四、免れた後に

 かざした手の下に横たわる黒い塊。薄暗い部屋の中で皆が注目する。

 流れる時間は遅く、部屋を満たす空気は重い。

 それを彼女の言葉が吹き飛ばす。



 「免れました」



 息を小さく吸い込み、顔を上げる。顔の右半分を手で覆った状態で主人様を見つめる梅君うめのきみ。その細い目の奥は淡く光っていた。


 彼女の言葉に安心し、主人様にかざしていた手を引っ込める。覆い隠していた黒い霧が薄くなり、中から主人様の顔があらわになった。

 荒く繰り返す呼吸は静かになり、眉間に出来たシワはもうない。


 病により起こりうる最悪の未来。それからのだ。


 かざしていた手を自身の胸に当て、静かに長い息を吐き出す。

 すっかり冷たくなってしまった手。もう一方の手で揉みながら、一人温めていく。まるで、頑張った自分を褒めるように。

 

 病に苦しむ主人様。知らなかったとは言え、私の手で苦しい思いをさせてしまった彼を救うことが出来た。

 

 振り出しに戻っただけの事実が、今は只々嬉しい。



 「貴方の仕事は終わりましたよ」



 「あ、はい! すみません」



 貫くような言葉が、浮き足立つ私を正気に戻す。顔を上げた先には冷たい目があった。


 私の役目はその場しのぎでしかない。僅かに出来た猶予の隙にで治し、事態を免れたかを確認する。

 何度も繰り返したことのある一連の流れ。普段なら分かっているはずのそれも、主人様を救えた喜びが思考回路を鈍らせた。


 座ったまま帳台ちょうだいから降り、主人様に深々と頭を下げる。そして、そそくさと部屋の隅へと移動した。



 「さて、藤君ふじのきみ。選んでいいですよ」



 斜め前を向いた梅の君の視線は温かく、声も柔らかい。心なしか口角も少し上がっている。私に向けられる物とは全くの別物だ。


 普段からこのような話し方なのか。邪魔者が消えたから優しくなったのか。真相は分からない。

 ただ私の存在が不快にさせているのは間違いないのだろう。


 息を止め、込み上げる感情に蓋をする。このまま部屋の隅で気配を殺していれば迷惑をかけることはない。



 「本当ですか? お姉様」



 「……何度も言わせないでください。私は貴方の姉ではありません」



 「分かってますよー、梅君うめのきみ。冗談ですよ、冗談」



 「まったく……仕方のない『妹』ですね」



 「やった! 本人からの許可いただき!」



 両手を挙げた少女を梅の君が優しく見つめる。


 血は繋がっていないのに、姉妹のように慕い合う。聞き飽きたやり取りと、分かりやすい嫌がらせ。この場にいるだけで、自然と吐き出す息が重くなる。



 「さーてと。お姉様からの許可も得ましたし……そうですね。今日はやめておきます」



 「分かりました。それでは今日はお休みということで」



 謎のやり取りを終えた二人は徐に立ち上がる。咄嗟に身をすくめるが、そんな私を気にすることもなく部屋を歩く。



 「え?」



 僅かな猶予の間に治癒を施し、事態を免れたか未来を確認する。

 これまで幾度となく繰り返してきた一連の流れ。その仕事が変わることはない。この仕事のために私たちは妃に選ばれたらはず。なら役目を果たすのが私たちに与えられた義務だ。


 しかし、彼女たちは何もすることなく出口へと向かう。

 

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