十一、本当の願い
牛車が畦道を進む。道の荒さは変わっていないはず。しかし振動が不快に思えるのは『代償』のせいだろうか。
体が寒い。脳が揺られる。甲高い音は耳から離れることはなく、内臓が絞り上げられるような感覚が続く。
浅い呼吸を繰り返し、幾度となく体勢を変える。それでも楽にはならない。
早く屋敷着いてくれたなら……いや、屋敷に着いても同じか。
これは病気ではない。加護の代償だ。時間が経てば、苦しみは消える。
仮にこの状態で屋敷に着いたとしても、加護女の代償については皆知っている。のたうち回ろうが、血反吐を吐こうが、結局いつもと変わらない光景として処理されるのだろう。
頭につけた籠に触れる。少しでも息がしやすいように。そう思い持ち上げた植物の編み物はいつもより重い。
無理に持ち上げようと動かした瞬間、牛車の振動が大きく揺れた。
手からすり抜けた籠。転がったそれは壁にぶつかり停止する。
女性は無闇に顔を見せてはいけない。
刷り込まれた常識であり、普段から忠実に守り続けている規則だ。もちろん牛車の中も例外ではない。
しかし、今の私にはそれを守る気力はなかった。
空の籠を見つめるだけ。手を伸ばすことすら億劫だった。
「……ふぅ」
天を仰ぎ、熱いため息を吐き出す。空の青さも揺れる木漏れ日の眩しさも感じない。
あるのは背中から伝わる壁の冷たさと見飽きた天井だけだった。
眠くもないのに、瞼がゆっくり閉じていく。闇を移す眼は熱を帯び、何かに押されているような圧迫感が続いた。
冷めることのない瞳の熱。鈍い痛みを伴う黒色の世界に懐かしい風景が映し出される。
緑豊かな庭。日向を転がる鞠。周りは活気に溢れ、屋敷に戻れば母上と会える。多くの人に囲まれ、大切な人にもすぐに会うことができる幸せな時間。
これは夢だ。過去の幸せを都合よく貼り合わせた夢だ。分かっていても続きが見たい。
苦痛に追い込まれた私は夢に縋った。
「大丈夫ですか?」
不意に声をかけられる。
目を開き、虚ろな目で辺りを見回した。しかし人の姿は見えない。
それもそうだ。ここは牛車の中。その辺の子供ならまだしも、貴族に仕える
少し考えれば分かる話なのに、自分の愚かさが馬鹿馬鹿しく口元が緩んだ。
「……申し訳ありません。大丈夫でないことは充分理解しております。ですが心配のあまり、つい」
「……気になさらないでください。いつも通り加護の代償ですから」
代償に耐え切るまでが加護女の仕事だ。
少女は長年にわたって病と戦い抜いた。貧しい環境で、薬にも容易にたどり着けるたけもない。
『父を解放してあげたい』
それが彼女の願いだった。
私が見た時には彼女の病はもう手遅れだった。たとえ、どんな良薬を用意したとしても、
彼女も薄々気付いていたのだろう。それでも、薬草を用意し続ける父。そんな父にまずは感謝を伝えたかったのだ。
だから私は彼女の痛覚を奪った。それも彼女の提案で。
枯れ木のような足は大地を駆け回り、炎症のある喉は痛み無視して可愛らしい声を奏で続ける。
正常な反応がなくなった体に限界はない。完治したかのように振る舞うことで、彼女は父を不安から解放したのだ。
しかし、これでは彼女の願いは半分しか叶わない。
私の加護は奪うだけ。それも効果は一時的。
痛覚を奪い完治したように振る舞っても、時間がくれば元に戻る。それでは薬草を集める日々から父親を解放することは出来ない。
だから彼女は『神様の子供になった』と言った。
神様の子供になったから、あなたの家族ではない。神様の子供になったから、もう面倒を見る必要はない。神様の子供になったから、この家には戻らない。
直接的な言葉では引き止められてしまうから。だから、あえて分かりにくい言葉で伝えたのだろう。
何度も笑顔を浮かべ、何度も抱きしめ、何度も名前を呼び、何度も駆け回る。
言葉と表情と仕草と。彼女の全力で飽きるほど伝えるのだ。
「ここに生まれてよかった」と
私が与えた猶予はどのくらいだろうか。少なくとも、この代償が続く限りは彼女は元気だ。
苦痛に喜びを覚えるのは変かもしれない。それでも少しでもこの苦しみが続きますように。
そう静かに祈った。
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