十九、安堵の後
出て行った三人の足音が次第に遠ざかって行く。それを確認してから私は動き始めた。
少年の額に乗せられていた布を手に取り、桶の中に落とす。軽やかな音と共に水がはね、温もりを持った布が水の中で優しく広がった。
眉間にシワを寄せつつも静かに眠る少年。布の消えたその額にそっと手を触れた。
先ほどまで濡れ布を置いていたせいだ。ひんやりと湿った感触の奥から、遅れて体温が伝わる。
通常より少し高いくらいだろうか。久しぶりの訪いの内容としてはちょうどいい。
視界の隅に写った数々の薬草。その種類はかつて主人様のために集められた薬草の種類とそれほど大差はない。
きっと環境に恵まれていたのだ。この数の薬草と熱の具合なら何もしなくても二、三日すれば元気になっているだろう。
まるで加護女として復帰した私のために用意されたかのような簡単な依頼だ。
私の加護は奪うだけ。不治の病どころかありふれた病すら治すことは出来ない。だからこそ、救える時には期待に応えたい。
『奪え』
額に置いた手に力を込める。小さく呟いた次の瞬間、翳した手から黒い霧が滲み出し、あっという間に少年を覆った。
症状は熱とそれによる倦怠感だろうか。それを奪ってしまえば、少年は元気になるはず。たとえ一時的なものだとしても。
ここに来てから少年はずっと寝たまま。
眠りにつきながら病と闘う。体調を彼の口から聞くことはできない。視認による容体の確認も霧に包まれた今となっては不可能だ。
手から伝わる少年の熱と呼吸音。目を閉じて限られた情報だけで私は彼の苦痛を想像する。そして、その苦痛を自身の体に引き込む想像をした。
どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。
目を開け、ゆっくりと彼の額から手を離す。少年を覆うように止まっていた霧が自由を手にし、溶けるように室内に消えた。
ようやく姿を見せた少年の表情。眉間にできたシワは消え、呼吸も落ち着いたものになっている。
「……よかった」
安堵のため息と共に手を地面に付けた。冷たい土の感触が、今はただ気持ちがいい。
安心と喜びをしばらく噛み締めた私はゆっくりと立ち上がる。
私の仕事は終わったと伝えねば。
そう思い、外に出ようとした瞬間、声が聞こえた。
「どうして早く来れなかったんだ!」
荒々しい男性の声。これは
「願い事を叶えてくれるから我慢して高い税を納めているんだろ! なら、もっと早く来い! 早く来て救え!」
田畑に囲まれたのどかな場所に場違いな怒号が響く。その理由は愛しい息子が危険な目にあったからだろうか。
そもそも、この少年の病は危険な状況を脱していた。今は既に回復へと向かっている体。本来なら訪いの必要もない。
父親のわがままな怒りを浴び続ける
熱くなる気持ちは分かる。だが、その怒りを
「加護女様がいなくてもうちの子の病気は治りかけていた。それなのになんで、うちに薬草が大量にあったと思う⁈ あれは集めたが、もう必要なくなった薬草だ。家族のために汗水を流し集めた。その薬草が必要なくなった。これがどういう意味か分かるか⁈」
止まらない怒鳴り声に気になって、つい出入り口から顔を覗かせる。
単なるわがままだと思っていた。加護女にも限界はある。いつもなら聞き流していたのだろう。しかし夫婦の表情を見え、思わず考えてしまった。
汗水を流して集めた薬草。大切な人のためにしてきた努力が必要なくなる時……それは大切な人がいなくなった時だ。
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