第299話 少女の事情、皇国の事情
「疲労とストレスでしょう」
『
年齢の割にメイクが濃いため、却ってアラフォーに見える軍医は静かに語る。
その落ち着きが象徴するような、哀れみや慈しみを全て注ぐような目で、
彼女はベッドの上で眠るリータを見つめる。
「それで鼻血を?」
ナオミは繋がれた点滴のパックを見つめながら質問を返す。
といっても、疑問ではなく確認だろう。
詳細な報告をし、適切な判断を仰ぐには、正確な情報が必要である。
「疲労やストレスによる、自律神経の失調。それによって引き起こされる高血圧が、鼻の毛細血管を破ってしまう」
「なるほど」
軍医は一瞬だけカルテをチラ見する。
ナオミも盗み見ると、
そこに書かれているのは、検査の結果や何やらの数値ではなく、
少女の来歴。
「閣下はもともと孤児であり、また施設の環境がよくなかったゆえに発育不全。虚弱な体質をしておられます。血友病は持っていないようですが」
「だからただでさえ弱い毛細血管がさらに弱く、すぐ出血する、と」
「おまけにそもそも人より疲労に弱い。なので、
「そうですか」
「また、場合によっては動脈硬化や内臓の疾患も考えられますが。検査してみないことには分からないけど、前回の健康診断の結果は良好ですからね。先ほど血液検査もしましたが、白血病の兆候は認められません」
「それはよかった」
ほっと胸を撫で下ろしたナオミだが、
「だからこそ」
軍医がずいっと顔を近付けてくる。
今のリアクションを咎めるように。
なんなら釘を刺しておきたくて、それを待ち受けていたかのように。
「治療や投薬ではなく、単純に単純に。休養が必要ですからね」
「えー、それは、つまり」
「私も軍属ですから、軍隊の事情や軍人さんの気持ちは分かりますわ。でもねぇ? こんな小さな子が過労なんて、かわいそうだと思いませんか?」
分かるね?
彼女の目がそう訴えている。
なのでナオミも、
「大丈夫です。前回の報告で、すでに中央から『後任を派遣する』と返事をもらっています」
分かりましたからもう勘弁してください。
目で答えた。
もちろん今回のこともすぐにシルビアへ報告がいった。
彼女はというと、前回の時点で取り乱すこと甚だしかった。
内容としては、『普段より鼻血の量が多い。不調かも』以上のことはないのだが。
「カークランドを出しなさい!!」
禁衛軍の調練中だった彼へ、直通電話で怒鳴りつけるほど。
このせいで一時は
『カークランド上級大将が皇帝の逆鱗に触れた』
『何かやらかしたのだ』
と噂が広がるわ、皇国軍ディアナ基地近くのバーから彼へ
『死ぬまえにツケを払え』
とはるばる請求書が届いたり、
「いやこれ、パチンコ屋の開店祝いのやつ!」
懐かしきロッホやエレから弔花が届いたりした。
まぁ実際の要件は、『1秒でも早く前線に行ってリータと交代しろ』だったが。
とにかくこの時のシルビアは、『これでなんとかなってくれ』という心理だった。
そこに、今回のユースティティア会戦、
重ねてリータの健康状態の悪化である。
『黄金牡羊座宮殿』皇帝執務室。
昼中から彼女は半狂乱だった。
「リータ! 今すぐ帰ってきなさい!!」
パソコンの画面に、なんらかのホラーゲームのキャラのように齧り付く。
一度そこに顔面を突っ込んで死んだトラウマなどありはしない。
『えー』
その圧力の先に映るのは、病衣を纏ってベッドで上体を起こすリータである。
「えーじゃないわよ! 具合悪いんでしょう!?」
『寝たら気分よくなりましたよ?』
「じゃあ宮殿の高級ベッドで徹底的に寝なさい!」
前回の鼻血の際の報告は、本人の意向に対する副官の判断でこっそり。
ゆえに彼女も、こうした連絡を取れなかった。
その分蓄積した心配が噴火している。
つまりは感情的になっている。
なので
『じゃあそのあいだ、誰がコズロフの相手をするんですか』
その分リータが冷静で現実的な目線を提示する。
本来なら逆であるべきである。
シルビアの隣でケイが、『あまり病人に気を遣わせるな』という目をしている。
「カークランド上級大将を送ったわ!」
『カークランドくんで勝てますか?』
「……じゃあマツモト中将も」
『マツモト中将で勝てますか?』
「う……」
何より。
これが皇国軍の実情である。
リータとて何も、ヒロイックに自己犠牲がしたいわけではない。
『私も『指揮権を交代し、戦場に出ず療養』、それに文句は言いません。万全ではない指揮官など、脳に腫瘍があるようなものです』
ただ、
『しかし、彼らが敗れた時にストッパーが不在なのも危険極まりない。保険は必要です。帯同します』
愛する者を守るためには、必要に差し迫られることもある、ということ。
差し迫られた時には、躊躇はしないというだけなのである。
限界を突破し、軋み、焼け付き、文字どおり命を削っても、
真実、『君のためなら死ねる』と。
だが、
「だったら」
何もそれは、リータばかりではない。
「だったら私が行くわよ!!」
「はぁ!?」
隣で控えていたケイの、組まれていた後ろ手が解かれる。
「いやいやいや! ダメに決まってるでしょ!?」
『そうしないために私が前線行ってるんですよ?』
「うるさいうるさーい! リータが無理になったら私が行く! 最初からそういう約束だったの!」
「そんなの聞いてないし!」
『皇帝自重しろ』
喧々諤々、倒れた人を見舞っているとは思えない騒ぎようだが、
『失礼します!』
パソコンではない。執務室のドア向こうから。
誰かが来たらしい。
ケイがシルビアを手で制し、自らドアへ応対しに行く。
やがて彼女は、書類を受け取り戻ってくる。
手渡され、内容に目を通したシルビアは、
「リータ」
『はい』
書類を傍へやると、画面の少女と真っ直ぐ目を合わせる。
「どうやら事情が変わったようだわ」
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