10話 遭難 後編

「あはは、そいつは災難だったな」


「あはは、えぇ、全く」


 黒野だ。

 あれから何時間経っただろうか?

 最初は怖かったクマも今ではこんな風に談笑している。

 外は相変わらずの猛吹雪で外には出れそうも無いが、この洞窟でなら何時間でも暇を潰せそうだ。美味しいコーヒーも出るしな。

 しかし、一つ気になることがある。このクマはどうしてこんなに寒いのに冬眠していないのだろう?普通こんな時はクマって生き物は冬眠している物である。オマケに今頃になって気付いたが頬も痩せ細り、体にもガリガリで迫力が全く無い。

これは話を聞いてみるか。


「なぁクマさん。どうしてお前は冬眠もせずにそんなにガリガリなんだい?」


 私がそう聞くと、クマは少し困った顔をして言い淀んだ。しまった、センシティブな質問だっただろうか?恩人、いや恩熊に対して失礼なことをしてしまった。


「すまない、言いたくなかったら言わないで良いぞ」


「い、いえ、そういうことでは無いのですが。こんな個人的なことをアナタに言うのもどうかと思いまして、何だか悩みを聞いて貰うみたいで心苦しいというか」


「いいよ、悩みを聞くのは慣れているから。話してみてくれよ。それだけでも楽になるかもしれない」


 悩みを聞くのは慣れている。恩人の悩み一つ聞けないのであれば、相談屋も廃業しなければならないだろう。


「そ、それじゃあ話をさせてもらいます。実は私こう見えて雑食なんですが」


 話の腰を折るようで何だから何も言わないが、それは知っている。


「ある時、同じ生き物を殺すことが可愛そうになってしまい、最近では肉は食べずに木の実ばかり食べていたんです。そんな折に冬眠する季節になりまして、やはり木の実ばかり食べて食いだめして寝たんです。でもやはり冬眠するとなると、生き物を食べないと乗り切れなかったんでしょうな。途中で起きてしまいました。この吹雪の中、頑張って食べれる物を探しましたが、やはり私が食べるようなモノは一つもありません。それでこのありさまというワケですよ。ははっ」


 自分の体を見ながら自虐的に笑うクマ。

 なるほどな、人間でいうところのヴィーガンみたいなもんか。そんなクマが居るとは知らなかったが、もしかするとクマにも多様化の時代が来ているのかもしれない。

 しかしながら恩人が餓死するというのに、それを黙って静観しているのもな。


「私はもうじき飢えて死ぬでしょう。ですが後悔はありません。自分で選んだ道ですから。最後にアナタの様な人に出会えて良かったです。楽しいお喋りをありがとう」


 私は考える。こんなに良いクマを死なせて良いモノかと。このクマが居なければ私は、とうの昔に凍死して死んでいたんだ。だからそのクマの恩に報いなければいけないのでは無いだろうか?そう考えると私に出来ることは一つである。


「クマよ、私を食べるんだ」


「……えっ?」


「私はあんまり肉は付いて無いが、食べれば少しばかり腹も膨れるだろう。味は保証しかねるけどね」


 コーヒー飲み過ぎて、ほんのりコーヒーの風味とか付いているんじゃないかな?


「そ、そんなことは出来ません。アナタを食べるだなんて、そんなことは……」


「そう言いながら涎を垂らしているの何故だい?」


「はっ‼」


 急いで口から垂れる右手で拭うクマ。体は正直である。


「私はどの道この吹雪が止むまで動けない。吹雪が止む前に死んでしまう可能性の方が高いだろう。だからそうなる前、新鮮な内にアタシをアンタに食べて欲しいんだ。恩人であるアンタの血肉になるなら本望だよ」


「いや、それは……何を言ってるんです、そんなことは出来ません」


 こりゃあと一押しと言ったところだろうか?


「生きる為には他の命を犠牲にして生きなきゃいけない。それは動物も植物でも変わらないことなんだよ。お前さんの信念は立派だが、自分が死にそうなのに相手に気を使う必要は無い。アタシを食べて良いんだよ」


 生きていてこんな台詞を言う時が来るなんて思いもしなかったが、人生何があるか本当に分からないものだ。

 クマは私から目を背けて俯く。本当にクマとは思えない程に繊細なクマである。


「さぁ、食べな」


「や、やめて下さい」


「さぁ、さぁ」


「い、嫌だ」


「食べるんだ‼」


 私がそう強めに言うと、クマはとうとう辛抱堪らなくなったのか、大口を開けて私に襲い掛かって来た。


「グガァァァアアアアアアアアァアアアア‼」


 始めて熊らしい雄たけびを上げるクマだが、目から涙が出ているので締まらないじゃないか。

 今から食べられるのだろうが、私には毛程の後悔も無い。

 最後に美味しいコーヒーを飲めたんだ。これ以上幸せなことがあるもんか。


“ガブッ!!”




 次に私が目を覚ますと、そこはクラスメート達が騒がしい、大型バスの車内だった。私は一番後ろの長い椅子に赤いジャージ姿で友達と座っている。

 寝汗が酷く、気分は最悪だった。


「夢オチかよ。通りで色々おかしかったワケだ。」


 クマが喋るのも、クマがランプに明かりを灯したり、コーヒー淹れたり、そして私がやけにあっさりとその身を捧げたのも全部夢のせいか。

 でも、あの頭から食べられる感覚は妙にリアルだったな。怖かった。


「どうしたのよ?豆子。」


 そう右隣りから話し掛けて来たのは小学校からの腐れ縁の井上いのうえ 真知子まちこであり、そばかすと三白眼がトレードマークの姉御肌な女である。私が何でも気兼ねなく話せる貴重な女だ。


「いやさ、雪山で遭難する夢見ちゃってさ」


「ぷっ、バカねぇ。今は七月よ。こんなクソ暑い時期に雪山で遭難する夢見るなんてアンタ変わってるわ」


 私の右肩をバシバシと叩きながらケタケタと笑う真知子。バカにしてきやがって腹立つわ。


「痛いからやめろ」


「それにさ、登山は今からなんだからフライングすんなよな。まぁ、標高860メートルの山じゃ遭難はしないだろうけどさ」


 ……そうなのである。今から登山しないといけない。

 というのもウチの学校は二年生の夏休み前になると登山合宿しないといけない風習があり、これから二年生全員で山登りをしないといけない。よって体力のない私は戦々恐々しているわけだ。だからあんな夢を見たのだろうか?


「片道二時間半で往復で五時間。一緒に頑張ろうね♪」


 あからさまにムカつく笑顔を見せてくる真知子。ウゼぇマジで。

 これならクマに食べられて死んだ方がマシだったかも?とか考えながら、私は揺れるバスの車中で憂鬱になるのだった。



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