第272話 捻じくれる少女
クロエはカタリナとあと数名に伴われて現れた。
静かな立ち姿で、静かに歩みながら、現れた。
静かだった。
貞淑に音を抑えられた、とは違う。
たとえば、床にスポンジを落としても音がしないような。
そういう
陽炎や幽鬼にも近い。
彼女はシルビアまであと5歩くらいの位置で、カーテシーをして見せる。
その動きすら、なんだか操り人形のように。
あるいは関節に油を差していないブリキのようにぎこちない。
そんな彼女と合わせてカーテシーをする、衛兵以外の二人の女性。
クロエの右手にカタリナが、
左手にはケイがいた。
この内戦、ずっとシルビア派に属していたケイが。
本来今日の謁見でも、こちら側にいるべき彼女が。
クロエの隣に立ち、シルビアと対峙するかたちで現れた。
ともすれば、
『宮中を離れた挙句、シルビアのおかげで生き残ったくせに』
という
まるで、
『だとしても、この友情だけは譲れない』
『多くを救えなかった自分自身に、唯一残されたものだから』
と訴えるように。
また、自身へ向けられる意志の強い瞳に。
シルビアには昨日の今日で感じられることがある。
最後だから、クロエに殉じようってわけね。
もちろん殉じると言っても、死を意味するものではないだろう。
しかしケイは一連の戦後処理を最後に、宮中や政治の世界を去るつもりである。
怖いものなしとまでは言わないが。
クロエとともに追い出されることになろうと、失うものがないのだろう。
彼女が悲壮に燃えている一方で、
当の皇后はというと
「クロエ・マリア・エリーザベト・バーナード皇后陛下ですね?」
「はい。そのように呼ばれていますわ」
シルビアへの返事に、乾いた笑いが混じった声を返す。
表情も明らか、皮肉げに左右へ口元が伸びている。
少し頬が痩せたせいか異様に、裂けたように見える。
「何か、おかしいかしら?」
「いえ、閣下がおかしいのではありません」
動揺しているとは思われないよう、いくらか落ち着いて返すと。
彼女は首をカクリと傾け、周囲を流し見る。
そのあたりの球体関節が擦り減って、座りの悪い人形のような。
「元々は皆、同じ国家の仲間であり、私たち、あれだけ仲よくしていたのに」
光のない目が細められ、虹彩が隠れて瞳孔が目立つ。黒い。
「閣下たちは戦場に散り。メイメイは私を裏切り。夫は私を置いてゆき。社交界で『蝶よ花よ』とおっしゃった皆さまは晒し者の私を囲み。親友だったあなたに裁かれる。自らの運命の惨めさに、どうにも笑いが止まらないのです」
メイメイ、シャオメイの裏切り。
クロエが彼女の正体を知ったのは、その死後だいぶあとである。
そもそも彼女が今ここにいる経緯だが。
クーデターの翌朝、目を覚ませばノーマンがいない。
当然クロエはカタリナを問い詰め、ことの経緯を知った。
当然彼女は取り乱し、自らも自首し、夫と運命をともにしようと訴えた。
しかしカタリナがそれを許さない。
ノーマンの思いを無駄にするのか。
あなただけでも救いたかった彼を、絶望の底に落として死に行かせるのか。
繰り返し説得し、マクレガーが手配した迎えが来ると、無理矢理車へ押し込んだ。
こうなってはもう、どうすることもできない。
かつて夫に戦えと訴えた自身である。
納得はできずとも、今の自分には逃げ延びるという『戦い』をする義務がある。
そう心を入れ替えた矢先。
カピトリヌス脱出まであと一歩。
空港にて彼女を待っていたのは、皇国軍情報部の軍人たちだった。
「皇后陛下でいらっしゃいますね」
「え、なん、誰?」
クーデターがあったあの日。
シャオメイから渡されたロケットペンダント。
その中には、発信機が入っていたのである。
それによって彼女の位置は筒抜けとなっており、空港で待ち伏せを受けたのだった。
シャオメイの目的は自身に何かあった時、情報部でクロエを保護するため。
しかし当の本人からすれば、いざ逃げ出そうという時の詰み手となったのだ。
自分を売り渡すためのものだったと思っても不思議ではない。
なんならノーマンが警察に連行される時は助けてくれなかった。
運命共同体となっていた二人に、『自分だけ』は救いではない。
クロエが『裏切り』と語るのも、無理からんことではある。
だから今この場も。
あらかじめスパイを派遣し、彼女だけは守ろうとしていても。
裁判所ではなく宮殿。裁判ではなく謁見。
それもシルビアが呼び付けるのではなく、自らお伺いに参上したかたちでも。
これだけ『あなたを尊重しており、決して罪に問うことはない』と表明しても、
『親友に裁かれる』
クロエがそう語るのも、無理からんことなのである。
それがどれだけ、シルビアの心を刺そうとも。
なればこそ、まずはその誤解を解かねばならない。
自分自身の思いを伝えるなどというより、彼女の苦しみを軽くするため。
「皇后陛下。まずこの場は、あなたを裁くものではありません」
シルビアの言葉に、クロエの視線が周囲をもう一周する。
「ではなんだとおっしゃるのでしょう」
「ただ、少し聴取をしたいだけであって」
「聴取、ですか。この状況で」
「あなたの無実を聞き届けるための証人たちよ」
「はぁ」
目をぐりぐり動かしていたクロエだが、ようやく視線がシルビアへ戻る。
「でも、夫は死刑になるのでしょう?」
「それは、えぇ」
シルビアが歯切れ悪く答えると、彼女は自身の胸元を押さえる。
「だとすれば、いかなる理由で私は無罪になるのですか? 妻たる、皇后たる私が」
「それは、普通に考えなさい。市井で夫が人を撥ねたとして、家にいた妻が捕まるものかしら」
今度はしっかり答えられたシルビアだが、
「いかなる都合で?」
「っ」
そう返されると言葉に詰まる。
事実、彼女が無罪になる、いや、無罪にしたいのは、シルビア側の都合でしかない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます