六、加護の代償



 『加護の代償』


 その言葉を聞いた瞬間、痛みが走った。


 肺に空気を入れる。そのたびに内側から刺すような痛みが私を襲う。


 私は慌てて息を止めた。

 呼吸をしなければ少しは楽だ。だが、その安らぎも時間と共に失われていく。


 頭に血が上り、息苦しさしか考えられなくなる。跡が残るくらい胸の辺りを押さえ、更にその手に爪を立てる。

 あの突き刺さる痛みを味わいたくない。そう思い苦しみを誤魔化すための自傷行為。しかし本能には勝てない。


 苦しみもがいた末に息を吸い込む。限界まで頑張った体を肺の痛みは容易に否定した。



 「っ!」



 開いた口から喉を通り、肺に流れ込む。空気に粘性などあるはずがない。それでも取り込んだ空気は執拗に気道を痛めつけた。


 痛いのは嫌だ。しかし体は空気を求める。


 背反した苦しみに戸惑った挙句、短く浅い呼吸を繰り返した。次第に垂れ下がった頭を床に押し付けて。

 何度も何度も空気が肺を抉り進む。強く食い込ませた爪の痛みも、額から感じるはずの床板の冷たさも、今の私には届かない。

 ただ許しを乞う姿勢で痛みが去るのを待った。



 どれくらいの時間が過ぎたのだろう。

 ゆっくりと体を起こす。膨らむたびに突き刺さる肺の痛みはもうない。

 息が楽にできる。その幸せを噛み締め深い呼吸を繰り返した。


 

 加護には代償がある。奪うだけの加護も例外ではない。


 『奪った相手の苦痛を肩代わりする』


 それが代償の内容だ。


 あの痛みは主人様のものだ。昼夜問わず空気が肺を傷つける。私の加護ではそれを一時的に肩代わりすることしか出来ない。少し待てば、再び病が主人様を蝕み始めるのだろう。


 奪って、苦しんで、奪って、苦しんで。先送りの繰り返し。季節が巡っても、思考を巡らせても、やっていることは変わらない。



 「何?」



 何気なく見上げた視線が藤君ふじのきみと目が合った。

 険しい顔をしていたからだろうか。胸を押さえつつ見上げた私。そんな私を睨みつけながら、藤君ふじのきみはゆっくりと歩み寄る。


 私よりも幼く、背も低いはず。にも関わらず、恐怖で彼女から目を逸らすことが出来ない。



 「……いや、その」



 「はっきり喋れよ」



 パシッと乾いた音が鳴る。それに合わせて視界が下を向く。頭に残る感覚と、衝撃で垂れ下がった髪が、今起こった事を理解させた。



 「藤君ふじのきみ、暴力はいけませんよ」



 「姉様、問題ありません。これも一種の教育です。言っても分からない無能には、頭くらい叩かなければ。むしろ感謝されてもいいくらいです」



 振り返り、明るい声で姉に返答する。しかし、その後ろでは姉に気付かれぬように、着物で手を拭く仕草が見えた。

 

 叩かれた頭は痛くはない。それよりも胸の痛みの方が勝つ。

 言い返してやりたい気持ちはある。だが私はこの場の誰よりも位が低く、この場の誰よりも無能だ。悔しくとも、藤君ふじのきみの言ってることは正しい。



 「ってか、いつまで座ってんの? 早く『い』の支度しろよ」



 荒っぽい声が降り注ぐ。

 加護を使った。代償も耐え抜いた。足りない頭を働かし、方法を模索した。

 しかし結果何も出来ていない。

 奪った苦しみは時が経てば主人様に戻る。ほんの一時しか主人様を救えない私には、荒っぽい言葉を浴びせられる姿がお似合いだ。


 もし私の加護が優秀だったら。もし私の頭が聡ければ。もし権力があったなら。


 下級貴族には、そんな空想に逃げ込むことしか出来ない。



 「……はい」



 私は短く返事をする。その視界は僅かに滲んでいた。

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