第274話 決別の結末

 ケイは何を言われているのか分からない、という顔をしている。

 読解力の問題ではなく、予想だにしていなかったため脳が処理できていないのだろう。


「えっと」

「今回の一斉検挙を機に、元老院制度は廃止するわ。よからぬ連中が徒党を組んで、悪巧みをしないよう。私利私欲の利権絡みで、必要な施策での足の引っ張り合いをしないよう。そのためにも、指揮系統を一本化するわ」


 シルビアの説明で立ち止まっているあいだに、クロエたちは進んでいく。

 彼女はその狭間で半身はんみになり、後ろ姿をチラチラ目で追っている。


 しかし、それを分かったうえで引き剥がすように、シルビアは話を続ける。


「だけれど、それでは内乱を起こした悪しき独裁と同じようになった時。誰にも止めることができなくなる。何より私は軍人畑。残念ながら、一人で国政を背負えるほどの知識はないわ。だからここに、宰相という人物が必要になる」

「それは、そうでしょうね、おそれながら」

「であれば、宰相は政財界に通じ、清く正しい人間でなければならない。そして宰相のもと、考え、動く者たちも同じ。邪念なく宰相と国家を支える心を持たねばならない」


 クロエたちが玉座の間の入り口で立ち止まる。

 そこでケイもようやく、シルビアの方へ正対する。

 するとちょうど、殺し文句でもないが。

 為政者は厳粛な、しかし讃えるような声で告げる。


「ケイ。あなたなら、その才覚と人望があるわ。引き受けてくれるわね?」


 対する彼女は、


「過分なご評価を賜り光栄です。しかし」


 少し俯き気味。

 それからチラリとクロエたちの方を見遣ると、シルビアへ真っ直ぐ視線を戻す。


「私には、以前から考えていたことがございまして。近いうち、お伝えしようと思っていたのですが」

「知っているわ」

「えっ?」


 もちろん手紙のことであろう。

 ケイは皇族と、それにまつわる世界から身を引こうと考えているのだ。

 当然辞退するに決まっている。

 そんなことはシルビアも分かっている。


 食い気味に、しかもこっそり考えていたことに言及され、ケイは目を丸くしている。

 そこに畳み掛ける、ではないが。


「あなたが今般のことに深く責任を感じていること。自身になんらかの『末路』を科さなければ気が済まないこと。ゆえに、自ら追放されるように、どこぞへ身を引こうとしていること。全て知っているわ」


 相槌は特にない。余裕がないのだろう。

 あったとしても、彼女に待つ気はない。


「今回皇后陛下のお側に立ったのも、陛下とともに去る覚悟のことだったのでしょう。でもね」


 先ほどまで厳然としていたシルビアが、一歩前へ出る。


「逃がさないわよ」

「えっ」


 少し獰猛な気配を滲ませて。


「あなたが内戦を引き起こす一端となったと言うのなら。それによって社稷が傾いたと言うのなら。責任を感じていると言うのなら。その分立て直すのが道理じゃないかしら?」

「それは」

「かつてショーンに命を狙われた時、あなたを救ったのは私よ。この内戦を終わらせたのも私。なら、今度は私を助けてくれるべきではないの?」


 獰猛どころではない。

 たとえ間違ったことを言っていないにしても。

 恩を笠に着て人生が変わる判断を迫る姿は、悪魔にも見えただろう。

 瞳孔が開き、言葉もない妹の眼前に立った姉は、その両頬へ手を伸ばす。

 魅入るように。魔性が口付けを迫るように。

 そのまま、先ほどまでの正しい為政者然とは真逆の声で囁く。


「あなた、クロエを救いに来たんでしょう? 私が罰そうとしたら、命懸けでも反対するつもりだったんでしょう? でも私はあの子を許すわ。殺したりなんかしない。でも、それなら」

「う……」

「誰かが代わりに、カラダを差し出すべきじゃないかしら?」


 はっはっと息を切らすケイの、首筋に光る脂汗を舐め取るような声だった。

 哀れ女郎蜘蛛に囚われた蝶に対し、



「ケイちゃん」



 不意に。

 玉座の間の入り口から声が掛けられた。


「あ」


 彼女がゆっくり振り返ると、そこでは声の主がこちらを向き、微笑んでいる。


「ケイちゃんは私たちを守ろうとしてくれてるんだね?」

「ク、ロエ」

「それで、最後はどこへ行くとも分からない私たちと、一緒に来ようとしてくれてる」


 まさに親友同士という、優しい響きの声。

 それが、


「でもね」

「え」



「ケイちゃんはそっち。私はこっち。敵と敵。そのうえで、ケイちゃんは勝って、私は負けたんだよ」



 一瞬で、言葉以上に冷たい空気を放つ。

 なんなら先ほどまで一番ケイを追い詰めていたシルビア自身が固まるほどに。

 彼女からは角度的に、ケイの顔は見えない。

 ただ自身と同じ赤毛の後頭部があるのみだが。

 正直あまり、表情と心情を考えたくないような、分厚い壁があった。


「じゃあね」


 軽く言い放って立ち去るクロエ。

 先ほどまでは力なく崩れていたり、リータに殴られ呆然としていたが。

 こんなかたちでも、なんらか闘志のようなものをいだけたのか。

 堂々退場するその背中に、


 シルビアは彼女と二度と会わない予感を感じた。






 事実その後、謁見の続きが行われることはなく。

 クロエが罪に問われることはなかった。


 もちろんその人望を野放しにするのも危険と、政財界社交界から切り離されはした。

 が、極刑はもちろん追放、監禁生活もなかった。

 ゆえに帝都やカピトリヌスに残ってもよかったのだが。


 彼女は自身から望んでカピトリヌスを離れることに。

 もちろん行き先に制限があること、非公式に監視が付くことは承知のうえ。


 それでもカタリナ一人を伴い、全てを忘れ、旅立っていった。






 クロエが去ってから数日。

 ノーマンや一部政府高官、一連の刑執行が終わり1日の喪を挟んだ吉日。


 日時にして2324年10月24日、正午ちょうど。

 晴れ、『黄金牡羊座宮殿』玉座の間にて。






“流した血は帰ってきません。そして、どう取り繕えど、この愚かな内戦の犠牲に美談じみた大義は持たせられません”


“だからこそ、私はこれを教訓としなければならない”


“このようなことは二度と繰り返さないこと。弱り切ってしまったこの国を、以前のように建て直すこと。それは当然の前提とし”


“彼らはいなくなってしまったけれど、それには代えられないけれど。それでも選ばされた道の中で、よりよい未来を、真の平和をつかみ取ること”


“それのみが唯一、この罪をすすぎ、初めて彼らに顔向けできる行いであると”


“そう肝に銘じ、そこに私の命と治世を注ぐことを、ここに宣言します”






「皇国万歳! 皇国万歳!」



「新皇帝陛下万歳!!」






 新皇帝の即位式が執り行われた。



 シルビア・マチルダ・バーナード帝の誕生である。

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