第270話 アルジャーノン

 シルビアが法廷内に姿を現したのは10時18分。

 御前裁判用ではないので裁判官の席が最上段。

 よってそこに彼女とリータが着き、裁判官は書記官の席へ。書記官は弁護士の席へ収まった。

 当然のように弁護士はおらず、被告の席もない。


 始まるまでまだ少し時間があり、被告も入廷していない。

 緊張で息が詰まるシルビアは、隣の少女に声を掛けた。


「ねぇ、リータ。ノーマンのことなんだけど」


 ウルトラマリンブルーがこちらを向く。今日の海はいでいた。

 青は人を落ち着かせる効果があるとか。

 それだけで、『同列の席は』と固辞する彼女を無理矢理隣にした甲斐を感じる。

 が、


「厳しかったら、イベリアでの初任務を思い出してください」


 声も凪いでいるゆえに、冷たい海だった。

 シルビアも押し黙る。

 言われている内容の強さもそうだが。

 これ以上口を開けば、余計な弱さがボロボロ流れ出てしまいそうだったから。



 それからシルビアが準備を続ける書記官や、無人の傍聴席を眺めているうちに、


 10時27分。

 ノーマン・ライアン・バーナード入廷。


 手錠で戒められ、両脇を小銃装備の兵士に固められ、

 いつかのショーンのように。


 思わずシルビアは息を飲んだ。

 心の準備がなければ、両手で口元を覆っていたかもしれない。

 敵として、勝者と敗者として、新たな為政者と追い落とされし皇帝として。

 向き合う構図を早くも崩していたかもしれない。


 が、それは何も、物々しい罪人としての扱いに心揺れたのではない。



 彼女も知ってはいたのだ。

 カピトリヌスへ入るまえ、大気圏外から地上へ投降勧告を行なった際に聞いてはいた。

 無条件降伏を申し出る元老院が、便宜を図る交渉材料のように


『皇帝ノーマンは宮殿から逃げられないようにしてある』


 と、あるいは媚びるように手柄を自慢するように申し出たのを。

 連中は隠していたが、手段が武力によるクーデターであったことも知っていた。

 ゆえに、帝都に到着してすぐ粛清するとの判断に至ったのだから。



 リータから、聞いてはいたのだ。

 彼女が元老院を捕縛し問いただした結果、


『皇帝は地下ピットに監禁されている』

『皇后は惜しくも逃し、行方ゆくえがしれない』


 という情報を得たこと。


 現場へ急行すると、そこには椅子に縛り付けられたノーマンがいたこと。

 彼女らは知る由もないが、逃走に失敗したあの日のパジャマのまま、

 酸素も危険なレベルで薄い空間の中、

 あえて放置された湧水に足首まで浸かり、低体温の状態で、

 息も絶ええであったこと。


 連行どころか救助になったこと。

 温かいシャワーを浴びせる際に、自分で服を脱ぐ体力もなかったこと。


 クロエの居場所を聞かれたのだろう、

 痩せた身体のいたるところに、青アザやミミズ腫れがあったことを。



 別にそれらがシャツの襟元から覗いているわけではない。顔は避けたのだろう。

 証言台に立たされた姿だけ見れば、やはり心労で痩せたかとしか思わない。


 しかし、そこに至るまでの歩き方に。明らかにが残ったような足の運びに。


 シルビアは全てを感じ取ってしまったのだ。


 もっとグロテスクなものは、リータが言うとおりイベリアで見た。

 今回の内戦で、多くの同じ年頃の少年兵がもっと悲惨な死に方をしただろう。


 それでも、それでも。






「これより、皇帝ノーマン・ライアン・バーナードの裁判を開廷します」



 シルビアにはそれがすでに、葬送の鐘の音に聞こえた。

 いつか聴いた『主の庭は満ちたりヘヴンフィル』の鐘を思い出し、ただ静かにアンヌ=マリーを想った。


 この内戦で散っていった人々を、大切な人を。

 ひと足さきに向こうへ渡った彼女が、優しく抱き留めていることを願った。


 そして段の下、目の前の少年について。

 自分はどうにも救えないから。

 代わりに彼女が赦しと主の庭への導きを与えるよう、祈った。



 記録によると、この裁判でシルビアが発した言葉は一言だけ。



“どうして、このような?”



 その曖昧な問いに、臨席した多くの者が日記などに戸惑いの言葉を残している。

 ノーマン自身も最後の日々の手記に、


“もっと恨み節や罵詈雑言を浴びせられると。そうあってだと思っていた。”


 と記している。


 それゆえかどうかは分からないが。

 彼のシルビアに対する言葉も、この時の返事ただ一つだけだった。



“僕はただ、自分が選ばれて王になったわけではないことを知っていただけです”






 この発言が、


『だから彼は人を率いるシルビアを恐れた。嫉妬した』


 という意味なのか、


『それでも立場に応えよう、皇帝たらんと振る舞おうとし、独善、方向性を間違えた』


 なのか。

 後世の歴史家も意見が分かれる。

 いくら資料から彼の性格や知性を参照しようとも、答えは出ない。



 ただ、一つの事実として。


 たしかに彼は自身の才覚を望まれて皇位についたわけではない。

 クロエ人気の付属品扱いだったり、一人だけ残った男子だからだったり。

 そういった巡り合わせから、玉座が定位置の置き物にされたようなものである。

 そもそも誰も、彼に正しい為政者を求めてなどいなかったのだ。


 しかし、ならばいっそ、ないがしろにでもすればよかったのに。

 元老院や政治家、大人たちは結局、彼の意見に従い動いた。

 正しいかどうかをただすこともなく、自身の都合に合うかどうかで。


 その結果全ての反動が跳ね返った時。

 大人は誰も責任を取らず、彼を守らなかった。


 最初から正しいことをするとは思っておらず。

 求めず。

 間違いを止めもせず。


 しかし今になって悪行と非難し、罪だけは激しく求めた。


 よって全てが今、彼一人に降り掛かっている。






 ノーマン・ライアン・バーナード。

 皇国史においても、なかなか評価されない人物である。

 実際問題

『無能で、愚かで、最悪の事態を引き起こした』

『周りの大人がどうであったとしても、彼の罪の深さに変わりはない』

 そう言われて反論する歴史家も確認されない。


 が、



 才覚以前の幼き身で時代の渦に放り込まれ、結局滅ぶ羽目になった哀れなる少年。


 ただので、かわいそうな男の子。



 その認識は、誰もが概ね一致する。






 裁判から一週間後。

 特に国民からもマイナスの反響がないことを確認しての2324年10月21日。

 一段と冷え込んだ、秋の薄曇りの正午ちょうど。



──この船はもう沈んでしまいます。僕が沈めてしまったのです。だから、一度僕と沈んだそのあとは。次の人が、次の船を、次へと運んでくださいますよう。どうかその人が、僕とは違って正しい人でありますよう──






 享年15歳

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