配信に映り込んだら身バレして会社をクビになったので復讐します

一河 吉人

第1話 女を助ける



 湿った洞窟の土を蹴り、獣の影がひとつ飛んだ。


 狂気を宿した目を爛々らんらんと光らせ、口の端からはよだれを垂らし、自慢の牙を見せつけながら獲物へと迫る―― 双頭の猛犬、ヘルハウンドだ。


 俺は闘牛士のように身を翻してその巨体をかわしたが、魔獣はしつこく追いすがって二度三度と噛みつきを繰り返した。さすがは群れのボス、これくらいのねちっこさが無いとトップは務まらないよな。


 薄暗い闇を切り裂き同時に襲いかかる、二つのあぎと。片方が防がれている間にもう一方が獲物の喉笛を切り裂く、多くの冒険者の命を奪ってきた必殺の連携。


 だが、頭が増えようが身体が大きくなろうが所詮は四足獣、弱点は変わらない。


「シッ!!」


 何度目かの飛び込みに合わせて剣を薙ぐと、確かな手応え。斬り飛ばした右の前足が回転しながら地面を滑って暗闇へ消えた。ヘルハウンドは獰猛な魔物だ、泣き所を狙われ、足の1本を失ったくらいで戦いを止めることはない。だが、これで左への旋回に難が出る、つまり簡単に右を取れる。


 そして、横に回ってしまえば実質的に頭は一つ。


「オラァ!」


 ね飛ばされた首が、舌を剥き出しにしたまま宙を舞った。近い方を落としてしまえば、残るは無力な逆の頭だけだ。あとはぐるぐる回ってサイドを取り続ければいい。後ろ足を2度斬りつけ、動きが鈍くなったところで残ったもう片方も飛ばす。両の首を失った魔獣は地に伏しても暫く手足を動かしていたが、やがて静かになった。


「ま、犬じゃこんなものか……」


 辺りに散乱した、ヘルハウンドの群れだったものを見渡す。10を超える魔獣の軍団は、2分と持たず物言わぬ姿へと変わっていた。今更死体がどうのなんてウブなことを言うつもりも無いが、だからって見てて気持ちいいもんでもないな。いつもは恨めしいダンジョンの薄暗さも、こんなときには役に立つ。


 手近な死体へ向かうと短剣ショートソードを一振りし胸の辺りで両断、断面から顔を見せた魔石を携帯トングで回収する。ヘルハウンドは群れてなんぼ、単体での強さはそれほどじゃない。サクサク倒せてストレス解消にはいいが、数が多いと魔石を取り出すのが面倒なんだよな……。 


「これで稼ぎは大型魔石一つ分にもならねえんだからなあ」


 だからといって放置する選択肢は無い。それではただの殺戮者、最後の一線を越えてしまう。綺麗事とは分かっているが、俺には魔石という対価を得ることでなにがしかの尊厳が守られる気がしていた。そして、その僅かの積み重ねこそが冒険者として正気を保つために重要だとも。


 もったいない精神は日本人の美徳だ。俺はセコセコと魔石を集めて回ると腰を叩いて伸ばした。あー、それはそれとして面倒くせえことは面倒くせえ……。


 犬たちの住処は、臨時解体場の開設ですっかり血生臭くなっていた。この戦闘が終われば一息いれようかと思ってたんだが、こりゃ休憩なんて無理だな。むせかえるような臭いに悪酔いしそうだ。


「仕方ない、降りるか……」


 俺はショートソードの血糊を払うと、下層への階段へと足を向けた。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 この世界に「ダンジョン」が現れ、20年が過ぎた。かつて悲劇と暴力の象徴だったそれはすっかり社会の歯車として組み込まれ、今では人々の生活を支える重要な基盤としての地位を揺るがぬものとしていた。世界はダンジョンに支配された、なんて気取ったな表現をする奴もいるくらいだ。


 ダンジョンと、おまけについてきた「スキル」やら「ステータス」とかいうわけの分からないもの。その活用方法は様々だが、ここ日本ではいわゆる冒険者制度が採られることになった。何だったか、冒険者2種の試験でやった……「特別迷宮及びこれに付随する地域に係る特別法」? つまり、一般市民にダンジョンを開放しその上がりをハネる、という古来ゆかしい運営方法だ。俺はアホなので政治の話は分からないが、きっと偉い人たちの知識と理性と、欲望と妥協が総動員された結果なんだろう。おかげで資格さえあればこうやって好き勝手ダンジョンに潜れるんだから、こちらからすればありがたい限りだ。


 高尾山ダンジョンの20層代は暗い。


 ここは土の地面と岩肌のトンネルからなるダンジョンらしいダンジョンで、当然ろくな光源がない。完全な暗闇でないのは、あちこちにへばり付いたアカリゴケとかいう謎植物がほのかな光を放っているおかげだ。手持ちのライト無しでは月の出てない田舎の夜道を行くようなもの、もちろん自殺行為なんだが、しかし明かりを点けたらけ点けたでモンスターのいい的になる。必要なのは夜目が利く斥候か、一方的に襲いかかられても耐えられるだけの戦力か――


 ――あるいは、その両方。


 音もなく迫りくる敵は3体、全てワーウルフだ。


 一列に連なり駆ける姿は闇に溶け込んでいるが、放たれる殺気がダダ漏れじゃ意味がないだろうに。10メートルほど先の角から現れた相手とバッタリの遭遇戦、ワーウルフたちの反応は早かった。が、これだけの距離があれば身構えるには十分だ。


 先頭は――囮だ、大振りの爪をスウェーで避けると2体目が飛び込んでくるのに合わせてこちらも踏み込み、身をかがめて下へと潜り剣を振るう。骨を断つ感触と、驚愕に歪んだ3匹目の顔。


「シッ……!!」


 すれ違いざま胴に一撃、上下に断ち素早く反転すると同じく振り返った1匹と目が合った。その顔に浮かんでいたのは悲しみか、それとも怒りか。何にせよ感情のまま叫ばれなくて助かった、新手が来ると面倒だからな。慣性だけで空中を進んでいる3匹目の下半身を後ろから蹴りつけ、1匹目にプレゼント。飛び退いた先に投げナイフもプレゼント。左腕で受けたワーウルフが、一瞬顔を歪める。だが、その一瞬で十分だ。低い体勢のままで接近し伸び上がるように喉元を一突き、そのまま力任せに薙いで首を7割方斬り飛ばすとワーウルフは右腕を振り上げたまま仰向けに倒れた。


 素早く壁際に退避、身をかがめて周囲をうかがう。ダンジョンはすっかり静寂を取り戻し、真新しい血の匂いだけが漂っていた。どうやらおかわりはなさそうだな。


 魔石を回収し、水を一口だけ飲む。さて、どうする? 朝から潜ってはいるが今日は祝日、時間はたっぷり残っているし体力も問題ないが……あー、今から帰っても飯屋が問題か。ランチには遅く、夕食には早い。


(進むか……)


 暗闇に向けて足を踏み出す。


 俺がその悲鳴を背中で聞いたのは、久しぶりに30層のケルベロスカワイコチャンでも拝んで帰るかと考えながら細い脇道を進んでいたときだった。


 

◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 俺は暗い洞窟を駆けていた。手足を全力で動かしならが、しかし頭の中を占めるのは違和感についてだ。


(妙だな……)


 ダンジョンで悲鳴を上げるのは冒険者だけとは限らない。人間を真似て獲物を誘いこむいやらしい魔物や植物もいるし、死体を操ってる最悪なパターンだってある。だが、この階層は獣系統のモンスターしか出ないはずだ。必然魔物に襲われている人間が叫んだとなるわけだが、死の危険が迫ったときに人間が出す声というのは、もっとこう必死で汚いものだ。あんな、まさに絹を裂くような、といった悲鳴を上げるなんて被害者はよほど育ちがいいらしい。そして、こんな所に箱入りのお嬢様がいるはずがないのだ。


 新種の魔物が出たか、はたまたどこかのパーティーが調子に乗って潜りすぎ何らかのトラブルに巻き込まれたか。ま、1対9で後者だろうな。基本は静観、ヤバそうなら影から適当に間引いておけばいいか。ここまで来られる冒険者なら、態勢さえ立て直せれば逃げるくらいはしてくれるだろう。足を早めながら方針を決め、声の元へと急ぐ。すぐに強烈な光が目に入り――


(――1人だと!?)


 視線の先で、壁際にへたり込んだ女をワーウルフどもが取り囲んでいた。


 ここは高尾山ダンジョンの23層、大手クランですら挑戦には長い準備期間と大量の資材を必要とする「危険度4」認定の人狼階層だぞ!?


 装備からして冒険者、速度重視の前衛だろう。長い茶髪の、まだ若い女だ。こんなところにソロで潜るのは馬鹿か狂人くらいだが、しかし仲間らしき姿は見えない。全員撤退したか、あるいは――いや、理由はいい。人が少ないなら好都合だ。


 俺はいっそうスピードを上げ、女の元へ走った。ワーウルフ達は足元に投げ出されたライトを警戒しているのだろう、光を避けて遠巻きに威嚇の声を上げている。女はそんなモンスター達を認識できていないようだが、おかげでパニックに陥らずにすんでいるのかもしれないな。


「そのまま動くなよ!!」


 女とワーウルフが、一斉にこちらを向く。その瞬間を狙い腰にぶら下げていたライトを最大出力で点灯。強烈な光がオオカミたちの目を焼く。女の目も焼いた気がするが、まあ、そのうち治るだろ。2番目に近いワーウルフに手斧を投げ、頭を割る――あと5体。足を止めずに一番近い人狼を切り捨てると、女とワーウルフの間に割り込む。これであと4体。


 俺は仁王立ちのまま、背後の女に語りかけた。


「一度しか言わないからよく聞け。いいか、そこで動かずじっとしていろ。そうすれば助けてやる」


 襲いかかるワーウルフの腕を刎ね、返す刀で胴を真っ二つにする。


「冒険者なら分かるだろ? こっちは背中を見せてるんだ、変な動きを見せたら」


 足元を狙った一匹の眉間に剣を半ばまで突き刺すと、蹴り飛ばして引き抜き言った。


「殺すぞ」

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