十四、伝えたかった言葉
「『
主人様が話を切り出す。隣を見ると、まだ月を眺めていた。
『訪い』については無論知っている。
民家へと参り、依頼を解決する。幾度も繰り返し、その度に失敗してきた。無力さを痛感することしか出来ない仕事だ。
「……はい。存じております」
「あれを考えたのは私だ」
ゆっくりとこちらを向く。月明かりに照らされた微笑みは美しく、弱々しかった。これは病気のせいだけではない。根拠はないが私の直感がそう告げた。
何も言わず時間がだけが静かに過ぎる。そんな私たちの間を夜風が吹き抜けた。
「薬を用意するのに必要な費用。その財源は税だ。私のために身を削ってくれている民のためにも、少しでも恩返しがしたくてさ。だから提案した。もちろん周囲からは理解されなかったけどね」
訪いが始まったのは先代の主人様が亡くなった頃。多大な業務のせいか、元々病弱だった主人様の容体が悪化していく。
毎日のように必要になる薬。近辺で栽培が可能な薬草も試みたが、それだけでは消費に追いつかない。
自生する地域まで行かせたり、異国から仕入れたり。様々な手法を実現するに必要なのは人手でであり、それらを動かすための財力だ。
病に侵されながらも、以前より多くの税を納めなければない環境を強いられた彼らを思いやる。
実に主人様らしい優しい提案だ。
「身分など関係なく皆が幸せに生きる世界を作りたかった。だが権力はあっても救う力はない。おまけにこの体だ。いや、何を言っても言い訳か。偽善者になりたかったんだ。苦しむ君たちを蔑ろにしてでもね」
悲しそうに主人様が言葉を溢す。
否定しなければ。
訪いは私の仕事。他の二人は事実を知らない。ならば私の返答次第で嘘も現実に変えられる。主人様を安心させられる。
嘘を紡ごうとした。しかし脳裏をよぎる少女の顔が、言葉を詰まらせる。
「……」
「でも私がいなくなれば、薬は必要ない。それと一緒に
必要なくなる時。それは主人様が亡くなった時だ。
静かに話す主人様の声も表情も柔らかい。そこに嘘や虚勢はなく、心から死を歓迎しているように見える。
ずっと訪いをやめたかった。
助ける力などないのに、見せかけの救いの手を差し伸ばさなくてはならない。半端な解決策で妥協させなければならない。
揺れる牛車の中。吐き気や頭痛に苦しみながら、それ以上の不甲斐さに何度、苛まれたことか。
長い間、私を苦しめた
「……申し訳ありません」
慣れた様に頭を床に擦り付ける。今、私に出来ることは謝罪だけだ。
「私が優秀な加護女であれば、この様な事態にはなりませんでした。主人様の容体も
優秀であれば、主人様を救うことが出来た。優秀であれば、
「でも頑張ったのは君だ」
「……」
「痛みに寄り添い、その苦しみを肩代わりする。君はそんな優しくて素晴らしい加護女だ。そして私の大切な妃だ。優秀かどうかは関係ない。君がいてくれたから、私は安心できたんだ」
「……」
板の間に擦り付けた額をゆっくり離す。顔を上げた先には私を見つめる主人様がいた。
たった一回の肯定の言葉。今まで言われた、言い聞かせてきた否定の言葉に比べると遥かに少ない。
それでも、真っ直ぐで優しい瞳に何も言えなくなってしまった。
「今までありがとう。これからは君の自由だ。訪いを止めるも続けるも。階級を捨ててどこか遠くに行くのだっていい。私はどんな君も肯定する。それを、それだけは直接伝えたかった」
そう言い終えた主人様が立ち上がる。横を通り過ぎる主人様の足音は静かで、相変わらず生気を感じない。
布が擦れる音が次第に静かになっていき、月明かりと肌寒さだけが部屋に残る。肩の震えと頬を伝う涙が止まることはなかった。
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