11話 深夜
私こと黒野 豆子は登山のことは全く覚えて無い。キツイ、辛い、帰りたい、こんな想いだけが残り、あとは頭から抹消したからである。
もう自分がちゃんと登頂して下山したことすら覚えていないのである。
山の麓にある宿泊施設『稲荷の屋敷』の自分達の部屋に着くなり、ジャージ姿のままベッドに倒れ伏した。
「おーい、黒野。もうすぐ晩飯だぞ。おーい黒豆ー」
ぼんやりと真知子の声がしたが、私は反応することが出来ない。食欲もあまり無いしな。まぁ、真知子のことはあとで殺すがな。
こうして私は晩飯をスルーして、そのまま深い眠りに落ちた。それがいけなかったのかもしれない。
“ぐぅぅうううううううう‼”
……まさか自分の腹の音で起きるとは、いくら私と言えども少しばかり恥ずかしい。上体を起こしてみると部屋の中は真っ暗で、他の三人の同室の女達はスース―と寝息を立てて、もうすっかり寝入っている。私が寝ている間に、かしましく恋話でも話していたんだろうか?明日にでも真知子に聞いてみよう。
ちなみに部屋の通路を挟んで右左に二段ベッドがあり、私は右側の下のベッドで私は寝ていた。
時刻は深夜の二時、もう夜更かしするにしても寝る時間だが、どうにも腹が減って寝ることが出来そうにない。自販機の置いてあるところに行けばカップ麺でもあるだろうか?
と、その前に真知子に制裁を加えなくては。私はスマホのライトを使って上のベッドへ行く梯子を照らしながら登り、幸せそうに寝ている真知子に眼鏡やら鼻毛やらウンコの落書きを描いてやった。もちろん使ったペンは油性である。クックク、明日の朝が楽しみだ♪
復讐を終えた私の足取りは軽く、コッソリと部屋を抜け出し、自動販売機のコーナーまでスタスタ歩いて行く。廊下の電灯は消されていたが、足元の壁に埋め込まれている照明は光っているので助かった。その上、見回りの先生や警備員の姿も見えないので私は楽々目的の場所に辿り着けた。
しかし、そこに見知った顔を二つ見ることになった。
「あっ、黒野さん。こんばんは」
「おー黒野さんだ」
佐藤 幸喜と西村 昴の両名が、自販機コーナーで談笑していたのである。変な組み合わせだな。
「お前ら何でこんなとこに居るんだよ?私が言うのもなんだけど、部屋に戻った方が良いぞ。」
「それがですね豆子さん。西村君が部屋で風見先輩に会いたいって泣き始めまして、それがうるさくて西村君は同室の他の二人から追い出されまして。僕も何故だかそれに巻き込まれて追い出されました」
「なんだそりゃ。バカなのかお前達」
「い、いや僕は巻き込まれただけですよ……ふぁ~眠い。」
欠伸をして眠そうな佐藤に対して、西村の奴は追い出されたくせに妙に幸せそうな顔 をしている。聞くほどの事でも無いと思ったが勝手に喋り始めた。
「さっきまで紀ちゃんとラブラブトークしてたんだよねぇ♪顔が見えなくても声だけでどんな顔してるか分かる域まで達してる俺って凄いよなぁ♪」
「あー凄い凄い」
私が引き合わせてなんだが、こんな男の何処を風見先輩は好きになったのか未だに謎である。ウザいだけじゃないか。
「豆子さんはどうして起きてきたんです?というか食事の時間も居ませんでしたよね?」
「疲れて寝てたんだよ。山登りなんて二度とやらない」
「えっ?そのまま寝たんですか風呂にも入らず?ちょっと女子としてそれはどうかと。」
いっちょ前に佐藤の分際で私に意見するとはな。だが待てよ、そういえば体もベタベタしないし、服の上から下着をのぞくと新しい物になっている。ということはまさか……。
「部屋にいる奴らが寝ている私の体を拭いて、着替えさせてくれたみたいだ。よって私は汚くない」
「……いや自信満々で言うことですか。同室の人達優しいですね。」
あぁ、なんて優しい奴らなんだ。そんな一人の顔に落書きしてしまったが、黒豆呼びは万死に値するし、相手が真知子だから気にしなくて良いだろう。
「私はお腹が空いててな。カップ麺とかの自販機無いか?」
「いや飲み物しか無いですね。ブラックコーヒー奢りますよ」
「良いの?あざーす」
本当はカップ麺を食べてから、コーヒーで一服したかったんだが、まぁそれはそれとして寝起きに一杯。ファイアのブラックをいただくことにしよう。久しぶりに飲むがこの缶は表面が凸凹してて手間かかってるよな。
”ゴクゴク”
「あぁああああ♪」
思わず感嘆の声を上げる私。スッキリとした後味のコーヒーが空きっ腹に浸透して、何とも言えない快感だ。
登山合宿に来て初めて喜びという感情に出会った。
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