第三章

十五、次の季節

 庭を埋め尽くすほどの桜の花びらは散り、大地を桃色に染める。今は控えめな若葉も、しばらくすれば木々を淡い緑に染めてくれるのだろう。


 季節と共に気温や風景が移り変わる。それは人々も同じだ。



 「この屋敷から出て行ってもらいます」



 私の前に座る女性がそう告げる。

 長く艶のある黒い髪。真っ直ぐ見つめる切れ長の瞳。色白の肌も凛と姿勢も相変わらずの美しい。


 私より遥か上の『梅』の位をもつ女性。彼女は私相手に冗談は言わない。出て行けという発言も何かの比喩や暗示ではなく、そのままの意味なのだろう。

 だが――



 「ね、姉様? ……私は違いますよね?」



 隣から声がした。比較的声色は明るい。しかし、間や声量が彼女の動揺を顕著に表す。

 横目に映る麦色の髪。普段なら彼女の座る位置は向こう側だ。

 梅君うめのきみを姉のように慕い、強い者の影に隠れ暴言を吐く。その役目は今日も変わらないと思っていたのだろう。



 「いいえ藤君ふじのきみ。あなたもです」



 僅かに残された希望が、打ち砕かれた。それも他でもない『姉』の言葉によって。

 大人しく隣に座っていた藤君ふじのきみは、徐に立ち上がる。そして、眉ひとつ動かすことのない梅君うめのきみの元へと歩み寄った。



 「私は加護女ですよ⁈ それも治癒の能力を持っている加護女。そこの無能は別として、私が追い出される理由が分かりません!」



 自身よりも格上の相手に対して、頭の上から大声を浴びせる。いくら藤君ふじのきみの生まれが平民だとしても、この無礼は許し難い。

 だが、梅君うめのきみは注意しない。それどころか、存在を無視するかの様に変わらず前を見据える。微動だにしない彼女の姿は不気味だった。



 「主人様が死に、この土地を納める権限はその親族にあたる方に移りました。もちろん、その方にも次期主人様にも妃がいる。貴方たちがいれば、妃たちの住む場所がなくなります。ですから貴方たちには出て行ってもらう必要があるのですよ」



 「……なら姉様も出て行かれるのですよね?」



 「いいえ、私は残ります」



 「どうして⁈」



 「偶然ですよ。偶然、妃の一人が亡くなったのですよ。現状、次期主人様の妃はお二人なので私が嫁いでも妃の数は三人。ほら、今までと変わらないではありませんか」



 細く長い指を使い、説明をする。

 目を細め、子供でも分かるような丁寧な説明は優しさから来るものではない。菊君に対しての挑発だ。

 その狂気じみた笑顔はかつて私に向けられたものと同じだった。



 「お前っ!」



 少女が拳を上げる。しかし、その拳は梅君に当たることはなかった。



 大きな音を立てて突如開いた障子から大柄な男性が現れる。

 鷲を連想させる威圧的な目と顎鬚に蓄えた無精髭。身長はもちろん、横にも大きい男性は、存在するだけで周囲を萎縮させる。


 固まる私たちに躊躇うことなく、足を踏み入れた男性は小さな体を蹴り飛ばした。



 「藤君ふじのきみ!」



 なす術もなく転がった藤君ふじのきみに慌てて駆け寄る。横っ腹を蹴られたせいか息苦しそうに顔を歪める。その目にはうっすら涙が浮かんでいた。



 「梅君、これは流石に……」



 「ここは俺の屋敷で、その子供は俺の妃に手を出そうとした。主人としては当然のことと思うが? それとも、お前は主人様に楯突くのか?」



 顎髭を触りながら私たちを見下ろす。やり方はともかく、言っている内容は正しい。たとえ誰が駆けつけようと、この男は次期主人様で、場違いなのは私たちだ。



 「……申し訳ございません。すぐに荷物をまとめて出て行きます」



 謝罪が口癖でよかった。相手を刺激しないよう慣れたように額を床につける。今の最適解はこの場から少しでも早く立ち去ることだ。



 「分かればいい。にしても、その子供の髪色。呪われでもしたのか? 気味が悪い。そんな髪色でよく生きていられるな」



 頭を下げさせたことに満足したのだろうか。男はゆっくりと私たちから離れる。

 遠くなる足音に安心しつつも、横目で菊君を確認した。


 脇腹を抑えて丸くなる藤君ふじのきみ。その表情に怒りはなく、ただ怯えているように見えた。

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