十八、次なる依頼
「少しお待ちください」
少し焦っているのだろか。後ろで一つにまとめられた長い髪が、歩くたびに右へ左へと忙しなく揺れた。
しばらく見ることのなかった茅葺きの屋根。野焼きでもしているのか、焦げた匂いが鼻をつく。
最後にこの屋根を見たのは、私の無能さを知った上で、痛覚を奪うように依頼したあの少女のところだったか。
最大限に努力しても叶わない現実。訪いの前に感じる無力さに加え、今日は先ほどの
『訪いを再開させたのは自分です』
中が見えないように垂れ下げられた簾。その奥で水干を纏った男性が頭を地面に付けていた。紺色の水干は土で汚れ、小石が転がる道での正座はさぞ痛いのだろう。
貴族や貴族に仕える者たちは私に敬意を払うことはない。この世は階級社会だ。上位の者には媚び、下位の者は虐げられる。
下級貴族でありながら妃に選ばれてしまった私は、周りから虐げられる運命なのだ。だが、そんな私に
自身の行いに対しての謝罪。彼の態度に嘘はないはず。
しかし、今の私にはそれを素直に受け取ることはできない。
疑問が浮かび、疑惑がよぎり、疑心がつのる。
上位の者に従う。この階級社会の中では至極当然のことだ。その結果、誰かを裏切ったとしても仕方がない。
母が亡くなり、環境が一変したあの日。久しぶりの感覚とはいえ、一度経験していたからだろうか。「頭を上げてください」と伝えた私は、自分でも意外なほど落ち着いていた。
「お待たせしました」
家の中にいた
邪魔にならないように入口の端の方に立ち、手で指し示す。いつも通りの行動。しかし、その表情は固く、指し示した手の先は微かに震えていた。
震えの理由は嘘をついたことへの罪悪感か。それとも自身の嘘に気付かれないかという恐怖か。
いずれにせよ考えたくはなかった。
目を合わせようとしない彼の目の前を通り過ぎ、家の中に入る。まず先に御座の側に座る二人の夫婦と目が合った。
袴を履いた貫禄のある男性と小袖を見に纏った女性。二人とも表情は暗いが、身なりは整っている。
そんな不安げな夫婦の前に少年が横たわっていた。
額に乗せられた布。近くには水の張られた桶と笊に並べられた数々の薬草がある。周囲の植生や知識に恵まれていたのだろう。訪いの度に感じていた独特の病の匂いも今日はしない。
恐らく今回の依頼はこの子の治療だ。だが、すでに快方に向かっている。これであれば余裕を持って対応できる。
「……少し前に熱が出まして。近くの年寄りに言われた薬を飲ませたら、熱は少し下がりました。恐らく峠は越えたと思いますが、念のため見ていただけないでしょうか?」
無言の私に母親が話を始める。籠に隠れた私の顔色を伺う様子は、不安に満ち溢れていた。
私の加護は奪うだけ。自身の無能さを理解しているからこそ、誰かの不安げな視線に応えることは出来なかった。
だが今日は違う。不安や悩みを吹き飛ばすの加護女の仕事。ようやく誰かの想いに応じることが出来そうだ。
「任せてください。では治療の方を始めますので、ご退室をお願いします」
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