第305話 急がず焦らず死を怖れず
「敵艦隊に動きあり!」
『
観測手が声を張り上げる。
「ほう」
ここのところは仁王立ちより、座席でずっしり座っていることが多いコズロフ。
デスクに肘を突いて軽く乗り出す。
「モニター。敵艦隊拡大せよ」
「はっ」
「ふむ」
頬杖代わりにあごを撫でる彼の目に映るのは、
「左右へ展開していく、か。観測手、モニターに熱源レーダーを転送しろ」
「転送します!」
瞬時に、ちょうどモニターを4分割した左下の位置。
光点となった敵艦隊を上から俯瞰した図で埋められる。
「ほほう」
こうして見るとよく分かる。
皇国軍が3つの三角形に分離していくこと
真ん中の三角形、その
「やはり、やはりか。そうなるか。そうだろうな」
彼はわずかに口角を上げ、腰を浮かせる。
「卿にしては、いささか殺意が足りないと思っていたところだ」
どうやらお気に召したようである。
指揮官がご機嫌、それは結構なことであるが、
「閣下!」
副官エールリヒは引き締まった声と表情を投げ掛ける。
「たしかに血が騒ぐ流れかもしれませんが! その分より被害は大きく、戦局は厳しくなることをお忘れなく!」
しかしコズロフの態度は崩れない。
腰を落ち着け、今度こそ頬杖を突くと、品のない笑みを浮かべる。
下品なのではない。野生的なまでに獰猛なのだ。
「忘れたか。オレたちはそれをこそ望んでいたのだぞ」
「しかし、それで突破されては本末転倒です! 御身も危険ですし、場合によっては皇帝へのリベンジだなどと言っている場合では!」
「副官」
と、エールリヒがヒートアップしていくと、冷たい声が降ってくる。
その温度をもって、相手を無理矢理冷静にさせるかのような。
先ほどまでの態度と同一人物とは思えない。
「最初から分かっていたことだと言っている」
「はっ、それはそうですが」
「卿もオレの副官であるならば、策に命を懸け、策に死せ」
「それは、もちろん」
「策にオレの命を懸け、策でオレを殺せ」
「っ!!」
「でなければ、死ぬのだ。負けて死ぬのだ。ひと時の敗北と違い取り返せぬ、一人の心臓が停止するのとも違う」
語る背筋が自然と伸びていく。
妄執でならず者のように戦っているのは誰も否定できない。
しかし、それでも彼なりの哲学を欠いてはいない。
「中軍艦隊、被害増大! じきに我々カンデリフェラ艦隊にも砲撃が到達します!」
そこに副官一番の懸念であった瓦解の足音が報じられる。
それでも、
「ニーマイヤー提督にあいさつしておけ。『ここからが踏ん張りどころだ』とな」
男は座席の上、小揺るぎ一つしない。
彼がここのところ仁王立ちをしないのは、相手がリータということもあったろう。
だが、今回の大一番、相手がシルビアであるというのに座っているのは、
それだけ泰然自若とした、自信と闘志があるのだろう。
一方その頃、
「敵艦隊中央! 後方に『
「来たわね!」
『
「あと少しよ! もう走れないなんていうやつはいないでしょうね!?」
むしろこれで息切れを起こすんじゃないか、そう錯覚するような
が、一際それを突き破るのは、やはり
「突撃! さすがに『コズロフ物語』も引き伸ばしが酷いわ! ここで必ず打ち切りにするわよ!!」
シルビアの雄叫び。
この意気をこそもって、敵を貫かんというように。
機械は物理法則を超えない。
ゆえに戦艦も、誤差の範囲以上にカタログスペックを上回ることはない。
が、乗っている人間は違う。
この生物は精神状態でいくらでも性能が上下する。
正念場に、勝負どころに差し掛かれば、力が増し、少しずつ気が
調整しているようで艦の操縦レバーはより強く押し込まれ、
管理しているはずなのに砲撃のインターバルがコンマ秒でも待てなくなる。
そういったものの集合体が、戦闘を加速させる。
「提督! 『
「分かった。指揮権をラマルケ少将に移譲。退がらせろ」
「それでは前衛は、フィディース、カルメンタを残すのみです!」
「構わん。オルバーン大将、ヒメネス准将にも伝えておけ。『いざとなったら指示を待たず退け』とな」
「観測手! 味方艦隊はついてきてる!?」
「はいっ! いまだ陣形をしっかり保っています!」
「カークランド上級大将!」
『これは陛下、いかがなされましたか』
「そっちがいかがしてるか聞こうと思ったのよ。被害は」
『我々禁衛艦隊で申し上げますと、「なかなか手痛い」と申し上げたいところですが。あの様子の敵艦隊を前にして言うのは、不幸自慢になりますな』
「よろしい。もっと不幸にしてやるから、もう少しついてきなさい!」
『その分手当ては弾むのでしょうな!』
「閣下! このままではフィディース、カルメンタも!」
「よかろう。両艦隊には敵正面を避けるように移動させろ。我々の左右の補強に入ってもらう。カンデリフェラは中央を厚くする」
「ということは!」
「『
「ははっ!」
「陛下! アンチ粒子フィールドのエネルギー残量、半分を切りました!」
「じゃあちゃっちゃと決着つけないとね! 死にたくなければ気張りなさい!!」
「陛下っ!」
「今度は何!」
「ついにカンデリフェラ艦隊を正面に捕捉! コズロフの属する一団です!」
「間違いないわね!?」
「ありません!!」
「総員、聞いたわね!? いよいよ本丸、大将首よ! ゴールは目の前! 限界は追走してきてる!
二つに一つ! ここで決めるわよ!!」
戦闘開始から1時間以上が経過。
果たしてシルビアがコズロフの首を獲るのか。
はたまたコズロフが返り討ちにするのか。
最終ラウンドの鐘が鳴ろうとしているその時、
「提督っ! 本隊が『
「そうか。よくよく食い込んできたな」
「はっ!」
「味方の右翼艦隊は?」
「いまだ拮抗状態を保っています!」
「じゃあ壁にはなってくれるな。敵艦隊の陣形は?」
「逆Vの字!」
「そうか。みんなよくやってくれた」
同盟艦隊左翼。
「総員よく聞け、待たせたな」
『
「頃合いだ!!」
眠れる獅子、いや、
『赤鬼』が吠えた。
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