57話 心歌
向田 安江よ。
娘のライブは始まっているというのに、私は体育館の扉を開けるのを躊躇していた。どうしても中に入る勇気が湧いてこないわ。
「どうした?」
不意に後ろから声を掛けられて振り向くと、モジャモジャの頭の黒野 豆子がそこには立っていた。さっきと違い学生服なので、本当にこの子は高校生だったのだと再認識した。
「アナタ、さっきの白装束はどうしたの?」
「あのね、もうクラスの出し物タイムは終わったの。いつまでもあんな格好してるわけ無いっしょ。」
「それもそうね。」
「で、なんでおばさんは体育館の扉の前で溜息なんてついてたの?」
「扉を開ける勇気が出ないのよ。これで邦美の歌を聞いて、もしも自分が否定的な考えが浮かんできてしまったら・・・とても嘘を付けそうにないの。バンドなんてやめて勉強しなさいって言ってしまいそうなの。」
そうして邦美との関係が今以上に悪くなるのが私には怖くて堪らないのだ。そうなってしまっては、もう二度と私達は分かり合えなくなる気がするの。
「そっか、でもねおばさん。聞かないで問題を後回しにするより、今聞いて問題に向き合った方が10倍ぐらいは良いって、アタシは思うよ。だからさ勇気が出ないなら私も一緒に入ってあげるから、一緒に中入ろうよ。」
「・・・黒野さん。」
最初は小うるさい偉そうな子供と思っていたけど、今では世話好きで面倒見の良く、物事を自分なりの観点で見ていて、それを堂々と発言する、大人の私でも憧れるような女の子という認識に変わったわ。
こうして私は黒野さんと一緒に体育館の中に入った。
「はい、ありがとうございましたッス。『黒い羊』でした。」
向田 邦美よ。二曲目の曲が終わってもママはやっぱり来てくれてない。もう私達は一生分かり合えないのかな?
「次で最後の曲になるッス。『橋の下』って曲なんで皆最後までノリノリで聞いて下さいッス‼」
わぁああああ‼と盛り上がる体育館。私達の歌が良いのか、それとも文化祭特有の熱に当てられてかは分からないけど、客のノリが良いと歌いやすい、駅前で一人でやる時とは大違いだ。
ダンダンと翔がドラムでリズムを刻み、亜希子姉さんのベースの音に合わせて、私と信子がギターを搔き鳴らす。四人の音が怖いぐらいに息がぴったり、今なら誰だって納得させられるぐらいの演奏が出来そうだ。でも一番聴いて欲しい人が今来てないんだよね。
シュンと落ち込んでしまいそうになったその時、私は不思議な体験をした。
「がんばれー。」
これだけ楽器の演奏でうるさくなっているのに、観客の方から、か細い声が私の耳に入って来たの。気になって声のした方を見ると、観客の後ろの方で手に口を当てて心配そうに私のことを見ている・・・ママがいた。
思わずママ‼と叫び出してしまいそうになったけど、今から4秒後に歌を歌い出さないといけないことに気が付きグッと堪える。そうだ私は声じゃなくて歌で伝えないといけないんだ。私は大丈夫だよって、あの人の心に届けないといけないんだ。
私はそこから精一杯歌った。声がこの後に枯れたって良い、今頑張らないと一生後悔する。私のして来たことを母に伝える最後のチャンスだと言わんばかりに一生懸命に声を張り上げた。
気が付くと私は泣いていたし、お母さんもボロボロ泣いているのが見えた。同じ場所、同じ時に、互いに泣いたので、久しぶりに家族が繋がった気がして嬉しかった。
今日は最高のライブだ。全ての人に感謝します。
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