59話 風邪
黒野だ。突然だが風邪をひいてしまった。
文化祭で意外と自分も疲れていたんだと思う。体が39℃の高温になり意識が朦朧とする。ババァに風邪をひいたと言ったら「風なんて唾を付けとけば直る」という名言を残した。一体何処に付けるというのだろう?もう突っ込む気力も無いので無視をした。
風邪になって何が一番ネックかというと、コーヒーが飲めないことである。これもババァが「病人がコーヒーなんて飲んでるんじゃねぇ、ポカリ飲め、ポカリ」言い出したせいである。もう甘たるい飲み物は勘弁だ。コーヒー、コーヒーを私に飲ませてくれ。じゃないと禁断症状が出て、自分でも何するか分からんぞ。
ババァもパートで出て行ったから今がチャンスだ。近所の自販機でブラックの缶コーヒーを買って来よう。そうしよう。
私はフラフラだったが何とか立ち上がり、パジャマ姿で壁に寄りかかりながら玄関の方に歩いて行った。
”ピンポーン”
タイミングが良いのか悪いのか、こんな時に家のチャイムが鳴った。チャイムが鳴ってから動き出そうとすれば億劫だったが、もう立ちあがっているので、そこまで苦じゃない。しかしながら来客が出たということは、その相手をするのでコーヒーからまた遠ざかるということである。全くこんな時に一体誰だ?
玄関の引き戸をガラガラと開けると、そこには見知った顔の女の人が立っていた。
「黒野さん、お加減はどうですか?」
立っていた人は祥子さんだった。青い手提げ鞄を両手に持って、いつもの白いワンピース姿である。他の私の周りのロクでも無い奴らだったらどうしようかと思ったが、祥子さんなら話は別である。いつもお世話になってるしな。
「風邪はまぁまぁです。それより祥子さん、すいません。今日はバイトで入る予定だったのに。」
「いえいえ、父も風邪なら仕方ないねと言っていましたし、黒野さんは何も気にしないで良いですよ」
玄関で軽く話をした後、私は自分の部屋に祥子さんを招き入れ、布団の上にドスンと座った。祥子さんも布団の傍らに座る。さてさて風邪なんて滅多にひかないもんだが、病人と見舞いの人は何を話すのだろうな?政治経済とかか?
「黒野さん、もし良かったら少し話を聞いて貰って良いですか?」
「えっ?まさか相談?」
まさかのココに来ての相談である。流石に病人になってまで相談を受けないといけないことは無いと思うのだが、祥子さんは天然なので仕方ないところはある。
「い、良いですよ。どんなことですか?」
「実はMaryにメニューを追加しようとしたんですが、父に猛反対されましてね。何故なのか理由を知りたいのです。」
「ほぉ、新メニューね。一体何なんです?」
祥子さんも店のことをちゃんと考えているんだな。さてさて一体どんなメニューを考えたのか?気になるところである。
「お寿司です。」
「はぇ⁉」
す、寿司だと?……いかんなこれは、あまりにも高温になっている為に幻聴が聞こえているんだ。それでなければ夢だろう、しかも悪夢の類の夢である。
「寿司プレートを出そうと言ったら、父が珍しく声を荒げて怒りまして、何がそんなにいけなかったんでしょう?」
首を捻って本当に訳が分からないといった感じの祥子さん。二度も寿司と聞こえてきたら流石に幻聴では無いだろうし、このリアリティは夢ではなく現実ということだろう。
熱が出て頭が痛いというのに、こんなことに真面目に答えないといけないのかと思うと今にも倒れそうだが、私は極論を答えることにした。
「酢飯とコーヒーが合わないからじゃないでしょうか?」
「あっ、流石は黒野さん。聡明ですね」
こんなことで聡明といわれるのは甚だ遺憾だが、一応誉め言葉だし、祥子さんも晴れやかな顔になったから何も言わないでおこう。
「相談のお礼といっては何ですが、これを持ってきました」
そう言って祥子さんは手提げ鞄から水筒を取り出し、水筒から外したコップに水筒の中の液体を注ぎ込んで行く、見た目は麦茶に似ているが一体何だろうか?
「それは何ですか?」
「コーヒーです」
「コーヒー?」
これがコーヒーだとしたら、いよいよ私の目がおかしい。体を休めないといけないな。
「はい、ただし水で10倍に薄めたコーヒーです。これなら病人の黒野さんも飲めるかと思いまして」
……水出しコーヒーというものはあるが、水で薄めたコーヒーは初めて聞いた。これはコーヒーに対しての冒涜じゃ無いだろうか?
「どうぞ♪」
祥子さんは笑顔でコーヒー?の入ったコップを渡して来た。こうなると無下には出来ない。私は意を決してコーヒー?を飲むことにした。
ゴクゴクと全部飲み干し、私は素直な感想を祥子さんに伝えることにした。
「これは水です。」
なんだか満たされない気持ちになり、早く風邪が治ることを切に願った。
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