二、呼ばれた理由


 屋敷を結ぶ長い廊下。廊下と言っても屋根のついた橋に過ぎない。大雨の日は床板が濡れ、風の日は凍てつくような寒さに襲われる。


 呼ばれるたびにここを通る。階級が下の者に拒否権はない。

 下級貴族となり敷地の隅に追いやられてしまった私の住まい。季節や天候に大きく影響を受ける廊下を決められた服装で歩く。

 幾重にも重ねたまとった着物と顔を隠すための。階級が何であろうと妃であるならば、この装いで外に出なければならない。

 長々と続く板張りを肩書きを着飾り歩く。落ちぶれた下級貴族にはお似合いの罰だ。


 

 ふと立ち止まり、高欄こうらんへと静かに歩み寄る。

 日の光に温められた板材の温もり。いつのまにか力んでいた足先の力が徐々に抜けていく。


 たわむれる鳥たちのさえずり、足下を流れるせせらぎの音。時折吹く風が草木を奏でる。

 桜の木に一番乗りした小鳥が、まるで開花を急かすかのように木を揺らした。


 しばらくすれば蝶も舞い始めるのだろう。柔らかな陽だまりの世界に生き物たちが躍り出る。

 庭に植えられた桜は日毎に花開き、やがて地面を花びらで埋める。

 夏は青に、秋は赤に、冬は白に染まる中庭の景色。四季折々の色と生き物の声が織りなす情景はいつ見ても心を震わせる。


 

 この時間が続けばいいのに。



 天候に恵まれた時にだけ見える景色を楽しむ。私にある楽しみはこれくらいだ。


 階級だけの世界には私の居場所はない。

 歩くだけで陰口が聞こえ、部屋では母の遺品に劣等感を叩き込まれる。

 そんな惨めな私を周りは面白がった。


 朝起きたら部屋に動物の死骸が置かれていたり、横殴りの雨の日に意味もなく呼ばれたり、廊下に糞尿が撒かれていたり。

 どこにいても飛んでくる嫌味や嫌がらせの数々に私は、ただ耐えることしか出来なかった。



 「何してんの?」


 

 不意に声がかかる。

 振り返ると少女がいた。


 麦色の長い髪に幼い顔立ち。成人したばかりの彼女は小柄で、私より拳一つほど低い。少しだけ釣り上がった大きな目は、攻撃的な猫を連想させる。



 「……藤君ふじのきみ。その……籠は? それに服も」



 私より三つ年下の少女。まだ成人したてだが、彼女も妃の一人だ。

 私より上の『藤』の位を持つ持つ彼女が素顔を見せて歩く。幼少期はそれでも問題なかったが、今は違う。

 外に出る際は籠を被る。それに主人様の側にいるなら、正装でなくてはならない。袴に単衣ひとえまとっただけの普段着はもってのほかだ。


 しかし、それを私如きが注意していいものか。



 「今は私が聞いてるんですけど。下級貴族の人が、気安く質問しないでくれます?」



 腰に手を当て、呆れ顔で言葉を溢す。

 貴族になりたての彼女に品がないのは仕方ないことなのだろう。それでも、攻撃的な口調の少女に言葉を返せなくなる。



 「……」



 「主人様の容体など気にも止めない。でも気持ちだけは未だに上流階級。よく生きていますね。本当恥ずかしい」



 「すみません……え?……その……容体とは?」



 「伝言の一つですら理解出来ないなんて、本当に哀れな人。言われませんでしたか? 『主人様の容体が悪化するので、梅君うめのきみの所に行くように』と」

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