正を試みた。


「落ち着いて下さい、社長。こんなうだつの上がらない平社員が、わざわざ貴重な休日を潰してまでダンジョンに潜ってると思いますか?」

「む……そ、それは確かに……」


 俺の反論に、社長は急激にトーンダウンする。よしよし、これは押しまくればいけるな。このまま特定されてしまえば平穏な社会人生活の崩壊は間違いない。せっかく手に入れた有名企業の社員という特権的地位、手放すなんて考えられないぜ。セールスマンも冒険者もゴリゴリ押してなんぼ、まさに俺の得意分野だ。ケケケ、アンタのお陰で鍛えられたクソ営業力を舐めるなよ!

 

「確かに、君はうだつの上がらない平社員だが……」


 そこじゃねえよ。


「いいですか、そもそも高尾山ダンジョンの23層なんて行けたら、今頃私は大金持ちですよ」

「それはそうだな……ん? 23層? そんな情報は……」


 しまった!!


 俺は瞬時に社長の手からスマホを奪い取ると、秒間16連スワイプでコメント欄を遡った。おい、頼むぜ……よし発見した!!


「ほ、ほら! ここのコメント欄に書いてありますよ」

「……高尾山なら電車で問題なく行けるな」


 チッ、疑り深いヤローだぜ! 少しはその疑念をテメーの嫁に向けろっての!!


 ……しかしまあ、このコメント欄は酷いな。俺は流れ行く罵詈雑言に言葉を奪われていた。ホント好き勝手書いてくれちゃってよぉ、なになに、『大手が組んで27層がやっとなんだぞ、23層でソロなんてありえねーだろ』ま、普通はそう思うよな『どうせヤラセだろ?』そうそう、そうなんだよ、こんなヤラセ動画のことなんて早く忘れちまえよ『仕込みにしては設定が雑じゃない?』そりゃお前、炎上集金が目的だからな。ツッコミどころは多いほうがいいんだよ『顔がよく見えないな、カメラもっと上』そいういのはやめろや『Vtuberの新衣装お披露目告知画像みたいな見切れ方しやがって』あれ、なんでああなんだろうね?『下手なCGだな、顔のパースが崩れてる』おい、アカウント名【おーい!ぶぶ!】、テメー名前覚えたからな、月の有る無しに関わらず夜道には気をつけろよ!!


 はー、ほんっと、底辺が集うインターネットの、そのまた最下層って感じだぜ。せっかくの祝日に寂しく動画のコメント欄で他人にケチをつけるしかやることのない奴らだから仕方ないとはいえ、見てるだけでげんなりする。お前らな、そんなことなんだから駄目なんだよ! やるなら徹底的にやれ、ネット中を扇動してこの動画がフェイクであると知らしめ、あのクソ無断配信女が爆発炎上して謝罪動画出すくらいやれ!!


「社長も地位のある方なのですから、このようなどこの馬の骨とも分からない動画など……」

「何を言っているんだね? この投稿者はあの有名なアルファインフルエンサー、【ヘンデルト・グレーゲルス】氏だ。君なんかとは比べ物にならないほど社会的な信頼がある」


 まずアルファインフルエンサーの時点で眉に唾をつけろよ、何だよそのぐりとぐらみたいな名前はよ。


「そうでしたか。しかし、この動画に映った人物……もう一度いいですか? はい、この方は私ではありません。確かにメガネと髪型は似てますね、それで勘違いなさったのでしょう。ですが言ってしまえばそれだけ、同じような方は他にゴマンといますよ。そもそも、私はこんな、刃物を振り回して魔物と戦うなんてとてもとても」

「ううむ、確かに……」


 俺の猛プッシュに社長がたじろぐ。


「よく見ると色が違うな……」


 俺の見分け方はメガネの色だけかっつーの。


 あの女は俺の後ろにいたから、基本背中しか映っていない。ライトも地面に落ちていて映像が暗く、機材がショボいのか画質もガビガビだ。そもそも人物を特定できるような映像ではないし、声もノイズだらけで判断材料にはならない。顔が確認できるのだってごく僅かなタイミングだけ、一番危なかったのは最初に割り込んだタイミングだが目つぶしのおかげで逆光――いや、結構しっかり映ってんなコレ……。身内なら連想してもおかしくないが、別人と言い張れば逃げ切れるレベルだな。俺と週6で1on1ミーティングやってる社長でようやっと疑念を抱くくらい、小田なら考えもしないだろう。よしんば勘付かれたところで俺が全面否定すればオーケー、必要なのは何人たりとも通さないという強い気持ちだ。よし、これは別人。ハッハッハ、探偵さん、全然別人ですよ。ほら、よく見て下さ――おい、今顔のパースおかしくなかったか!!??


「ん? 何か揉めてますね」


 コメント欄ではそこかしこで醜いいさかいが勃発していたが、ひときわ盛り上がっている話題がある。なになに……


『【ブン・ブヤージュ】:とみーがわざわざ動画まで出して拡散止めろって言ってるだろ。早く消せ』


 ……ふーん。


 リンクを開くと、あの女が動画で今日の高尾山ダンジョンの配信は拡散しないで下さい、無断転載の通報にご協力お願いしますと何度も頭を下げて真摯にお願いしていた。ふーん……。


 ま、実害と言ったら社長のお説教くらいで、これもいつもの八つ当たりだ。なんなら仕事と関係ない分生ぬるいとすら言える。十分反省してるようだし、ありゃ多分テレポーターの罠に引っかかった事故だろうからな、仕方ない部分もある。配信を確認しなかったのはこっちもミスだ、この辺で許しといてやるか。


「……ほら、社長。どうもこれはよろしく無い動画のようです、話題にしていては炎上に巻き込まれてしまいますよ。社長は何も見なかった、私も何も見なかった」

「う、うむ……そうだな、確かに君のようなチャレンジ精神に欠ける人物がダンジョンに入るはずはないからな。ダンジョン研修の評価も最低だったし」

「そうですとも。まして、23層なんて!」


 おいクソボン、お前のおかげで俺は毎日堪忍袋の限界にチャレンジしてるよ。という言葉をぐっと飲み込む。そう、俺は真っ当な社会人、余裕ある大人だ。そしてその余裕は、絶対的な戦力差に基づいているのだ。僕ちゃんさあ、昨日ね、ダンジョン行ってきたの。しかも39層よ? 分かる? お前なんか一瞬で殺せるのよ? ケシズミも残らないのよ?


 俺はにこやかに一礼すると、社長室を辞した。


「では、私はこれで」

「ああ、君も勘違いされるような行動は謹んでくれたまえよ」


 大丈夫、本番は証拠一つ残さないよ。

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