第二章

七、訪いの始まり

 素顔を晒さないように作られたすだれの窓。その牛車の中で籠を被る。


 顔を見られてはいけない。

 加護女は貴族であり、女性であり、神格視される存在だ。階級社会に愛された者しか、この植物の編み物の先に干渉することは出来ない。


 いや、そもそも干渉する必要はないのだ。


 加護女は道具。階級のために使われるのか、悩みを解決するために使われるのか。どこに行こうと道具としての運命へと収束する。



 何気なく外を見る。

 籠に阻まれ、簾になった窓に阻まれた視界では、明るさを感じるので精一杯だ。



 今日のいは、どこまで行くのだろうか。何をするのだろうか。依頼先も、依頼内容も知らないまま私は暗い世界で揺られる。



 いとは加護女の仕事の一つで、庶民の家へと参り、問題を解決する。先代の主人様が亡くなった際に作られたらしいが、実際のところ誰が発案者かは謎のままだ。


 そもそも貴族は庶民に興味を持たない。

 私たちが生きるのは階級が全ての世界。位のためだけに子供を産む人たちにとっては、庶民など相手にするだけ時間の無駄なのだろう。


 そのためいについても、主人様に仕える牛飼童うしかいわらわが情報を集め、行き先を決める。私たち加護女には何も知らせないままで。


 知らなければ準備は出来ない。

 何もないまま依頼者の元に参り、依頼内容を聞く。単なる悩み事なら楽だ。しかし、依頼の大半は病気に関することだ。


 「熱が下がらない」「腹痛が続く」「怪我が膿んだ」


 庶民と貴族は別の生き物だ。彼らも充分理解しているはず。

 理解し、無礼と知りながら、何人もの人が私に助けを求める。苦痛で顔を歪めながら。あるいはその傍らで涙目になりながら。


 

 そんな彼らを救うことは出来ない。

 


 私の加護は奪うだけ。痛みと苦しみを一時的に奪っても、時間が経てば本人の元に帰る。

 その場しのぎの方法で私は幾度も感謝の言葉を受け取った。

 こなしてもこなしても、湧き上がるのは罪悪感しかない。屋敷の中では階級に苦しみ、屋敷の外では自分の無力さに苦しむ。


 いっそ何もしない方が幸せなのでは。どこかで息絶えた方が幸せになるのでは。

 そんな心の声を打ち明けることも出来ず、今日も自身の無力さを再確認しに行く。



 「っ!」



 ガタンと牛車が大きく揺れた。大きな石にでも転がっていたのか。車輪から伝わる道の荒れ具合が、屋敷からの距離を教えてくれる。


 多分、目的地は近い。


 虚ろな目で外を見た。

 籠の網目と簾の隙間から見える僅かな外の世界。二重に阻む世界で私は後何回失望すれば抜け出せられるのだろうか。



 「加護女様、そろそろご準備を」



 「……はい」



 外から聞こえた青年の声に掠れた声で返事する。


 この声はもう覚えた。私より少し年上のぶっきらぼう青年。私専属の牛飼童うしかいわらわなのかいの度に送迎してくれる。それでも彼の雇い主は私よりも上位の人間だ。

 たとえ彼に泣きついたとしても、この牛車の行き先は変わらないのだろう。



 しばらくして車輪が道を撫でる音が消える。

 何か不具合でもあったのか。淡い期待を胸に抱き、外の音に耳を澄ます。

 牛の鳴き声と金具の音。一時的に止まったはずの牛車は再び前に進む気配はない。

 一連の作業が終わったのか、ゆっくりと前に座席が傾く。やはり今日も叶わなかった。



 「加護女様、到着しました」

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