8話 愛情

黒野 豆子だ。今回も2-2の教室からお送り・・・しません。

今日は休日に行きつけの喫茶店【Mary】に来ている。カウンターの席に座りコーヒーが来るのを今か今かと待っている。

【Mary】は木造のレトロな古き良き昔の喫茶店であり、ランプの照明が店内を柔らかな光で照らし、壁にはここのマスターが海外旅行先で買って来た絵や民芸品などの異国情緒溢れるインテリアが掛けられており、店内にレコードでジャズ音楽が流れているのも抜かりない、これらの要素が重なり合い雰囲気作りがバッチリなのが素晴らしい。そして何よりコーヒーが美味いのだから、もう何も言うことは無い。

白い髪を後ろに束ねた50代過ぎのマスターが、サイフォン式のコーヒーメーカーでコーヒーを淹れているところを見るだけで心が癒される。

私が頼んだのはブレンドコーヒー、勿論、砂糖やミルクは要らない。豆本来の風味と匂いを楽しむ為にはやはりブラックで飲むのが一番・・・。


「もういい‼」


突然の大声にビクッとなる私。もういいって、私のコーヒー語りがうるさかったってことか?いやしかし口には出して無いから聞こえる筈はないのだが。

チラリと声の聞こえた窓際の席に目を向けると、そこにはテーブル席に二人の男女が向かい合うように座っており、どうやら白いワンピースを着た女の方が立ち上がってヒステリーを起こしているらしい。

揉めるな揉めるな、ここは雰囲気ある喫茶店だぞ。近所にファミレスがあるから、揉めるならそこで揉めなさい。

そう頭で願ったものの、女の方は鼻息荒く軽い興奮状態にあり、収まりきらぬ怒りを発散させようとしていた。


「アナタは私を愛しているの?私はこんなにもアナタのことを愛しているのに‼」


中々の言いようだな。まぁ、人様の恋愛事情に頼まれてもいないのに首を突っ込むつもりは無いもう好きにしてくれ。

男の方は怒鳴られているのに至って静かで、怒鳴り声を上げる女の話をジーッと聞いている。その態度が女の苛立ちを加速させる。


「何とか言いなさいよ‼」


「・・・。」


「あーもう‼別れましょう‼さようなら‼」


女はそれだけ言うと、怒った様子で出口の方にドンドン‼と凄い足音を立てながら歩いて行き、乱暴に出入り口の扉を開けて出て行ってしまった。

店内にはベルが激しく鳴り響いたが、一時すると鳴りやんで、また喫茶店にはジャズ以外の音はしなくなり、女が騒いでいた事実を過去のことにしてくれようとしている。

一人取り残された男はフーッと深い溜息を着いた後、徐に席を立ち上がって私の方に歩いて来た。男の格好は上は白いシャツに下は青いジーパンというシンプルな格好だが、顔が鼻筋の整ったイケメンなので、もう服なんて何を着ても良いと言った感じである。

イケメンは私に近づくなり深々と頭を下げた。


「すいません、うるさくしてしまって。」


騒いでいたのは女の方なので、別にイケメン君に謝られることも無い。というかもう忘れたいので早く自分の席に戻って欲しい。


「いやぁ、別に大丈夫ですよ。気にしないで下さい。」


早く席に着くんだイケメン君。私は休日は一人でコーヒー飲みながら、まったりしたいのだよ。


「マスターもすいませんでした。」


今度はマスターにも頭を下げるイケメン。マスターは静かに頷き「気にしないで下さい」と渋くて良い声で答えた。

さぁ、謝ることは終わっただろう。自分の席に戻るんだ。

祈るように私はそう念じたが、何を思ったかイケメン君は私の隣の椅子に座り始めた。何だか嫌な予感がする。これはまさか・・・。


「僕って表情に感情が出にくくて、何考えてるかよく分からないって言われるんです。」


私の方を向いて淡々とそう語りかけてくるイケメン。やっぱり相談の流れじゃねぇかよ。ふざけんな、今日は相談はお休みだよ。休日も働いてたら労働基準監督署に怒られるぞ。

だがイケメンの語りは止まること無い。


「でも僕は彼女を愛していたんです。心の底から。それが彼女には伝わってなかったらしく、付き合っていく内にだんだんと彼女が苛立ってきているのが分かりました。彼女は僕と違って喜怒哀楽の表情が豊かですから。」


確かに先程の激昂を見るに、彼女は感情表現が豊かなのだろう。こんな雰囲気の良い喫茶店を一気に恋愛の修羅場に変えてしまうぐらいだもんな。


「僕が悪かったんですよね。彼女が怒るのも無理はない。彼女が別の男と会っていたことも知っていますが、僕なんかと付き合ってたら不満も溜まって、そりゃ他の男とデートもしたくなりますね。」


「えっ、あの人浮気してたの?」


これは突然の急展開である。先程あれだけ愛してるとか言っていたクセに、乗り換える男を決めていたと考えるとゾッとする。


「浮気と呼んでいいか分かりませんが、僕じゃない違う男とデートには行ってたみたいです。僕の友達がたまたまデート現場を見つけて教えてくれました。でも彼女は悪く無いんですよ。全部僕の感情表現が薄いせいです。」


いやいやアンタ悪く無いだろう。あの女無いわ、同性だけどドン引くわ。


「あのさ、アンタ悪く無いよ。あれだけ愛してるだのと喚き散らしておいて、浮気してたなんて、道理に合わないって。どう考えてもあの女が悪い。」


「しかし、僕がもう少し愛を伝えられたら、彼女は浮気なんてしないで済んだかもしれません。」


「いやいや、アンタ良い奴だな。大体さ、愛を伝えるなんて難しいことだと思うよ。抱き締めたり、キスしたり、その先をしたり、普通そういうので愛を表現したりするのかもしれないけど、その行為ですら結局は愛が無くても出来るわけで、私からしてみれば愛してるなんて簡単に言葉にする奴は信用できないね。軽いよ。」


私そういう経験無いのに偉そうに語っているワケだが、それはこの際、何処かに置いておこう。


「それに比べて、あんな女の為に悩んでるアンタ見てたら、あぁ、愛してたんだろうなって分かるよ。近くに居てそれに気づかない女の方が悪いんじゃない?上辺だけで愛を取り繕ってる女には本当の愛なんか分からないんじゃないかな?」


人を愛した経験など無い癖に、恋愛上級者みたいなことを言って気恥ずかしいが、これも相談者の為である。


「そうでしょうか・・・そうなのかな。」


天井の方を向いて一人考える青年。その際、一滴の涙が右目から零れ落ちたように見えたが、あまりに唐突の涙だったので私の見間違えの可能性もあるかもしれない。だがもしそれが本当に流れた涙であるなら、きっとそれこそが真の愛なんじゃないだろうか?

青年はその後、無表情でコチラを向いた。


「相談に乗ってくれてありがとうございます。彼女と別れたのは寂しいけど、アナタが相談聞いてくれたので、いくらか楽になりました。」


淡々と喋る青年の言葉の中に、感謝の気持ちを私はちゃんと感じた。会って間もない私ですら青年の気持ちに気付くことが出来るのだ。だから結局のところ、あの女の人を見極める力が足りていなかったということだろうな。それかただの浮気者のアバズレかも。


「何かお礼がしたいんですが。」


「いや別に・・・」


そこまで言いかけて、丁度私のコーヒーが出来上がり「お待ちどうさま」とマスターが私の前のテーブルにカップに入ったブレンドコーヒーを置いた。カップから立ち上る湯気が早く飲んでくれとアピールしていたので、私は青年との話の途中だったが

カップを手に取り、香ばしい匂いを嗅ぎながらブレンドコーヒーをすする。うんうん、これだよ。ほのかな酸味とコクのある苦みが絶妙で、多幸感が一気に押し寄せてくる。やはり喫茶店で飲むコーヒーは最高である。

この流れから、聡明な読者の皆さんには分かるかもしれないが、青年にブレンドコーヒーを奢ってもらった。ここでも報酬がコーヒーなのは笑ってしまうが、500円が浮いたのは高校生にとってはありがたいことである。


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