9話 遭難 前編

はい、黒野豆子。いきなりだけど遭難した。

しかも、猛吹雪である。ダウンジャケットを羽織り、下も二枚ほどズボンを重ね着しているが寒くて仕方ない。視界も悪く似た様な銀世界が広がっている。

こんな山を二年生がハイキングするという行事を決めているウチの学校はどうかしている。特に私は一般の中学生女子に比べて体力の少ない文化人である。何とか歩いて来たが、そろそろ体力の限界だ。


「もう駄目だ。」


ドサッと前のめりに倒れる私。よくこうやってドラマやバラエティ番組で雪に倒れて後を付けたりするが、残念ながら立ち上がることが出来ないので、その後を見ることが出来ないのが残念である。

齢14歳だが一瞬一瞬生きて、悔いのない人生を送って来た私だ。死ぬこともそこまで怖くも無い。ただ一つだけ願いが叶えられるなら、最後に一口のホットのブラックコーヒーを飲ませてくれ。それが缶コーヒーでも構わない。とにかくブラックコーヒーを飲んで私の人生の有終の美を飾りたいのである。

って、まぁ、無理だよな。ドンドン瞼が重くなって来たし。このままサヨナラバイバイだ。

意識の亡くなる直前にドシンドシンと何か黒い大きな物体が私に近づいて来ていたが、大型生物に食われるにしても構うものか。どうせ死んだら骨だけよ。自分の死肉がどうなろうが知った事じゃない。

・・・祖母ちゃん、ごめんね。


ふと次に目を開けると、そこは真っ暗な世界であり、死後の世界かと考えたが、ゆっくり立ち上がってみると妙にリアリティがあった。


「おっと目が覚めましたか?少々お待ちください。」


渋くてカッコいい中年男性と思われる声がした。誰だろう?地獄の水先案内人だろうか?

そう私が考えていると、ぱぁと辺りが明るくなり、その渋くてカッコいい中年男性の容姿が明らかになった。

まずそうだな、体中が毛もくじゃらなんだ。そして体もデカい2メートルはゆうに超えている。そして耳もあって、服なんか当然着ちゃいない。まぁ有り体に言って熊だった。


「ぎゃああああああああああああああ‼」


流石の私でも絶叫した。目の前に突然リアルクマが現れたのである。もう絶叫するしかあるまい。


「お、落ち着いて下さい。そうだ今からコーヒーでも淹れましょうか?」


「ぎゃあああああ・・・・えっ、コーヒー?飲めるの?」


クマの口からコーヒーという単語が聞こえて、私の悲鳴がピタッと止まった。カフェインを体が欲しがっているので、恐怖でおののくよりもコーヒーが飲めるかもしれないということに無意識で反応してしまったのかもしれない。

というか、このクマ喋ったか?


「はい、少しお待ちください。人間から拝借したコーヒーメーカーセットがありまして。準備まで少しお待ち下さい。」


そう言うとクマは奥の方に引っ込んで行った。

ちょっと待て、状況を整理しよう。まず、ここは洞窟らしい。クマがさっきランプに火を点けて辺りが明るくなり、大きくて先が見えない程の穴であることが確認できた。クマは喋るし、ランプに明かりを灯すことも出来るし、コーヒーも淹れられるらしい。そして外を見るとゴーゴーと音がするぐらい凄い吹雪である。先程よりも威力が増しており、あれでは外に再び出ることは困難である。

洞窟にクマと二人・・・いや一人と一匹っきり、これはヤバい状況なのだろうが、奥の方から淹れたてのコーヒーの良い匂いがすると、焦りも心配も薄らいでしまった。生きようが死ぬにしてもコーヒーが飲めるのだから些細な問題である。


「お待たせしました。一応ブレンドコーヒーです。」


コーヒーを皿に乗せて両手で持ち器用に二足歩行で運んで来るクマ。先程もランプに火を点けたし、その器用さを生かしてサーカスにでも就職すれば一躍人気者になれることだろう。

カチャリと私の傍にカップと皿を置いて、ニコッと笑うクマ。接客態度も素晴らしい。


「ありがとう。またコーヒーが飲めるなんて夢のようだ。」


私は心からの感謝の気持ちを伝え、コーヒーの入ったカップを手に取る。カップからは湯気が立ち上っており、その湯気が顔に当たりコーヒーの匂いが私の鼻腔をくすぐると、何とも言えない幸福感で涙が出そうになった。

幸福感に包まれながら、ズズッとコーヒーを一すすり。


「んーーーーーー♪」


幸せ過ぎて声にならずに唸ることしか出来ない。舌で感じる程よい酸味とコクのある苦み、私の行きつけの【Mary】のコーヒーに非常によく似ており、馴染みのある味に安心感が湧いて来た。そうして喉をコーヒーが通過した後、私は頬を赤らめて何年振りかの満面の笑みを浮かべたことだろう。この劣悪な環境下で飲むコーヒーは一時の癒しであり、これで死んでも、もう私に思い残すことは無かった。


「本当に重ね重ねありがとう。」


「いえいえ、私なんか獣が淹れたコーヒーを美味しそうに飲んでくれるなんて、私の方こそお礼を言いたいですよ。」


まさかこんな洞窟でクマと二人で笑い合うことになるとは思わなかったが、こんな状態のまま後編に続く。

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