第266話 救いのあるや否や
『オレらは二階探すわ』
『おーう』
見つからないようにするには、息を殺して潜むしかない。
静かにしていると物盗りたちの声や足音がよく聞こえる。
すると今度は心拍が上がり、血液が鼓膜を揺らす音しか脳が処理しなくなる。
ちゃんと耳では上に遠ざかっていく音の距離関係を把握している。
しかし脳が気付いていない。
『お嬢ちゃ〜ん。怖がってないで出ておいで〜』
『バーカ。椅子蹴りながら言うことじゃねぇよ。子猫チャン怖がって出てこれねぇだろうが』
男たちの声も。立てる物音も。
例えるなら昼間に外から聞こえる音や、名も知らぬ鳥の
鼓膜が捉えても、内容を理解できない。ただ何かが鳴っている。
一ミリも分からない外国語のリスニングテストとも言えるか。
それが、くぐもった心拍の音に包まれて。
もう全てが頭蓋骨の内側で発せられているような錯覚すら覚える。
ノーマンもカタリナも、硬直してお互いの顔を凝視している。
しかし見えているのは表情ではなく、室内を荒らし回る男たちの形相のイメージ。
それと何故か、穏やかに眠るクロエの寝顔という想像。
二人はひたすら、彼らがこちらに気付かぬように、クロエが起きてしまわぬように。
祈って祈って祈り続けるしかなかった。
だが、そもそもこの地下室はただのパントリーなのだ。
決して身を隠すためのセーフルームでも、核シェルターでもない。
なんのためにカタリナが外へ残ろうとしたのか。
すなわち箪笥でもタペストリーでも使って、ドアを隠すためである。
つまり、
『おいロブ。この部屋入ったか?』
『どの部屋……あぁ、そこはまだだ』
隠さなければすぐ見つかるような場所にドアが付いているのだ。
ドアノブがガチャリと音を立て、二人の心臓が跳ね上がる。
口元を抑え、わずかな息すら殺して潜むも、
『おい』
『あぁ』
『鍵掛かってんな』
『お嬢ちゃぁん! さっさと出ておいで〜! そしたら痛い目には遭わずに済むからよぉ!』
『もしかして彼氏くんもいらっしゃいますかぁ〜!? 大丈夫ですよぉ〜我々怪しい者じゃないんでぇ! 怪しくなるまえにさぁ!』
「ひっ!」
不意な大声と、鳴り止まないノックが二人を襲う。
衝撃の強さや発生源の高さ的に、蹴ってすらいるだろう。
とにかく、もう完全に捕捉されている。
迫る恐怖に震える裏で、未だ呑気に『クロエが起きてしまう』などと。
そう、彼女の顔が頭をよぎった瞬間、
「ノーマンさま」
カタリナは彼の耳元まで近付き、息だけの声で話し掛ける。
「なっ、何?」
同じ調子で返事をした彼の目に映る顔は、いやに目が座っていた。
そして、続く言葉は、嫌に平坦な響きをしていた。
「あなたは奥へ行って、隠れていてください。私が連中の相手をします」
「えっ」
はっきり声をあげそうになったノーマンの口元を、カタリナは素早く抑える。
彼は少し黙ってから、改めて小声に切り替える。
「相手って!?」
「狙いは若い女です。見つければ奥までは探さないし、満足すれば引き上げるでしょう」
「それはダメだ!」
「これでお二人が助かるのです。私は兄さまに託された身として」
「とにかくそういうのはダメです! さっきそう話したじゃないですか!」
事実、そのような非人道的事態を起こしてはならない。
正しい行いとして彼女を通せんぼするノーマンだが、
こんな大乱を引き起こしたおまえが、今さら善行を積めるものでもないぞ
そう誰かが嘲笑うかのように
『どしたー?』
『おうヨハン。女を見つけたんだけどなぁ、鍵掛けてやがる。ハンマーおまえが持ってたよな?』
最後の守りを打ち砕く、絶望の到来が告げられる。
ノーマンも、覚悟を決めたはずのカタリナもビクリと硬直する。
『お嬢ちゃあん、これが最後だぜ〜? でないともうオイタしちゃうぜぇマジで』
そんな声が聞こえるも、どうせ待つつもりはないのだろう。
ただいたぶるためだけの口笛にすぎない。
本来は音がしていないはずの、ハンマーを振りかぶる気配を鼓膜に感じたその時、
『動くな!! 警察だ!!』
唐突に、それまでまったく聞こえていなかった声が割り込んできた。
『なんだって!?』
『近隣住民より、「深夜、空き家に怪しい人影が入っていくのを見た」と通報があった! キサマらを住居侵入罪で現行犯逮捕する!』
『チクショウ!』
『抵抗するなよ! 怪しい動きを見せたら即射殺する!』
直後、ドスンバタンと鈍い音がしたかと思えば、
『警察です。大丈夫ですか?』
すぐに優しい声が届く。
どうやら九死に一生を得たらしい。
『大丈夫ですかー? 開けてくださーい』
そういうマニュアルなのか、こちらを安心させるべく女性の声に切り替わる。
ほっとしてドアを開けようと一歩近付くカタリナだが、
妙に青ざめたノーマンと目が合った。
一瞬『まだ先ほどの恐怖を引きずっているのか』と思ったが、
『大丈夫ですかー? 警察でーす。ロザミア・ストリート署の者でーす。いますよねぇー?』
「あっ」
繰り返される自己紹介に、彼女も思い至る。
そう、相手は警察なのだ。
警察は公務員であり、当然そのうえには行政・司法がある。
では今、彼女らがこのような状況になっている理由は。
そう、
政府高官の画策と思われるクーデターによってである。
つまり、
彼らの支配する行政の、その末端たる警察に見つかり、保護されようものなら。
たしかに彼らは善良な存在で、まさしく先ほどにおいては天の
しかし、災い転じて福と成すことがあるように、
状況が変われば福が災いにもなる。
薬も不要に飲めば身体を損なうように。
ノーマンが皇帝となったことが、巡り巡って大乱を起こしたように。
よって声を潜め、いないフリをするしかない二人だが、
『返事がありませんねぇ』
『腰が抜けてんのかな?』
『警戒してますかね? ドアと床の隙間からバッジ見せます?』
『いや、待て。ここまで出てこないってのなら、
中にいるのも別の強盗か?』
話はどんどんマズい方向へ。
『まぁさぁかぁ!』
『ま、腰抜かしてるにして動けんにしてもだ。どのみち保護するにはこっちからドア開けにゃならん。オキタ、
『はーい』
どうやら警察は警察で、無理矢理突入してくるつもりらしい。
どうすればいいものか、カタリナが音もなく慌てていると、
今度はノーマンの方が彼女に近付き、耳元で囁く。
「カタリナさん」
「はっ、はい」
「クロエをお願いします」
「えっ」
「ここは僕が、一人で出ます」
嫌に落ち着いた声だった。
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