八、依頼の内容



 「少し、お待ちください」



 紺色の水干すいかんを身に纏った青年そう言っては建物の中へ入って行く。後ろで一つにまとめられた長い髪が、歩くたびに右へ左へと揺れた。

 

 誰もいなくなった。灰で描いた空の下、私はそこにいることしか出来ない。


 田畑に囲まれた土地に佇む一軒家。

 薄汚れた外壁には白い斑点が出ており、朽ち始めている場所もある。

 日の光が差していないせいもあるのだろう。茅葺き屋根の建物は疲れきって見えた。


 はち切れんばかりの緊張と高揚。初めて掘立柱住居を見たあの時の胸の高まりは今はもうない。


 薄い壁の向こうから会話らしき音が聞こえる。

 何を話しているのだろうか。残念ながら内容までは把握出来ない。


 『生きていて恥ずかしくないのか』

 『謝ってばかりで惨め』

 『何をさせても無能』

 『同じ貴族として見られたくない』


 これは現実の音ではない。私の脳内に染みついた音だ。

 年月を積み重なった声が今日も私を責め立てる。

 どうせ裏切られるなら、寄り添われたくない。傷つかない為に孤独を選んだとしても、この声からは逃げられないようだ。



 頭が痛い。肩が重い。体が熱い。でも汗は冷たい。


 いっそのこと逃げてしまおうか。幸い周囲に人はいない。承認欲求と引き換えに、劣等感を感じない世界へ逃げ込む。


 そんな夢物語を胸に抱くも、二本の足は動くことはなかった。


 しばらくして、入り口から舎人?家来?使用人?従者?が姿を見せる。いよいよ訪いが始まるのかと思うと、無意識に力が入る。



 「お待たせしました。どうぞ、こちら――」



 「加護女様っ!」



 言い終わる前だった。

 話を終え出てきた舎人を押し除け、飛び出す男性。不意を突かれてよろめく牛飼童うしかいわらわの間を潜り抜け、こちらに向かってくる。


 何度か転びそうになりながらも、私の足元まで駆けつける。そして勢いよく膝を付いた。


 こけた頬。汚れが目立つ衣服。地面に付いた手は皮と骨だけで出来ているように思える。


 言葉を選んでいるのだろうか。見上げる男性は眉を八の字にし、歯を食いしばるだけで何も言わない。

 でも、その表情だけで言いたいことは痛いほど伝わった。



 「おい! お前!」



 不意を突かれて蹌踉よろめいていた牛飼童うしかいわらわが駆けつける。

 単純な力比べなら牛飼い童は負けない。男性が言葉を選びきる前に押さえ込んだ。

 枯れ木のような体が地面に叩きつけられる。男性も諦めずに抗うが、結果は分かりきっていた。

 私の警護を務める彼が痩せこけた相手に負けるはずがない。分かっていても男性は力比べをやめなかった。



 「どけ! おめえも見ただろ! 中におらの娘が……病気の娘がいるんだ! 近所のばばあに言われた葉っぱ集めて薬も作った。お祈りもしてもらった。でも、ちっとも良くならん! だからもう加護女様しかいねえんだ!」



 いずれ知ることだった。

 今回の依頼の内容が病気の治療であること。いくつか方法をとったが、どれも効果がなかったこと。この訪いが最後の希望であること。

 そして、私では期待に応えられないこと。


 無礼を理解し、力で勝てないことを理解し、その上で意見した。これほどまでに必死な人を私は失望させるのだ。



 「加護女様、お願いだ! 病気が治るなら、おら何でもする! 年貢もみんなの倍納めるし、貴族様の家作り手伝えって言うなら畑辞めてでも手伝う! だから! だから――」



 「加護女様、この者は私が押さえておきますので。どうぞ今のうちに」



 男性の訴えを遮った牛飼童うしかいわらわは、家の方に目を配りながらそう告げた。その表情に陰りはない。きっと加護女なら、病気ごとき容易に解決できるとでも思っているのだろう。


 二人の期待から逃げるように背を向けた。そして思い足取りで前へ足を進めた。

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