第318話 誓いの時 希望の瞬間
もともと話は詰めていたのだ。
ジャンカルラ到着の翌日から、両代表は『ホテル・モンステラ』で会談を開始。
最終合意へ向けた調整が、2日間にわたって行われた。
その2日目の会談が終わった10月8日の夜、厳密には9日の午前1時。
「思ったより、早く片付いたな」
シルビアとジャンカルラは、ホテルのラウンジで向かい合っていた。
「そうかしら? 私はそうでもないと思ってるけど」
「このぐらいの時期なら、ちょうど君の誕生日に合意発表、なんてのも。そう思ってたんだよ」
「それはよくないわ」
シルビアの前にはホットウイスキー。
「どうして?」
「あくまで対等の講和なのに、『私のため』みたいになるわ。ただでさえ皇国領で行なっているんだし」
「ま、そこは
ジャンカルラの前にはカフェ・マキアート
があったのだが、すでに空になっている。
彼女が手を挙げると、深夜にも関わらず近くに控えていたスタッフがすぐに現れる。
「エスプレッソを」
「砂糖やミルクはいかがいたしましょう」
「んー、いらないかな」
「かしこまりました」
品のいい働き盛りな彼は、嫌な顔ひとつせずにカウンターへ向かう。
むしろ、全ての市民の希望を結実させるため向かい合った二人、
そのリラックスタイムに尽くせることに喜びを感じているようだった。
もしかしたら彼は、のちのち孫にまでこの時間に立ち会ったことを自慢するかもしれない。
そう思うとうれしいことだし、
今さらだけど、私、語られる人物になったのね。
語られることを成し遂げたのね。
少しむず痒くなるシルビアであった。
せっかく気を抜いているのだ。気負いたくもない。
「この時間にコーヒー2杯も飲んで大丈夫なの?」
彼女は軽口で相手へ絡むことにした。
「だからシュガーはやめといたじゃないか」
「そういうこと言ってるんじゃないのよ。寝れなくなるわよ」
ジャンカルラはふふんと笑い、テーブルへ片肘を突く。
「僕はあまり食べ物の影響を受けないのさ。食べても太らないし、カフェインも効かない」
「かわいそうに。内臓が悪いのね」
「なんだと? 君こそ痩せちゃってさ。こんな時間にウイスキー、ナイトキャップがないと寝られないんじゃないだろうな?」
「そんなことないわよ。ちゃんと寝てるし、体重もキープよ」
「じゃあSt.ルーシェの頃が太ってたんだな」
「なんですって?」
「エスプレッソです」
心地よい声と香りが割って入ったので、軽口合戦は一時休止。
彼女は豊かなローストの湯気を吸い込むと、
「ま、寝れなくたっていいんだよ。給仕の彼には悪いけど、今夜は語り明かしたくてね」
ポツリと呟く。
「そうね。明日になったらマスコミに囲まれて、こんな時間は取れないわ」
「だからあまり飲むなよ? 君が寝てしまったら、僕は壁に向かって話すことになる」
「大丈夫よ。皇国軍の元帥方はよく、蒸留酒飲みながら大事な話し合いしてたわ」
「モラルのない連中だな」
「アンヌ=マリーも涼しい顔してガバガバ赤ワイン飲んでたけど?」
シルビアがジャンカルラには逆らえない聖域で反論すると(その割にはセクハラも目立ってはいたが)、
「アンヌ=マリーか」
意外に彼女は、真面目なトーンでカップをソーサーに置く。
「どうしたの?」
「覚えているか? St.ルーシェの風呂場で話したことだ」
「そんなこと、いくらかあった気がするけど」
「君がアンヌ=マリーと海賊狩りに行ったあとの、ホテルの風呂場だ」
「あぁ」
シルビアも細かいことまでは覚束ないが。
それでも印象深い出来事として記憶の中にある。
「あの時も僕は、『戦争には四つの時代がある』なんて語ったか」
「2回目くらいかしら。『“戦う時代”のあとに、“終わらせる時代”“顧みる時代”がある』ってね」
「僕は思っていたんだ。『アンヌ=マリーは、ただ必死に今を戦うだけの僕や多くの軍人とは違う』『彼女は戦争を、勝ち負け以外で考えられる』」
「……ちょうど、今日の講和みたいにね」
シルビアがホットウイスキーを噛み締めると、ジャンカルラも頬杖を突き、ゆっくり頷く。
「そうとも。だから、僕らが戦い尽くしたあと。『終わらせる時代』に必要なのは、ああいう人物だろう、そう思っていた」
「私もよ」
「思っていたのに」
彼女はソファの背もたれに身を投げ出すと、ため息ひとつ。
自身の左上腕に目を遣る。
そこにあるのは、黒いリボンタイプの喪章。
「まさか僕が、終わらせる人間になるとはね」
「あなた、『自分は関係ない』みたいな顔してたものね」
シルビアは少し笑うが、すぐに
「……私が死なせてしまったから」
沈痛な面持ちになる。
それを腕組みして見つめていたジャンカルラも、
「まぁ、正直、多少は恨みもしたよ」
「多少?」
「多、多、多、多少くらいかな」
素直な心境を吐露する。
が、彼女はすぐに左右、というか斜めへ首を振った。
「でもまぁいいんだ。ここにアンヌ=マリーがいないのは悲しいけどさ。よりによって後釜が僕なのは、彼女の引き合わせだろう」
今度は軽く身を乗り出し、
シルビアがストール代わりに首から掛けているマフラーへ手を伸ばす。
赤白黒のアーガイルチェック。
ジャンカルラがアンヌ=マリーへ贈り、それから彼女の手に渡ったもの。
「今日、ようやく。僕は君を許せる」
その手が生地に触れた瞬間、
「君も、ようやく、自分を許せるね?」
「あ……」
シルビアは、アンヌ=マリーが二人の手を引き、繋がせたように感じた。
「あ、あぁ……」
すると、ポロポロと涙が溢れはじめる。
悲しくはないのに、喜びに満ちているというわけでもないのに。
ただ、軽くなるような、涙を詰めていた
「あああぁ……! うあぁ……!」
止まらなくなって顔を覆う彼女に対し、
向かいに座っていたジャンカルラは、シルビアの座っているソファへ移動する。
一人掛けに無理矢理二人で収まり、密着した状態で彼女の首にマフラーを巻くと、
そのままギュッと抱き寄せる。
シルビアは彼女の胸に顔を
二人分で包まれる温もりを、たしかに感じていた。
明くる日。
来たる2325年10月9日。
15時ちょうど。
ホテルから場所を移し、『国立タチアナ・カーチャ・セナ記念館公園』講堂にて。
多くのマスコミ、いや、全人類注目のなか、
「ではこれにて、私たち皇国と」
「我々『地球圏同盟』との」
皇帝 シルビア・マチルダ・バーナード
講和対策委員長 ジャンカルラ・カーディナル
席に着き向かい合った両者は、テーブルの上の書類にサインし、
「「最終合意成立、及び条約締結ということで」」
立ち上がって堅い握手を交わし、
人々へ向かって大きく、頭上へ掲げてみせた。
響きわたる歓声、万雷の拍手、やまぬカメラのフラッシュ。
どの戦場で聞いた雄叫びよりも、どの戦場で見た閃光よりも強い、
平和が戦争を乗り越えた瞬間。
終戦である。
そして、
「「しかして宣誓を! この平和とそれを保つ努力が、恒久に維持されることを!!」」
戦争を戦い尽くした人々の、次の時代への意志と光の誕生でもある。
栄光の瞬間に掻き消されそうになりながら。
シルビアはジャンカルラに囁く。
「ねぇ、ジャンカルラ」
「なんだよ。あまり恥ずかしいこと言うなよ?」
「いいじゃない。私たち、平和のアイコンよ。この先恥ずかしいこと言える機会なんて、そうないわよ?」
「そのまえに君は皇帝なんだよな」
二人は視線をカメラに向けたまま、口元も笑顔を保持してあまり動かさない。
「それはいいのよ」
「よかないよ」
「それより、昨日はアンヌ=マリーの話をしたけど」
「うん」
「あなたも。私、あなたがいなかったら、成し遂げられなかったと思ってるわ」
「そうかもな」
「あなただけじゃない。今日ここに来られなかった、たどり着けなかった人たち。今までともに戦い、守り、育て、支えてくれた全ての人たち」
「僕も君も、数え切れないな」
「みんなのおかげで、みんなが繋いでくれたもので、私は今ここに立っているわ」
「そろそろ腕が疲れてきたぞ」
「黙りなさいノンデリ」
後世にも残る、万世に残るこの日の写真。
シルビアの瞳が特別輝いて写るのは、
きっとその目に、フラッシュを反射する何かが浮かんでいたからだろう。
「私、この瞬間より、そのことを忘れないわ」
改めて、2325年10月9日、戦争は死に、葬送は終わった。
この日は今も人類の記念日となっている。
その場に居合わせた人、中継を見た人、記事で読んだ人。
その全てがこの世を去った時代になっても、人類はその記録を見るたび、
無限の喜びと、勇気と、希望を胸に灯すことができる。
そのアイコンとも言える記念品。
『地球圏同盟』代表ジャンカルラ・カーディナル提督が去り際、
左上腕から調印のテーブルに置いていった
『戦争の喪章』
こちらは今も、『国立タチアナ・カーチャ・セナ記念館』に展示されており、
実物を目にすることができる。
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