第291話 戦闘後、などない

「同盟艦隊、撤退していきます!」

「おぉ!!」

「我々の勝利だ!!」


 戦闘を終え、勝利と解放の歓声上がる『王よ、あなたを愛するアイラブユーアーサー』艦橋内。


「お疲れさまです、閣下。ジュースでもお飲みになられますか?」


 ナオミも大声を上げたりはしないが、一息ついた表情である。

 熱気で弱い蒸し風呂のような艦橋内。

 温かい空気は上へ昇るので、最上段の艦長席は少し湿度がある。

 彼女はそこで、依然テーブルに両手をついて立つ指揮官にタオルを差し出すが、


「閣下?」


 少女はそれを受け取らず、返事もしない。


「いかがなされました?」

「いや、うん」


 念押しのように声を掛けると、彼女はようやく答える。


「うまく退かれたなぁ、って」


 モニターを見つめたまま、独り言のように。

 リータが使わないなら、と自分の汗を拭くナオミ。

 その片手間のように相槌を打つ。


「はぁ。まぁ今回で仕留められるに越したことはないと思いますが」

「そうじゃなくて」


 それを咎めるわけではないだろうが。

 指揮官の声は少し鋭さを孕んでいる。

 思わず汗を拭う手も止まる。


「あのコズロフが、自身が前へ出ることもなく、20パーセントでさっさと退いた。別人みたいに攻撃の執拗さと勝利への執念がない。本気じゃない」

「それが不気味である、と?」

「ううん、策略家タイプじゃないからそういうのは別に。ただ」


 ここでようやくリータは少し上体を起こす。

 と言っても、指先はまだ10本テーブルに着いているが。


 その体勢でふるふると頭を左右へやると、小さい汗の光が数滴。

 まさかタオルを使わず、犬のように水気を払ったわけではあるまい。

 とすれば、この動きは、


「今回のは、そもそも艦隊の力の差があったにすぎない。私の実力が上回ったでもなければ、次の戦場はまた別の艦隊で当たる」

「再現性のない勝利である、と?」

「そういうことです。そこに必要以上の『楽勝だった』演出を付けられた。引き締めていかないと」


 元帥として全皇国軍を背負うゆえの、苦心の発露だったのだろう。

 やはり少しは、気を抜いたような態度の副官に思うところはあるのかもしれない。


「ねぇ、それ貸してもらえます?」

「タオルですか?」

「うん。なんか考えてたら鼻血出そう」

「汗拭いたんですが」

「大丈夫。性癖とかじゃないから。シルビアさまじゃあるまいし」

「はぁ」


 タオルを彼女から取り上げたのは、偶然だとは思うが。






 その後全権委任総司令どのは、味方の救助、被害確認などの事後処理を済ませ、

 消耗による空腹を夜食で満たし、

 補給した栄養をシルビアへの報告書草案制作に注ぎ込み、

 シャワーを浴びて営業終了、さぁ寝ようというタイミングだった。


 そんな23時24分。

 タオルケットとマットレスのあいだに足を挟み、あとは全身を包むだけ、

 というところで、艦長室のドアがノックされる。


「どうぞー」


 彼女が渋々ベッドに座りなおし、まだ熱冷めやらぬ照明を点けなおすと、


「失礼します」


 ナオミがタブレット片手に入室してきた。


「おっと幼女のパジャマ姿。お休みのところでしたか」

「あんたもロリコンかい?」

「実はそうなんですよ」

「そういうのいいから、さっさと報告して」

「はい」


 彼女は雑談から戦闘時の報告まで、まったく表情や声のトーンが変化しない。

 なんならリータは知る由もないが、ゴーギャンに副官とは思えない態度をとる時も。


 別にロボットっぽいとかではないが、妙にいつも血圧が低そうなのだ。

 実際は味付けの濃いものが好きらしいが。


 とにかくそんな感じなので、さっきのもジョークかどうか分かりにくいし、



「コズロフがスムマヌス艦隊を離れたようです」



「は?」


 真面目な話題もシームレスすぎて準備ができない。

 もっとも、この奇想天外なニュースには、心の準備など不可能だろうが。


「つまり、基地に戻りすらしない、と?」

「そのようですね。後方にいて本格的に戦闘へ参加もしていませんし。補給自体は道中の小型基地でも可能ですから、先を急いだものかと」

「なんていうさん」


 リータは大袈裟なため息をつくと、ベッドへ背中から倒れ込む。

 人によっては『もう聞きたくない』の表出とも取れるが、ナオミはそれを無視できる人種。


「進路、距離を見るに、行き先として可能性があるのは……。カルメンタ、エウアンドロス、ウルカーヌスあたりでしょうか」

「ふーん、まぁしばらくは偵察機飛ばしてストーキングかなぁ」

「もし仮に、偵察機が届かないほど同盟領の奥へ引っ込んだ場合は?」

「それはないと思います。奥に行ったらその分、前線へ戻ってくるのに時間掛かる。向こうのは『絶え間ない波状攻撃』だから意味のある作戦ですし。何より好戦的なコズロフ」

「隠密性より早く次の衝突を希求する、と」

「そういうことです」


 おそらくはタブレットのメモ機能にでも書き込んでいるのだろう。

 しばし副官はペンを走らせると、


「報告は以上になります。引き続き何かありましたら、またご連絡にあがります」


 軽く頭を下げる。


「それとも、緊急性が高くないかぎりはメッセージで?」

「いえ、あなたが起きているのなら報告に来てください。おそらく私も寝付けない」

「あらまぁ、成長期にそれは大変なこと。おねえさんが添い寝して差し上げましょうか?」

シルビアさまロリコンに殺されるぞあんたロリコン

「では失礼いたします」


 ナオミは部屋をあとにしたが。

 神経が過敏になったリータの耳は、しばらく廊下に響く足音を捉えていた。


 彼女はベッドに腰掛けから仰向けになった体勢のまま、

 軽く鼻の下を指でなぞり、そのまま手をスライドさせて髪を掻き上げる。



「本当、鼻血出してる暇もないんだわ」






 日々はあっという間に過ぎて4月2日。


「皆さん! エイプリルフールは過ぎたので、嘘の報告で誤魔化すことは許されません! であれば道はただ一つ!」


王よ、あなたを愛するアイラブユーアーサー』艦橋内。

 12時40分、リータは艦長席で吠えていた。



「ここも確実に勝って! 嘘偽りない戦勝報告を、春の帝都に飾るのみ!」



『コズロフ戦役・エウアンドロス遭遇戦』の開始である。

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