第286話 信じる者を救うには

「しかし」


 たしかに処世術として、今の話はよく分かる。

 が、


「それで本当によろしいのでしょうか?」


 個人の復讐心のために、同盟全体が負担を強いられている。


 何より、睨まれては厄介だからなどと、処世術などと、



 プライドと激情と、部下をこよなく愛し心を汲み取るジャンカルラが。



 それがラングレーには理解できない。受け入れられない。

 しかし当の彼女は、


「構わないさ」


 爽やかに笑っている。


「何故ですか!? あなたは皇帝シルビアと理想を同じくしていたはずです! いえ、そうでなくとも!」


 彼は思わず椅子のにまで手を掛け、上官に迫る。


「『ビッグ・シップ・プレス』にて『半笑い』と激突した時! 『子や孫、後ろに控える市民に、終わらせる時代や顧みる時代を与える』と我々を鼓舞した! あの時のあなた自身の情熱をお忘れですか!?」


 しかし、そこまでされてもジャンカルラは淡々としている。

 無礼を咎めもせず、平然とチキンの骨周りを仕上げ、


「チキン食べないの? 冷めるよ。手羽先も君を待っているというのに」


 また骨をナプキンへ投げ、指に付いた脂を舐める。


「提督!」


 そのがヒートアップさせるのだろう。

 ラングレーの声が一段ボリュームを上げると、


「ラングレーくん」


 その口の前に、白くしなやかな小指が立てられる。

 ちょうど『しーっ』と他人に静粛を求める時のような。

 きっとチキンを食べたり脂を舐めていなければ、人差し指が出されていたことだろう。


「君の言うとおりさ。僕はたとえシルビアがいなくとも、自分自身の理想として平和を願っている。これはきっと、アンヌ=マリーと出会わなくたって生まれたこころざしだ」

「であれば」

「でも僕は、シルビアほど理想の力を信じてもいなければ。アンヌ=マリーほど人の善性を信じてもいない」


 唐突な、チキンよりも冷めた声だった。


 そういえば、そもそもこの人は今、機嫌が悪いのだった。

 ジョークだったり飄々とした言動をするから隠される、いや、

 中途半端に機嫌が悪い時ほど、そういう態度をする人なのだ。


『情緒が表に出る上官はやりやすい』

 などと思っていた副官だが、提督とはそう簡単な生き物ではないらしい。

 実際彼は先ほど引き合いに出した決戦まえの胸を打つ演説すら、本人は心の裏で


『これは呪いの言葉だ』

『そんな目で僕を見るな』


 と思っていたことすら、知らないのだから。

 ラングレーが提督の心理や乙女心の分かる紳士になる日は遠そうである。


「それは、どういうことですか」

「シルビアは『戦争を終わらせ、平和をもたらす』という正しい理想なら、万人に届くと信じている。アンヌ=マリーは『人には生きる価値があり、正しき方へ導かれる』とコズロフを救った」


 ジャンカルラはチキンの箱をラングレーに渡し、上体を起こすと、


「でも現実はどうだ」


 ウェットティッシュで指を拭う。


「平和の光は彼の復讐心を払えず、戦線はますます拡大している。評議会もそれを推進している」


 彼女は指を拭き終わると同時、ようやく副官と目を合わせた。

 別段怒りが滲んでもない、素直に受け入れるような色が悲しい瞳。

 さすがのラングレーも勢いを保てない。

 相手に迫っていた背筋を戻す。


「夢は夢、理想郷は遥か遠き……ということですか?」


 しかし、


「ラングレーくん。件の『ビッグ・シップ・プレス』まえの演説、僕が常々言っていること。覚えているかい?」


 人を信じてはいないが、ただ無抵抗で悲劇性に酔いはしないのがジャンカルラである。


「はっ、『戦争には四つの時代がある』でしょうか」

「そのとおり。『終わらせる時代や顧みる時代が来るには、この時代を戦い尽くさなければならない』」


 彼女は椅子にちゃんと座りなおし、テーブルに両肘をつく。


「僕はね。理想や人の善悪ではなく。行き着くところまで戦い尽くせば、戦争は終わると思っている」


 そのまま両手の指を絡ませると、相手と目を合わせたまま頬を乗せ、


「君は僕にコズロフのいくさを、『それで本当にいいのか』と問うたね」

「はい」


 魔性のような笑みを浮かべた。



「いいに決まってるじゃないか。彼がやってくれるというんだよ?」



 しかし、その人外めいた、

 ともすれば人の命などなんとも思っていなさそうな表情に煽られたか。


「し、しかし」


 ラングレーは納得するどころか、少し震える声を溢す。


「なんだい?」



「その『戦い尽くす』というのは、まで?」



 ジャンカルラの目が細まる。

 笑うから細まるのとは違う。

 むしろ目が笑っていない。


「それで絶滅戦争にでもなったら。いったい誰に『次の時代』を託すというのですか?」


 その言葉に彼女は正面を向き、

 遠い目で呟いた。



「戦争にむまで」



 答えに窮したというよりは、確実に見据えているからこその遠さに見えるが。

 それでも彼は、疑問を抱かずにはいられなかった。



 果たしてあの妄執に取り憑かれたコズロフが、

『戦争に倦む』ということがあるのか?



 と。






 敵も味方も等しくうれうような戦禍のなか。


 冬の寒さも徐々に去り行く3月3日。

 誰もが時代の寒さも明けてくれと願う柔らかい日差しの朝。



「頼むわよ、リータ」

「お任せください」



 皇国首都星カピトリヌス。

 帝都からは離れた都市の軍港、滑走路にて。

 シルビアとリータは向き合っていた。

 小さな少女の、見合わない立派な着帽敬礼が向けられる。


 その後ろには、整備が行き届いてピカピカと光る、

 準備万端の『王よ、あなたを愛するアイラブユーアーサー』。


 リータは裏地だけでなく、全面ウルトラマリンブルーのマントを翻し、

 軍帽の、マントと同色のメタリックな槍斧ハルバードの徽章を輝かせると、



 午前9時ちょうど。

 カピトリヌスを進発した。

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