九、目覚めた後で
軽く一礼をして室内に入る。
隙間風が吹き込んでいるのだろうか。壁で囲われているはずの室内は想像より寒い。
軽く息を吸い込む。土の匂いに混ざり、青い匂いがした。
奥に敷かれた
よく見ると薬草らしき植物が盛られている。
あの父親が調合しているのだろうか。放置された先端が草の汁で染まった棒と底が深緑になった器も一緒に置かれている。
民間療法は貴族の中でも一般的だ。薬草の知識に通じている人間を呼び、調合した薬を飲ませる。
現場に立ち会ったことはない。しかし、天日干しされている薬草はたびたび目にする。だからなのか。半端な知識は余計なことを気付かせた。
薬草が一種類しかない。
いくつもの薬草を集め、決められた配分で調合する。知識がなくとも、薬師の背中を見ていれば、想像するのは容易だ。
もちろん、この少女と主人様が全く同じ病状であるはずがない。症状によっては少ない種類で作れる薬もあるのだろう。それでも……
お金がなくて用意が間に合っていない? 発病はいつ? 初めから薬草が一種類だった? そもそも娘の病に適した薬? 場合によってはすでに手遅れ――
「……貴族様には、珍しいか?」
「ひっ!」
背後からかけられた声。続けざまに視界が暗くなる。
突然のことで頭が回らない。
頭を庇うために上げた手が籠に触れる。指先から伝わる繊維の感触が、黒に染まった視界の理由を証明してくれた。
衝撃でずれた籠を戻しつつ、ゆっくりと振り返る。
くたびれた衣服。肩ほどまで伸びた乱れた髪。体に掛けられていた麻布には汚れや破れが目立つ。
薬草の少なさに動揺していたのはある。籠のせいで視界が悪くなっていたのもある。
しかし、上体を起こす動作ですら気付かせないほどに、彼女からは生気を感じらない。
「大丈夫か?」
「……すみません。……あの、起こしてしまいましたか?」
「貴族様が、おらに謝んで。それに、あんなけ騒いでいたら、嫌でも目が覚める」
そう言いながら少女は笑う。
病でかなり体力を消耗しているのだろう。吐息に混ぜられた声は、遅く、消え入りそうだった。
「知ってるか? 薬作るなら本当はもっといろんな種類が必要なんだ。でも、おっとうは頑固だから。この薬草はもういらんって言っても、遠慮するなって」
「……素敵なお父様ですね」
「だろ? おらの自慢だ」
悩んだ末に溢した言葉に歯を見せて笑う。彼女の表情に恨みは感じられなかった。
病に犯された体で、薬も充分に用意出来ない。
嫉妬するのは変だろうか。劣悪な環境にいながら笑顔を浮かべる少女の方が、高価な着物に身を包む私より、遥かに幸せに見えた。
「んで、あんたが加護女様か?」
「はい」
「おらの病気は治るか?」
「……私の加護は奪うだけです。あなたの病気は治せません。ですがっ、病気の進行を一時的に止めることは出来ます! それを繰り返せば……それくらいしか……」
発言の途中に迷いが生じた。勢い任せで発した言葉は、次第に推力を失っていく。
嘘は言っていない。しかし、彼女の質問に対して相応しくない回答をした。
意図して隠た事実。それは嘘をついたのと同じだ。
病に苦しみ、もう時間も残されていない少女。誤魔化しきれない苦痛と闘いながらも、笑顔を浮かべる彼女を少しでも安心させてあげたかった。
たとえ、それが嘘だとしても。
「奪うだけか……なら一つ提案があるな」
姿勢を正した少女が、ゆっくりと話し始めた。
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