第267話 船の行き着く先
「な、え、陛下?」
「陛下じゃないですよ」
優しく微笑みドアへ向かうノーマンを、今度はカタリナが止める番になる。
「陛下っ! それがどういうっ! 『一人で』とはっ! 陛下っ!」
驚きすぎて、うまく言うべきこと聞くべきこともまとまらない。
とりあえず相手の腕をつかむと、彼は振り返ってまた微笑みかける。
そんなふうに笑ってほしくない。
見ている人がそう思うような表情で。
他ならぬ、そう思っている彼女の手に、ノーマンも手をそっと重ねる。
「どういうことかは分かっています」
その手が自分の手を解こうとしていると思ったカタリナは、握る力を強くする。
「でも、ここからどう逃れようと言うんでしょう。ここに強盗が来る、警察が来る。それはあり得ないことではないけれど、必ず起こることでもなかった。むしろ起こらない確率の方が大きいことだった」
しかし、雲でもつかむように、どうにも手応えがない。
もうすでに彼が、神の国へ入った霊体かのように。
「でも結局は、『起こる』ことが選ばれた。これはもう天命なんです。『そうならなければならない』という、大いなる世界のルールなのです」
その証拠、ではあるまいが。
力を込められているはずのノーマンの顔は、痛くも痒くもなさそうな、涼しいかぎり。
「僕は国を乱し、多くの人へ罪を働きました。その責任を、直視しないことがあった。誤魔化して埋めようとしたことがあった。死んで逃げようとしたことがあった。それを、素敵な人が、大切な人が、『どうもできなくてもかまわない。悪くてもかまわない』『生きて逃げよう』と誘ってくれました」
そんな彼も一瞬だけ、少しだけ俗世に引き留められるように。
夢の中だろう『大切な人』の寝顔に、思い馳せるような表情を浮かべる。
「でも、こうなった。僕ではなく正しい人の考えでさえ、叶うことはなかった。それはやっぱり、僕がこうならなければならないという、決まりなんです」
次いで少年は天を仰ぐ。
別の何かへ思いを向けるように。
悔恨と謝罪を込めるように。
「多くの将兵を死なせました。多くの人の家族や大切な人を奪いました。皆、
その視線がカタリナへ戻ってくる。
穏やかだが、痛いほどに貫く何かがある。
「僕は本当に愚かで……愚かだったから。今頃ようやく向き合えたんです。こうすることでしか、償うべくもない全ての罪と責任に、せめての幕は下ろせない」
「し、しかし」
それは正しい意見なのだろう。
胸が詰まって反論も思い付かない。
それでもカタリナは言葉を絞り出す。
「何故、お一人で! 何故クロエさまを置いてゆかれるのですか!? 兄さまも、アッカーマンさんも! 自分の正しさだけで置いていって、なんと勝手な人の多いことですか!」
残される者の悲しい叫び。
しかしノーマンはここでこそ、手に力を込める。
彼女の手が、腕から離される。
思いが通じなかったのではない。
「でもそれは、あなたも同じになるはずだから」
「なんと……?」
分かっているから。
その上で彼の顔に、声に、咎める様子はない。
「たとえクロエが残されることを恨んだとしても。あなたはそうするでしょう? 彼女を守ることが、あなたの目的だから。愛する兄が遺した希望だから。だから最後にはカタリナさんも、僕と同じ判断をするはずです」
むしろ、そうあってほしい、そう信じている、と。
そんな心の籠った目で、真っ直ぐ相手を見つめている。
「僕はこれ以上自分の罪に人を巻き込んではいけない。あなたは僕を捨ててでも、クロエをあらゆることから守らなければならない」
カタリナが何も言い返せないうちに、ノーマンは背を向けドアへ向かう。
地下へ向かう階段を逆に登っていく。
まるで、殉教者が絞首台へ登るように。
「だからあなたも、共犯者としてどうか、許してほしい」
対して彼女は、もう止めなかった。
ただ静かに、背中へ向かって祈りを捧げると
警察の目に付かぬよう、奥へと駆け込んでいった。
「えっ?」
「もしかして!?」
「ウソだろ!?」
「僕は……」
一人の少年の、静かな一晩の物語は
2324年10月9日0時36分
皇帝ノーマン・ライアン・バーナードは、帝都中心街から少し外れた民家にて
スペンサー・ベッツ巡査らによって確保された。
歴史書ではこのように素っ気なく記されるのみである。
それとは少し時間を前後して。
遠く。物理的には遠いが、銀河で見れば遠くもない星の海を、
皇国軍シルビア派艦隊は、首都星カピトリヌスを目指し航行していた。
その旗艦『
シルビアが艦長席で腕組み座っていると、デスクの受話器のランプが灯った。
「もしもし」
『リータです』
「どうかした?」
その声がいやに平坦だったので、彼女もラブコールと騒ぎはしなかった。
ゆえにリータも、すんなり話に入る。
あるいは、平静を装って余裕がないような。
『諜報員の
「……そう」
『宮殿の正門を閉ざして、自ら磔になって死んでいたそうです。ですので、以後の情報は少し遅れがちになるかと』
「分かったわ」
『黄金牡羊座宮殿』にてクーデター発生。
この第一報以降まともに報告がなかったため、薄々察してはいた。
シルビアは通話を切ろうかと少し迷う
相手が切らないので、ゆっくり言葉にした。
「情報部の、オーサー=
『はい。シャーリーは孤児院のみんなの、お姉さんでした』
「……えぇ。門を塞いでいたということは、クロエを外へは逃がせたんでしょう」
彼女は言葉を選ぶように、一息挟む。
「あなたの見立てとおりの、優秀で、面倒見のいい人だったということね」
『はい』
リータの短く孤独の多い人生において、数少ない思い出深き人物である。
それを失った悲しみに、シルビアはなんと言っていいか分からない。
少女が悲しみを見せまいとするから、どうにも誰にも踏み込めはしない。
だからこそ、
「とにかく、クーデターが起きているんですもの。急がなければね」
『はい』
「あなたも、私も、誰も彼も。この内戦で大切なものを失いすぎたわ」
彼女はモニターに映る、遠く暗い宇宙の先を睨む。
「こんな悲劇は、早く終わらせてしまわないと」
──『第二次皇位継承戦争編』完──
──『皇帝期 愛と夢と青春の果て』へ続く──
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