第316話 花と冬
2325年7月22日、シルビアは皇国首都星カピトリヌスへ帰還した。
シルヴァヌスからの距離、クルーや艦の疲弊具合を考えれば相当早い。
というか無茶をしている。
それでも彼女は、整備が終わらない艦隊を置き去りにし、
庶務を全てカークランドに放り投げ、
エンジンをやられた『
急ぎに急いで帰還した。
理由はただ一つ、
リータ・ロカンタンの亡骸を、一刻も早く埋葬するためである。
軌道エレベーターでシルビアを迎えた時のことを、ケイは詳細に書き残している。
彼女は最初、ドック内を見下ろすコントロール・ルームにいた。
ドックにいては艦が到着する時に危ないからである。
やがて『
ケイがドック内へ到着したのとシルビアが艦内から姿を現したのは同時。
その瞬間の光景に、彼女の背後にいる政府高官たちはざわついたという。
皇帝は極めて弱めな重力設定をいいことに、
自ら
ケイ自身も多大なショックを受けたらしい。
“ロカンタン元帥、いや。口語でなくとも、たとえいかなる公文書であろうと、私は『リータちゃん』と呼びたい。”
“そんな彼女が、リータちゃんが先人たちの列に並んだという話は、正直信じたくなかった。”
“だから私は、どこかで『嘘である』という淡い期待をしていたし、”
“それが叶わないにしてもせめて、事実に対しワンクッションが欲しかった。”
“たとえば、姉との会話のうえで、しめやかに伝えられるとか。”
“しかしそれは、一瞬で破壊されたのだ。”
“姉は真っ先に、『彼女の死』そのものを。それが形となったものを、私の視界に突き付けたのだ。”
“ドラキュラのような豪奢な棺ではなく、軍用の、遺体の保存が効くタイプの柩を。”
“だが、何より私の心を締め付け、全てを受け入れざるを得なくしたのは”
“姉自身が、一人で柩を抱えていたことである。”
“もちろんそれは、
『片時も離れたくない』
『私の愛するリータは、私が最後まで面倒を見てあげたい』
という見方もできなくはない。事実そういう感情もあったろう。”
“しかし、私には、右脇で柩を抱え、先端を左手で押さえるような仕草が、”
“『誰にもリータには触れさせない』
『誰にも渡さない』”
“そんな愛執の現れに思えたのである。”
ケイ・アレッサンドラ・バーナード著
『終戦備忘録 彼女たちは皆、若かった』より抜粋
そんな周囲の思いやリアクションなどものともせず。
シルビアは
“落ち窪んだ”
“瞳孔の濁った黒が染み出して隈になったような”
目付きで、彼女たちの方へ歩いてくる。
他のクルーたちがやや遅れて出てきたのは、怠慢ではなく近寄りがたいのだろう。
事実ケイも背後に、逃げ出したそうに動く高官たちの気配を感じていた。
そんな、この世の地獄みたいな空気の中で。
シルビアはそっと柩を下ろす。
「陛下、お帰りなさいませ」
ケイの背後で誰かがあいさつをする。
やって当然、というか言わなければ不敬ですらあるが、
バカっ!
この場においてだけは、彼女は叱り飛ばしてやりたいと思った。
しかし時すでに遅し。
目の前の、ここが地獄というなら一番深みにいそうな皇帝は、
「この子は、帰ってこれなかった」
ポツリと呟くと、おもむろに柩の蓋を開けた。
そこには当然、肉体だけ残していった軍服の天使の、
花で飾り花で埋めた、悠久の眠りが横たわっている。
「っ」
思わず胸と息が詰まり、嗚咽が込み上げるケイだが、
“
“この地獄の空気の中で、『リータちゃんだけは今天国にいる』と確信できる、”
“そんな安らかでつるりときれいな顔だったことか。”
そんなわずかな安らぎも束の間。
シルビアはリータの額を軽く撫でると、その手を下の方へ移し、
彼女の胸から下、一面敷き詰められた花に
「何、してるの?」
「ないのよ」
「何が?」
「脚よ」
彼女はグッと手を握る。
何輪かの花がクシャリと茎を折り曲げ、
花びらがポタポタと雫に濡れる。
「この位置にはもう、花しかないのよ……! 大人用の棺に入れると、ここも、ここも!」
と思えば急に、一面の花のあちこちを掻き回す。
「花ばっかり……! スカスカの、スペースばっかり……!」
しかしそれもすぐに力尽き
シルビアは花の海に取り縋って肩を震わせる。
「こんなに小さいのに……! まだまだ幼いのに……!」
「お姉ちゃん……」
「どうしてよ! どうしてなのよ! 『もう役目は終わった』って言うつもり!? 私が皇帝になって、平和になるから約束は果たしたって!?」
「お姉ちゃん」
「平和になったあとも! 先のことだっていくつも約束してたじゃない! 私たち、二人で一つじゃない!! 『お互いがお互いの帰る場所』って誓ったじゃない!!」
「お姉ちゃん!!」
「どうして全部投げ出しちゃうのよぉ!!」
悲痛な叫びに堪らなくなったのだろう。
ケイは思わず駆け出し、その背中に抱き付き、
「うっ、ううううっ、うううっ……!」
「うあっ、あああっ、あああああ……!」
二人して、延々涙を流し続けた。
この後、しばらくシルビアの動きは
コズロフを
これでも自室に柩を担ぎ込もうとしたのを止められただけマシである。
この運命の最後の抵抗が世間で
『コズロフが連れていった』
などと噂されたことも効いたのかもしれない。
クローチェ大学心理学教授、マルコ・ダシャ・ヴィンセントは
“彼女をわざわざ帝都で埋葬するために、急いでシルヴァヌスから連れ帰ったというのに”
“実際にシルビアがそうするまで、数日の隙間が空いている。”
“これにケイの記述や前述の噂から鑑みて、”
“シルビアがリータを
『手放す』
『誰か・どこかに取られる』
ことを強く忌避したことは、想像に
“であれば、このカピトリヌスへの『凱旋』も、”
“現地ですぐ埋められ、引き離されることを恐れた時間稼ぎなのだろう。”
“ならば、この期間シルビアが動けなかった理由もよく分かる。”
“悲しみのあまり、リータと目指した約束すら果たせなくなったのではない。”
“むしろ逆、”
“果たしてしまうと、完全に彼女との日々が終わってしまう気がしたのだろう。”
と著書にて推理している。
なんにせよ、この年の皇国の夏は、
シルビア期始まって以来の冬となった。
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