第273話 黒きを飲む一撃

 そもそも何故シルビアがここまでクロエを尊重し、配慮するのか。

 それは何も、彼女が友人だとか、それと比べてノーマンはどうでもいいとかではない。


 何より重要なのは、クロエが持つ国民人気である。



 いくら正当防衛とはいえ、シルビアが抵抗したゆえに多くの血が流れた。


 父や母、兄弟姉妹、息子や娘が死ぬくらいなら。


 家族を喪った国民が、彼女にそういう視線を注ぐのは仕方ない。

 道理ではなく感情論でそうなることを、誰も否定できない。


 しかしそうなると、過剰なマイナス意識を載せてくる人もいる。

 血と争いで帝位を簒奪した、悪魔のような女である、と。


 何より、今回の事件の遠因であったように、


 多くの人にとっては、シルビアは変わらず『悪役令嬢』なのだから。



 だからこそ、その矛先の盾となるもの。

『彼女には新しい支配者に相応しい度量がある』と示すもの。

 これ以上国民の反感を買わないムーブが必要となってくる。


 そのためにマストなのが、クロエの命を助けるということなのである。


 それだけ『主人公』の人気、世界から受けた祝福は大きい。



 ゆえに『いかなる都合で』と問われては、シルビアはどうしても差し込まれる。


 もちろん

『この内戦で多くの親しい人愛しい人を喪った。だからクロエくらいは』

 という、人としての柔らかい都合もある。


 しかし何より、政治的利用だという自覚があるから。

 どうしても心にズキリと来るものがある。

 親しい友人であるがゆえに。



 私、こんなことで悩んでるんじゃ、皇帝とか向いてないかもね。



 ふと、そんなことすら頭をよぎる。


 だが、今さら認められようか。

 ここで自分が折れるのは簡単だが、それで残される国民はどうなるのか。


 黙ってはいけない。

 自身を奮い立たせるべく、彼女は背筋を伸ばし、凛とした声を張る。


「都合などと、そんなものを差し挟むのはあなたの行いに対する侮辱だわ」

「私の?」


 思わぬ返しに面食らったか、初めてクロエが人間らしい反応を見せる。


「えぇ。あなたは先の内戦で、戦禍を拡大させないよう各方面の司令官へ手紙を書いたそうね」

「あ」

「『今回の内乱、どちらの勢力にも加担しないよう』。非常に人道的な判断よ。これになんの罪を問うと……」

「そうですねぇ」

「えっ」


 力説している最中、遮るように言葉を返され、シルビアは思わず変な声が出た。

 逆にクロエには嘲笑するような雰囲気がある。

 今までは生気がないような顔付きだったが、さっきの言葉が何かスイッチを入れたのか。

 今度は正気がない。


「そんなこともありましたねぇ」

「え、えぇ」


 彼女は遠い昔の記憶にうっとりするような、そんな角度で首を傾けると、



「でも、間違いでした」



 暗い、ともすれば邪悪とすら思えるような微笑みを浮かべる。


「それは、どういう」

「だって」


 シルビアの問いに、クロエは演技掛かった動きで答える。

 両手を相手の顔へ伸ばし、一歩、二歩、ゆっくり近付く。



「そんな手紙など書かなければ。夫に従う戦力がもっと……」



 そう言葉が紡がれた瞬間、




「きゃあっ!!」




 鈍い音と、甲高い悲鳴が上がった。

 悲鳴はケイのものである。

 彼女は口元を押さ、驚愕に目を見開いている。

 では鈍い音は誰のものか。


 それは床に尻餅を突き、呆然と相手を見上げるクロエが押さえる頬と、



 シルビアの左で居並ぶ列から進み出たリータの、振り抜いた右拳だろう。



「な、え、あ……」

「舐めるなズベ公」


 少女は冷たく吐き捨てたかと思うと、


「元帥閣下」

「あっ、えぇ」


 シルビアの方へ素早く振り返り、


「狼藉を働きました。謹慎しております」

「ちょっと」


 そのまま退出してしまう。

 何がなんだか分からなくなりかけた彼女だが。


 左利きのリータが右で殴った。

 そこからなんとなく察せられる。



 まず、あの子は本気で殴ったわけじゃない。



 だからこその右手であり、そもそもあの怪力である。

 フルパワーでやられようものなら、今頃クロエは下あごがないだろう。


 では何がしたかったのか。

 なんのために殴ったのか。

 殴ったことで何が起きたのか。


 クロエが尻餅を突いた。

 それだけではない。

 クロエといえば、彼女の自嘲するような言葉が遮られたのだ。


『手紙など書かなければ。夫に従う戦力がもっと』


 続く言葉はなんだったろうか。

 先ほどまでの態度、話に聞いている最近のノーマンとの蜜月を考えれば分かる。

 きっと彼女はこう言おうとした。



『夫に従う戦力がもっとあれば、戦争に負けなかったのに。あなたを討って、丸く治ったのに』



 致命的である。

 さすがにこのような発言までされては、シルビアもクロエを庇えない。

 このような発言をスルーするのは寛大さではない。

 ただ、新政権に『明らか反抗的な者を放置する』弱みを持たせるだけである。

 彼女がこの『許される場』を設けられているのも、

『そもそも敵ではない』というお題目があって成立しているのだから。


 それが崩れ、シルビアがクロエを罰したその時。

 前述のように、新政権は国民を宥める手段を失う。


 それをクロエ本人が分かっているかは不明だが。

 事実として文字どおりのキラーワードが放たれかけた。


 だからリータは殴ってでも止めたのだろう。

 その状況を避けるため。

 シルビアも悪くない、自身のみが乱暴狼藉の者と収めるため。



 であれば。

 少女がわざわざそうしたのであれば、主人たる自身の役目は。



「静粛に」



 シルビアは鋭い声で、ざわざわと、あるいは呆然とする一同を律する。


「予想外のことが起きてしまったわ。状況が状況ですし、皇后陛下の心身も心配よ」


 彼女はまだ尻餅を突いたままのクロエを見つめ、それからケイとカタリナに目配せをする。


「今回の謁見はここまでとしましょう。皆、ご苦労でした。解散いたしましょう」


 アクシデントをイレギュラーで防いだリータ。

 シルビアに託されたのは、状況の収束であろう。

 騒ぎをまとめ、これ以上何も起きなくするために。


 目配せを受けた二人もそれを感じ取ったのだろう。

 素早くクロエを助け起こし、手を引き背中を押して、そそくさと引き上げにかかる。


 その姿を見て、シルビアはもう一つ大事なことを思い出した。

 この、多くの聴衆の面前で宣言しておきたかったことを。


「ケイ」

「えっ? はい、


 自分が声を掛けられるとは思っていなかったらしい。

 彼女は少し抜けた声のあと、姉の方へ振り返った。


 以前からいる手紙。

 その意志を示すように、姉とは呼ばなかった相手の方を。


 だからこそ第四皇女も、その逃げ道を潰すように、

 されど、だからこそ何事でもないように告げる。



「あなたを宰相に任じるわ」



「はっ?」

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