第292話 それぞれの苦しみ

 海外、欧米では新学期新生活といえば9月スタートが多い。

 これはヨーロッパでの農繁期農閑期の影響だという。

 収穫で忙しい時期は子どもも労働力となり、それが終わると学校へ通うのである。

 そういう歴史なわけだが。



 皇国は皇帝の名を見れば分かるとおり、バーナード王朝である。

 つまりは欧米系の人間が起こした国家であり、文化制度もその地続きが多い。

 ゆえに皇国も、社会は9月スタートだし左ハンドルだしエッチな色は青である。

 日本人が作ったゲームなのにその辺はしっかりしているというか、

 設定されていないことは勝手にローカライズされているというか。


 が、皇帝自身はというと。


 シルビアの中身はほぼイルミと同じ年まで日本で過ごした『梓』である。

 染み付いた習慣は変わらない。


 わざわざ口に出したりはしないが、4月というのは特別な季節なのだ。

 なんなら気候変動著しい現実日本より、日本人が描きたがる日本の四季すらある。


「春」

「え?」


『黄金牡羊座宮殿』皇帝執務室。

 急な呟きに、窓辺の花瓶の中身を変えていたケイが振り返ると、


 皇帝はデスクに肘をつき、手のひらにあごを乗せ、小さく開いた窓の外を見ている。


「こんな素敵な春なのに」


 聞かれたから答えているわけではあるまい。

 が、シルビアは自身に染ませるように、補足して繰り返した。


 ケイも窓の外へ目を向ける。

 そこにシルビアの大好きな桜並木なるものがあるわけではないが。

 たしかに何やらワクワクするような、それでいて何か憂いたくなるような。

 そんな優しく柔らかい日差しが暖気を照らしている。


「『こんな素敵な季節なのに、イネ科の花粉がキツいです』って?」

「そんなのは我慢できることよ」


 ケイが大きく窓を開くと、花粉と暖気を混ぜる風が舞い込む。

 それに頬を押されるように、シルビアは首を左右へ振る。


「むしろ生きてることを実感するわ」

「今は生きた心地がしない、と?」


 花瓶の用事を済ませたケイは、応接用の革張りソファへ腰を下ろす。

 それからテーブルへハンカチを敷き、そのうえに取り替えた花を並べる。

 全て使用人がやることだが、彼女は自分でやりたがる。

 好きな花を飾るのも、替えた花を愛でたりドライにしたり供養するのも。


 その愛おしそうで、春に負けない柔らかい所作を見ていると。

 明らかに思い悩んでいた皇帝も、少しだけ気が軽くなる。

 彼女は両手を組んで天井へ突き出すように伸びをすると、


「そうとも言えるし、そうでもないと言うか」


 素直な心境を吐露する。


「どういうことかな」


 シルビアから見えるケイの横顔は、目を閉じている。

 その状態で花びらを撫で、感触を楽しんでいるわけだが。

 たたずまいがなんとも、シルビアの貧困な感性には知的哲学的に映る。

 彼女は賢者に相談するような心地になった。


 事実、最近までノーマンやクロエのことで精神の限界値を迎えていたのだ。

 そのうえで、宰相を任されるという絶大なプレッシャーの追い打ちもあった。

 ただえさえ激務というのに。シルビアが元老院を廃した結果、その物量と責任は跳ね上がった。

 頭の皇帝と肉体の各省庁を繋ぐ、一本化による唯一の白く細い首筋である。


 何より彼女は、まだ二十歳である。


 それがもう、このように立ちなおってみせている。

 さすが『主人公』を引っ張るほどの親友枠というか。

 ケイはシルビアが思う以上に、聡く強いと気付かされる。


「皇帝になって戦場を離れたから、逆に今は安全ですらあるわ。夢にも出る『生きた心地がしない』瞬間とも無縁よ。でも」


 彼女の中で引っ掛かっているもの。


「この宇宙では今も戦争をしているわ」


 皇帝となったからには、自分のことだけ考えてはいられない。

 そのあり方が、遠い戦場の人々のことをも思わせる。


 という、仁君じみた心境ももちろんあるが。






「閣下! 『命を賭けてBlood stake』轟沈! 脱出艇確認できず!」

「左翼の指揮権をシモンズ少将に委譲! こちらが中央を押すまで堪えてもらって!」






「リータちゃんが心配なんだね?」

「……そうね。エゴだけど、正直言ってそうよ」






「艦隊損耗率、17パーセント突破!」

「相手は12パー! 軍学校は『諦めろ』と教えますか!?」

「いえ! あり得ません、全権委任総司令閣下!」






「私とあの子は、同じ運命を抱いているの。だから、あの子が戦場にあるのであれば、私も同じことだわ」

「陛下、お姉ちゃんはいつも自分で動くタイプだから。信じて待つのがこたえるんだね」

「そうよ。私の大切なリータが、あんな小さい子が。一人戦場で命を懸けているなんて、心配で心配で胸が張り裂けそうだわ。よっぽど自分も戦場にいて、寄り添っている時の方が安心だった」






「閣下!? まさか負傷を!?」

「ただの鼻血! 気にせんで!」






「だから、思うの。あの子のことを考えると、生きた心地がしないし。私一人、のんびり生きた心地をしている資格はないんじゃないかって」






「閣下! これ以上前へ出られては我々も危険です!」

「出ないと中央打破が間に合いません! 圧力を! 攻勢を!」

「しかし!」

「今回はコズロフも前に出てきてお得意のインファイト! 前回のお試し期間でないんだわ! 引いて勝てると思うな!」






 悲劇ぶっているわけではないのだ。

 むしろ悲劇ぶる資格がないほどに、シルビアはリータ個人に入れ込んでいる。

 本人も、聞く側も、それを分かっているからこそ。

 赤いカーネーションの香りを嗅ぎながら、ケイは静かに呟く。


「でも、あの子はお姉ちゃんに生きていてほしいから、戦っているんだよ」






 その花びらのような色合いのアラートランプが明滅する艦橋内。

 花も一瞬で萎れるような熱気の中、人々が声を枯らす。


「閣下! 右翼が敵を押しています! 左翼も盛り返しました! 戦局は互角、流れはこちらに有利!」

「そろそろ退がってもよい頃合い、いえ、退がるべきかと」

「いいえ、副官。今回はこちらがやや艦隊の質で劣っています。引率がいなくなれば、帰りのバスに間に合わなくなるでしょう」

「可能性はありますが」

「『La faim chasse le loup hors du bois』! “飢えてはオオカミも森を出る”! 前へ!!」






 4月2日、16時14分。

 戦闘は終了した。

 同盟軍が撤退しての幕切れのため、


『防衛した皇国軍の勝利』


 という軍人もいれば、


『被害は皇国艦隊の方が甚大であった。これを勝利と判じるのは厳しい』


 という歴史家もいるし、


『コズロフの戦法を瀉血しゃけつ戦術と考えた場合。それは十二分に果たされており、どちらが作戦目標に達したかは一目瞭然である』


 という軍学者もいる。



 ただ、はっきりしていることは、


 夕食後に報告を受けたシルビアは、その晩風呂と寝所をケイとともにし、


 リータは12時間泥のように眠った。

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