第289話 初戦のみが持つ意義

 3月23日18時53分。


「レーダーに感あり! 艦隊です!」

「コードは!」



「サイン、『同盟軍』!! 敵軍です!!」



「元帥閣下」

「うん」


 両陣営スムマヌス艦隊は、ソーラーヌス宙域にて対峙した。


王よ、あなたを愛するアイラブユーアーサー』艦橋内。

 仁王立ちでモニターを睨むリータがナオミと静かに頷き合う一方で。

 観測手はますます声を張り上げる。


「敵艦隊は複縦陣で移動しています! 場合によってはこのまま突入してくる可能性も!」

「数は」

「500隻以上が確認されています! 550、前後!」

「まぁ拮抗か」


 対する皇国軍は先端を前方へ向けたラグビーボールのような形。

 元帥は艦長席デスクの受話器を取る。

 繋げる相手は


「司令官」

『はっ!』


 スムマヌス艦隊本来の指揮官である。

 リータは椅子に腰を下ろす。

 15歳の決戦まえにしては、妙な落ち着きをナオミは感じた。


「陣形ですが。貴艦隊の練度を鑑みれば、複縦陣への移行はすぐ済みますね?」

『可能です、が』

「何か?」


 対して、通話相手は今落ち着きを取り戻すように深呼吸する。


『たしかにブリーフィングでは「小細工より王道」となりましたが……。ミラー戦で正面衝突を?』

「うん。勝てる」

『お待ちください!』


 が、その深呼吸は甲斐なかったらしい。

 すぐに声を張ってしまう。


『閣下は被害が出ることを懸念しておられました。ここは相手も練度の低い突撃、安全に受けるべきでは?』

「百理ありますね。えらいなぁ」

『えへへ、ではなく!』

「まぁ聞いて、な?」


 両膝は揃えつつ、足先は八の字。受話器を持たない右手はお膝。

 いかにも女児な座り方。

 しかし戦場でそうしていられるのはむしろ余裕か。


「たしかにそれでも勝てます。場合によってはより安全に。しかしですね?」


 少女の体格にしては長い、が、絶対値的に短い足がプラプラ揺れる。

 ナオミはそれを横目で追う。


「それではコズロフ側が不毛だと感じた時に、すぐ引き上げてしまう。いえ、ここは彼にとって数ある戦場の一つでしかない。引くでしょう」

『? それでよろしいのでは?』

「あなたたちは、な。でもごめんね? 皇国全体では事情が違う」


 ほんの少し、声のトーンが下がったか。

 あるいは力が入ったか。


 もしかすれば、余裕があるのではなく、余裕そうに振る舞っているだけ。

 新しい副官はそんな気配を感じた。

 かつて彼女が同盟で見てきた、偉大なる提督たちがそうであったように。


「ここまでの戦績は我々がやや押され気味。そこに今回、私が中央から来て最初のラウンドです」


 少女の愛らしい、化粧の飾り気もない唇が左右へ引き伸ばされる。

 肉食獣が歯を剥いて威嚇するように。



「だからここでは、『潮目が変わる』勝利をしなければならない。激烈に、鮮烈に」



『……御意』


 向こうの返事が遅れたのは、威圧を正面から受けたからだろう。

 敵でもないのに、かわいそうなことではある。


「ここであの人討てたらいいんだけど。そうはいかないかもしれない。次も次の次も見越して戦わないといけない。そしたらここは大事。みんなの勢いが変わってくる」


 だが、誰より彼女が自分自身のプレッシャーに震えていることだろう。

 いつの間にか、プラプラしていたは床に突き立てられている。

 震える足を、必死に踏み止まらせるように。


「だからごめんね? あなたたちには無理を強います」

『いえ、そういうことでしたら、もうお任せください!』


 それでも少女は戦うというのだ。

 大人が張り切らないわけにはいかない。

 受話器からは、ドンと胸を打つ音すら聞こえた。

 だからこそ、


「というわけで。今回『王よ、あなたを愛するアイラブユーアーサー』は先鋒隊に加わります」

『ええっ!?』


 そこは任せてほしかったのだろう。

 肩透かしにも似た、驚愕の声が上がる。


「何」

『いえっ、そこはっ、スムマヌス艦隊が栄誉にかけて! それこそ初戦で全権委任総司令にもしものことがあれば!』

「『Il faut qu'une porte soit ouverte ou fermée』“扉は開いているか閉じているか、それのみ” 中途半端は許されません」

『はっ、ははっ!』


 ここでリータは勢いよく立ち上がった。

 空いている右手を強く突き出すのは、艦橋内のクルーたちへ向けて。


「シルビアさまはナポレオンを引用しておっしゃいました! 『翌日のために新鮮な部隊を取っておく将軍は敗れる』と!」


 彼女は右手を大きく横へ薙ぎ払う。

 賽を投げるかのように。



「ここからは一戦一戦全てが皇国の命運を握ると思って! 総員、私とともに、命を絞り尽くせ!!」






 一方、


「敵艦隊、こちらへ向かってきます!」

「ほう、正面衝突か。士気が高いな」


我が友よ戦士たちよウォリアーズジョイナス』艦橋内。


 コズロフは艦長席にどっかりと座っている。


「閣下、いかがしましょう」


 副官の問いにも、彼はゆったりあごを撫でている。

 ヒゲの剃り残しが気になる人に似た仕草である。


「構わん。そのまま突撃しろ。ミラーでぶつかるのが、一番実力が分かる」

「はっ!」


 彼は残された右腕で椅子の肘掛けに体重を預ける。


「ロカンタンとはこの先、幾度となく渡り合うことになるだろう。シルビア・バーナードが出てくるまで」

「御意」

「ならば初戦は、その見定めに使うのが未来への投資というものだ」


 エールリヒは思う。

 やはり我が上官は大いなる将器を持ったお方なのだ。

 泰然自若とし、王者の道を敷けば敗れることはあるまい。


「ふう」

「どうした」

「いえ」


 だからこそ惜しくはある。

 そのシルビアが出てきても、冷静さを保ってくれたならば、と。


「乙女と恋する男のことを思ったまでです」

「ほう。咎めはせんが、戦場でそういうやつは死ぬぞ」


 艦隊では一蓮托生が多いので、本当にそうならむしろ咎めるべきだが。

 そんなことも気にしないのが、泰然自若というものだろう。


「総員! 先ほど食った晩飯を垂れ流したくなければ、きれいな体で生き残ることだ!」



「「「「「了解!」」」」」



 艦橋中から返ってくる闘志を耳に染ませつつ、

 しかし彼は味方への叱咤とは逆のことを期待すらしていた。



「そういうわけだ、ロカンタン。オレが渡り合うだけの価値を示せよ?」



 と。

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