第315話 天使は回帰線に乗って還る
「陛下っ! 陛下ぁっ!!」
『
震えて上擦る喜びが満ちる。
「こら、しっかり報告しなさい」
「はっ、はいっ」
シルビアも同じようになるのをぐっと堪え、皇帝の威厳をもって諭す。
改めて報告に入ろうとする彼だが。
隣の女性は泣いているし、機関部員は魂が抜けたように背もたれに沈んでいるし。
大体の人は、もう何があったのか察してはいる様子である。
しかし、宣言することこそが大事なのだ。
だから皆、その時を待っている。
「同盟軍艦隊、撤退していきます!! 我々の勝利です!!」
瞬間、地鳴りのような。
ハリウッド映画の地球防衛成功シーンにも、WBC優勝の瞬間にも負けない歓声が。
誰も彼もが泣いたり、笑ったり、形容しがたい感情になったり。
ジャケットを脱ぎ捨てたり、隣と抱き合ったり、走り回ったり。
「やったぞおおおおお!!」
「フォウオウオウオーウ!!」
「だあああああ!! わああ!!」
「ママあああああ!!」
「皇国万歳!!」
「皇帝陛下万歳!!」
「皇国万歳!!」
「皇帝陛下万歳!!」
「皇国万歳!!」
「皇帝陛下万歳!!」
繰り返される大合唱のなか。
誰かがイタズラ心で艦橋の重力装置を切ったらしい。
シルビアやクルーたちの体がふわりと浮く。
「皇国万歳!!」
「皇帝陛下万歳!!」
艦橋最上段で浮いた彼女は艦長席から投げ出され、下から喝采をいくつも浴びて、
声とこの宇宙に、祝福の胴上げをされている気分になった。
そのあいだにもスピーカーからは、
『こちら「
『こちら「
『「
各艦から続々、祝福と歓喜の声が流れてくる。
その一つ一つを噛み締め、応えたいシルビアだが、
あえて背を向け、デスクへ戻り受話器を手に取る。
彼女が今一番声を聞きたいのは、話をしたいのは
「もしもし、リータ?」
『はい、あなたのリータです』
その一言だけで、彼女の目から涙が溢れる。雫は無重力により、天へ掬い上げられるように飛んでいく。
「やったのよ……! ついにやったのよ!!」
『おめでとうございます』
感極まり昂るシルビアに対して、リータは脱力の極地にいるようだ。
緩めな返事のあとに、むふーっと長い息が聞こえる。
「長かったわ。本当に長かった」
『えぇ、長い2年弱でした』
「まだ、そんなだったのね。あなたと出会ってから」
『私もなんかずっと一緒にいる気がしてますけど。実はこう見えて、身長が伸びる間もない期間なんですよ』
「もう16も近いのにね。いいことだわ」
『まだ童女扱いするか』
ここで一度会話が切れると、
『それにしても』
少女は仕切り直すように、また長い息をつき
『「Il faut que jeunesse se passe」“青春もいつかは終わる”、ですか』
感慨深そうに呟いた。
相手に話しかけているというより、思わず漏れた独り言のよう。
その響きを聞いてシルビアも、じわじわと実感が湧いてくる。
「終わったのね」
『はい』
「二人、出会った日からずっと目標にしてきたことが」
『生き残ること、この国の頂点に立つこと、平和を手に入れること』
「あなたと分けてきた、二人で一人の運命を、乗り越えたのね」
『しっかりと、多くの人に支えられながらも、私たちの脚で』
それは、寂寥感でもあった。
リータは『青春』と評したが、まさしく近しいものであった。
命の危機、恐怖、プレッシャー、たくさんあった。
しかし、それらから解き放たれることも。
多くの英傑たちが命を懸けた戦場。優しくもあり、残酷でもあった思い出。
それらが憑き物でも落ちるように、自分の中から過去になっていくことも。
この世界に来てから、いや、梓の頃から含めて。
人生で一番の情熱とエネルギーを捧げた日々が終わっていくことも。
どれも過ぎてしまったから言えるのかもしれないが。
彼女にはどこか、寂しさと愛おしさと名残惜しさが残ることだった。
だからこそシルビアは、なおも踏み越えていくよう声に力を込める。
「でもまだまだよ! 何言ってるの、これからよ!」
『あら、そう?』
「そうよ! まだ書類のうえじゃ戦争は終わってないわ! これから同盟と講和して、名実ともに終わらせる!」
『うん』
「それだけじゃないわ。今回終わらせるだけじゃなくて、二度と起こさない努力を。それから、皇国の復興もここからが本番よ。長年の傷は根が深いわ。それを癒すのには時間が掛かる」
『ですね』
「何より皇帝として。戦争してるあいだは、勝ってさえいれば名君だけれど。ここからどれだけ国民を豊かにできるかで、私の評価も変わってくるわ」
『そうね』
熱くなって早口の彼女に対し、少女の相槌はいくらか適当な感じ。
引いているのか、もしくは、
「……もしかして、機嫌悪い?」
『そんなまさか』
「忘れてないわよ。あなたとサントリーニやバリにフーコック。いろんなところを周って、ゆっくり過ごすの」
『! はい!!』
ちょっと拗ねていたらしい。
それがシルビアには、たまらなくうれしい。
「素敵だわ。本当に素敵だわ。だって、やっとあなたが立ち場とか捨てて、子どものワガママを見せてくれるんだもの」
『ワガママじゃないもん』
「あら、失礼」
ここまで早口気味に捲し立てた彼女は、ようやく一息つく。
「とにかく、やることが山積みだわ。だから、今はとりあえず」
『戦後処理を』
「そっち行っていい?」
『ダメに決まってんだろ』
会話だけでなく行動でも一息つこうとしたが、即却下。
「なんでよ!」
『これからなんでしょう? 遊んでたら示しつかない』
「私が休まないとみんな休みづらいから!」
『だからって、一緒に戦った「
「『僕には帰れるところがあるんだ……こんなにうれしいことはない……』」
『はぁ?』
「分かんないか……」
梓が生まれるまえのアニメなのだから当然である。
変な引用をしたせいか、リータは気持ちが切れてしまったらしい。
『じゃあ、まぁ、またあとで。やること山積みなんだから、がんばってください』
「ああん、つれない」
しかし、それくらいがちょうどいいのかもしれない。
シルビアは受話器を戻すと、膝を抱えて宙を回る。
胎児のような体勢で、胸の奥にある温かみを、
やっと訪れた『平和な日常』を逃がさないように。
「これから、これからなのよ……。これから……」
「ふぅ」
『
リータが受話器を置くと、
「いります?」
ナオミがタオルを差し出してきた。
いつかと同じように。
「んーん。今日は鼻血が出る気配もないんで。戦争と一緒に出尽くしたかな」
「そうですか。これからは楽になる、と」
「政治はしないんでね」
相変わらず血圧とテンションと声が低いのが彼女である。
喜ばしいことにも特に騒がず、淡々と汗を拭きはじめる。
なのでリータもはしゃいだりはせず、ゆっくり椅子から立ち上がる。
「どちらへ?」
そのまま艦橋をあとにしようとする背中へナオミが声を掛けると、
「これからは楽になるので、部屋で楽になっときます」
彼女はやや眠たそうな顔で振り返った。
いや、いつでも大体ぼやっとした顔立ちではあるのだが。
「あぁ、なるほど。お送りいたします」
「いりませんよ。むしろ休んでるあいだ指揮執るの、あんた」
「だからそのまえに5分でもサボるんですよ」
「あぁ、そう」
輪を掛けて、軍人にしてはパリッとしない副官。
もしかしたらいいコンビかもしれない二人は、のっそり廊下へ姿を消した。
艦長室へ向かう廊下にも、最初は艦橋の歓声が聞こえてきていた。
しかし今は、微かに響いてくるばかり。
いまだ戦闘配置ではあるので、艦橋以外の戦闘区域と遠い居住区には人がいない。
そこにコツコツ軍靴の音が響くのも、なんだか無機質と思ったか。
「陛下とは何か、実りある話を?」
ナオミはリータに話を振る。
「しないでいいのが、一番の実りかもしれません」
「ま、大人びた返事しちゃって」
「これでもあと一ヶ月で、国によってはお酒も飲めるし結婚もできるんですが?」
「国によってはもっと早くから結婚させられますよ」
「減らず口」
「お嬢ちゃんにいいこと教えたげる。それが副官の仕事」
今日だけは無礼講か、上司と部下とは思えない会話をする二人。
あるいは、
「そういえば、『これからは楽になる』とかおっしゃってましたけど」
「うん」
「元帥でそりゃ無理と思うんですが、お辞めになるので?」
「そりゃもう。こちとら子役か新聞配達しか働いてない歳から軍人やってるんで」
「へぇ、いいなぁ。私も総務に転職斡旋してもらお」
「あんたは大学行ったら? 若いし頭いいし」
「そりゃうれしい。法律でもやろうかな?」
「裁かれる側になってそう」
「生意気」
「おねえさんにいいこと教えたげる。これ子どもの特権」
もう心は軍人の上下関係などないところへ行っているのか。
なんにせよ一つ言えるのは
戦争が終わって、楽しく前向きに生きる
それは素敵ということである。
「それで、辞めたあとは何して過ごされるんです? 学校?」
「もいいけど。とにかく差し当たっては決まってるんです」
「へぇ?」
リータは数歩前へ出ると、ナオミへ向き直ってにっこり笑う。
「シルビアさまが落ち着いたら! サントリーニ、バリ、フーコック! 二人でゆっくり、いろんなところを回るんです!」
その生き生きとした眩しさに、彼女はそっと目を閉じ、小さく頷く。
そんな会話をしているうちに、二人は艦長室の前まで来た。
「それじゃあ私休むから、あとよろしくお願いします」
「お任せください。本当に長いこと、特に最近はお疲れさまでした。お身体のこともあります。ゆっくり休んでください」
ちょうどドアの向こうに行った少女は、その陰から半身だけ覗かせふっふと笑う。
「それがもう鼻血も出ないんだわ。今の私は割と絶好調」
「それはよかった。そういえばバリには一回慰問で行きましたが、揚げバナナ美味しかったですよ」
「何それカロリー高そう」
「楽しみにしながら寝るといいですよ」
優しく微笑み掛けてやると、
「ん。ありがとう」
リータもウルトラマリンブルーを細めて、穏やかに笑う。
「何時に起こしましょうか?」
「自分で出てくるまで起こさないで。緊急事態かシルビアさまの急用以外は」
「かしこまりました。では、おやすみなさい」
「おやすみなさい。また明日」
愛らしい表情でドアの向こうへ消える彼女を見送って、
「……揚げバナナ以外のオススメもリストアップしとくか」
ナオミは首を捻りつつ、艦橋へ戻るのであった。
しかし、結局のところ。
少女が自ら部屋を出てくることはなかった。
翌日、7月15日の11時21分。
副官ナオミ・ビゼーが
『皇帝より「昼食を食べにこちらへ来ないか」と連絡が来ている』
と報告に上がったところ、
ベッドで眠ったまま、呼吸が止まっている彼女を発見した。
急いで軍医を呼んだが、
『おそらく昨晩の20時頃には』
とのことだった。
記録では『過労の末の虚血性心疾患・心筋梗塞』とされている。
リータ・ロカンタン。
シルビアが戦いの運命に巻き込まれるとともに歴史の表舞台に現れ、
終わりを告げると同時に去っていった少女。
そのあまりにも『よくできた』タイミング、
年齢と超人的な活躍、
孤児ゆえによく分からない部分も多い来歴から、後世
“実はシルビアの逸話を飾るための、架空の人物なのではないか”
“写真などは残っているため人物自体はいたが、エピソードはプロパガンダ的創作”
と言われることもある。
これに対し、皇帝シルビアの研究において著名な学者の一人、
クローチェ大学心理学教授、マルコ・ダシャ・ヴィンセントは
“いかに私が、そもそも門外の心理学者とはいえ”
“歴史研究でこんなことを述べては、学会より
“彼女はシルビアのため現世に舞い降りた、運命の天使”
“それでいいのではないのだろうか”
そう著書に書き残している。
2325年7月14日20時頃
リータ・ロカンタン 15歳
天使は
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