第271話 山は絶え間なく

 ノーマンのことこそ、一度判決が出ればしばらく期間が空く。


 が、もちろんシルビアがなさなければならないことは、それだけではない。

 敗者が全てを失う分、勝者は得る。

 得た分だけ、それらを背負い、捌かなければならない。



 ノーマンの裁判を終えたシルビアはまず、カーチャ邸に戻り昼食を詰め込んだ。

 一時期熱く語ったものだから、誰かが好物と思って気を利かせたのだろう。

 皿にはケバブが載せられていた。

 正直、引きずっている暗い気持ちが失ったものを数えさせかけたが、


「気の利かないシェフですね。こんな時に好物食べたら、食べるたびに思い出しておいしくなくなる」


 リータが別のマイナスで塗り潰してくれたので、


「……そうね」


 無理矢理飲み込むことができた。

 戦うためにはエネルギーがいるのだ。






 午後からは人事。

 まだ正式に布告はしないが、水面下で青写真を描いておく。



 たとえば、せっかく元老院が丸ごと消滅したのだから制度自体を変更。

 皇帝→宰相→各省庁と、命令系統を一本化。スムーズにすることで、乱れた国家を素早く建て直せるようにする。


 本来なら元老院を廃するのだし、宰相を噛ませるのは余計かもしれない。

 しかし、この国は皇帝の判断で未曾有の悲劇を迎えたばかりである。

 強いリーダーを必要としながらも、独裁へ先鋭化するとアレルギーが出るだろう。


 何よりシルビアは宮中や政界に明るくない。

 そのあたりを補ううえでも、宰相くらいはいた方が確かだろう。


 特に彼女は、より深刻な軍部に集中しなければならない。

 全体を把握しているバーンズワースやカーチャがいなくなったのだから。



 軍部の差配と言えば、長らくの計画がもうすぐそこである。

 そう、


『皇帝になってリータをはべらせ、日々のんびり過ごす』


 というアレである。

 まだまだしばらくはとまでいくまいが、確実に進んでいる。


「……ふふ」


 正直楽しい。

 別に好きなジャンルの作業というわけではないのだが、未来を考えるのは楽しい。

 無益な殺し合いや有益な虐殺よりよっぽど気分がいい。

 いつまでもこういう作業だけしていたいが、


 そういうわけにもいかないのだ。


 戦後の傷口が広がるのは、敗者だけではない。


 不意に、ドアの向こうからノックの音がする。


『閣下。カークランドです』

「どうぞ」

「失礼します」


 副官はすんなり入ってくると、彼女の前で敬礼する。

 最初はシルビアが執務室兼寝室をカーチャの私室に定めたため、


「女性の、セナ閣下の寝室……! 入りづらいなぁ、緊張するなぁ」

「あ? 私の艦長室にはドカドカ踏み込んでくるやつが何を?」


 などという一幕もあったが、慣れた様子である。


 もしくは、気にしている場合ではない何かがあったのか。


「要件は?」

「はっ! 先ほど、ケイ殿下付きの侍従の一人が、書きかけの手紙を発見したそうで」

「手紙、ですって?」


 彼女の眉がピクリと動く。


「電報か何かの草案かしら」

「いえ。便箋で、封筒も用意されていたと」

「ふむ」


 この時代、手紙は要注意である。

 誰かに何かを伝える際、速さや準備するものの観点から、利便性では電報が勝る。


 しかし手紙はアナログゆえに。

 電子ログからすぐに『いつ』『誰に』『何を』伝えたか探れない秘匿性がある。

 特に腹心に伝書鳩をさせれば、郵政にも足跡が残らない。

 ショーンがシルビアを同盟へ飛ばした時のように、内戦時クロエが各方面へ


『どちらにも味方するな』


 と、反逆罪とも言える密書を送りながら何もなかったように。

 バレない時は本当にバレない戦術なのである。



 それを、このタイミング、ノーマンがたおれた今。

 シルビアに帝位へ就かれては困る奴輩やつばらが誰を担ぐか、という時。

 油断ならざる報告である。


「誰宛てかしら。内容は?」


 よっぽど緊張の滲み出た顔をしていたのだろう。

 カークランドの顔の右半分が、少し呆れるように緩んだ。


「宛先は閣下のようです」


 それを聞いて、彼女も肩から力が抜ける。


「あら、私? じゃあフライングで伝えるなんて野暮じゃないの」


 おどけて首を竦めて見せる。

 が、


 決してお気楽な話でもないのだろう。

 副官の左半分はまだ険しい。


「内容の方なのですが」

「えぇ」

「なにぶんまだ書きかけではありますが」

「早よ言え」



「どうやら、ひととおりの戦後処理が終わり、国家の運営が正常に戻りましたら。殿下は皇族の籍をて、宮中を去られるお心づもりである、と」



 報告にシルビアは背筋を伸ばすと、

 再度力を抜くように、鼻から大きく息をつく。


「つまり、辞表か置き手紙でも作っている、と?」

「御意」

「……気持ちは分かるわ」


 彼女はもう一度、鼻からため息。


 シルビアも多くを失い、苦しんだ内戦ではあったが。

 ケイもまた、なんなら勝てば一時的にもゴールの姉と違って。

 今こそが一番辛く、デリケートなタイミングなのだ。



 彼女は午前のノーマン裁判には参加しなかった。

 単純に忙しいし、何よりシルビアが慮って外したのだ。


 家族で最も自分を慕っていた、最もかわいい弟。

 その裁判に裁く側の席で臨むなど、こんなに残酷なことはない。

 だから臨席を求めなかった。


 が、現場にいなかったからといって。

 裁判があることを知っていれば、結果は予想できる。


 今ケイの精神は限界のところにあるだろう。



 それだけではない。

 彼女には深い負い目がある。

 内戦が始まって以来、常々


『自分がノーマンを間違えさせた。この戦争は自分が起こしたものだ』


 と、息もせずに繰り返していた。


 この自責の念が、戦後自身をのうのうと勝者側に置くことを許さないのだろう。



 また、姉より政治的に聡い娘である。

 ショーン、ノーマンと二代に渡って続いた骨肉の争い。

 帝位を狙う、もしくは狙われる恐怖が発端の争い。

 あるいはそれに付け込む者どもの起こす争い。


 そこに、今や二人だけの皇位継承者となった自身と姉。


 ケイ・アレッサンドラ・バーナードという存在が、立場が。

 なんの因子を孕んでいるか、考えないわけはないだろう。

 たとえそれが、天下泰平のためでも、保身からであっても。



「はぁ、気持ちは分かる、けど」


 シルビアは三度目、今度は口からため息をつき、額を抑える。

 その指先をカークランドが見つめる。

 ただでさえ心労重なる日々に、新たな苦悩が増えたことを心配しているのだろう。

 が、


「はぁ」


 四度目のため息を隠すように、鼻と口を両手で覆ったシルビア。


「でもねぇ」



 思ったよりその目は、迷ってはいなかった。






 もちろんケイのことが頭の痛いニュースであったことには変わりない。

 が、シルビアの中では、それに対する答えがあるのだろう。

 そして何より、それ以上に、



 目下の悩みの種、ともすればノーマン以上の山が、彼女にはまだ残っている。






 翌日、15時ちょうど。

 シルビアは内戦以来初めて、『黄金牡羊座宮殿』に足を踏み入れた。


 そのまま彼女が向かったのは、式典などで使われる宮中の心臓、

 玉座の間。


 まだ誰も手続きをしていないので、一応書類上法律上はノーマンが皇帝。

 よってシルビアが壇上には上がらず、

 されど左右に主だった文武百官を従え待ち受けていると、


 やがて開けっぱなしの入り口に、人影が現れた。

 今回謁見する相手、



 皇后クロエ・マリア・エリーザベト・シーガーである。

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