第265話 ココアの夜は冷え込んで

 おそらくこのココアは、イルミがバーンズワースと甘い夜長を(以下略)。

 そんなアラサーのファンシーはさておき。


 当物件は地下あり二階建て。

 寝床を決めるに際して、カタリナが夫妻に推奨したのは地下室だった。

 まだ油断ができない状況下、ただの民家でせめてもセキュリティが高いのはそこだった。

 それで彼女だけが一階に残り、番人をしていたのだが。


 パントリーとなっていた地下室は寒気などの概念がなかった。

 当然暖房エアコンはないし、ストーブを焚いて閉め切ったらここにきて『もはやこれまで』。

 温度の低い地下室で、ドアを開けたまま寝る羽目になったのだ。

 寝落ち寸前の状態ではそれでもよかったが、一度寝て起きると寒すぎたのだろう。

 こうして体を温めにきたわけである。


「そうですか。あとで何か、追加で毛布代わりになるものを探しましょう。クロエさまはどうしておられますか?」

「ぐっすり寝てます。僕らより泣き疲れたでしょうから。あ、沸いた」


 世間話をしているうちに、ココアの準備が整った。

 粉をマグカップに入れ、湯を注ぎ、


「ミルクじゃないから、味気ないかもしれませんけど」

「あらノーマンさま、私の分まで?」

「よかったら」

「ありがとうございます。どうしましょう、クロエさまの嫉妬を買ったら」

「こんなことで嫉妬しないよ」

「あなたは女性を甘く見ている」


 二人して静かに笑いながら、なんとなく部屋の電気はつけず。

 カーテンの隙間から静かに月明かりを呼び込む窓辺で、青白く照らされる湯気を嗅ぐ。


「お湯でも思ったよりおいしそうかも?」

「匂いだけよくて味がしない食べ物など、いくらでもありますよ」

「そうなんですか?」

「一市民としてやり直すからには、嫌でも思い知ることになるでしょう。世の中は美食で溢れていない」

「たしかにケイ姉さまがお忍びで買ってくるお菓子やジャンクフードは、うん。そうだったかも。もっとしっかり料理長の作るご飯を食べておくんだった」


 これから先、もっと過酷なことが多く待ち受けるだろう。

 しかしそれが、大変ながらも楽しめるものであるように。

 そんな期待を込めてココアを一口。


「うん。ミルクがなくても、なかなかいけますよ?」

「疲れている時は、甘いというだけでおいしいものなのです」

「うーん、雰囲気が。いや、今はそういう風情ふぜいなんですね」


 そんなふうに笑い合っていた時だった。


 微かに、本当に微かにだが。



 カチャン、キィ……と



 庭から何かしらの物音が、静かな夜長を伝って聞こえた。


 カタリナは声もなく人差し指を立て、ノーマンが頷いたのを確認する。

 それからそっと、カーテンの隙間より外を窺うと、


「!」



 ちょうど複数人の男が、敷地内へ入ってくるところだった。



「何……」


 と問いかけたノーマンだが、振り返った彼女の表情を見て口をつぐむ。

 大体のことを理解したらしい。

 カタリナが地下室の方を指差すと、黙って頷きそちらへ向かう。



 本来なら、家の中で多少声を出しても問題はない。

 それでも二人が小声を交わせたのは、地下室のドアまで着いてからだった。


「お、追っ手、ですか?」

「分かりません。人数は3、4人、武装している様子もありませんでしたし」

「そ、そうですか。とにかく、クロエは」

「急には起こさない方がよいでしょう。さぁノーマンさま、早く中へお入りください」


 カタリナは先にノーマンを地下室へ通すと、

 自身は中へ入らず、外からドアを閉めようとする。


 その袖を一瞬早く、彼の手がつかむ。


「何をしているんですか。カタリナも早く入って」

「いえ」


 しかし彼女は首を左右へ。


「私は外に残って、ドアを隠します。箪笥を移動したり、できることが」


「ダメだ!」


 カタリナとしては当然の行動のつもりだったが。

 ノーマンはそれを小声ながら力強く、食い気味に否定する。


 暗闇でも察せるほどに、彼の顔は赤くなっていた。


 これには彼女も、少し


「なんでそんなことを!」

「何故と申されましても、両陛下の安全のため……」

「僕らはそういうのを捨ててきたって話をさっきしたじゃないですか! だからカタリナさんも、そんな上下を付けちゃいけない!」

「そ、それは」

「そもそも女性一人で運べる物の重さも速さも知れてるんだ! 連中が来るまでに間に合いませんよ!」


 カタリナが反論できないうちに、ノーマンは彼女を引っ張り込んだ。

 特別鍛えてもいない細腕だが、さすがは15歳の男子か。

 そのままカタリナを自身の後ろまで回すと、立ち塞がるようにドアと鍵を閉める。


「大丈夫でしょうか」

「神のみぞ知る、です。神が味方するほど、僕はいい子じゃなかったけど」


 本気かジョークか分からない言葉を交わしているうちに、



 リビングの方から、カシャンとガラスの割れる音がした。



 どうやら窓を破って侵入してきたらしい。

 その直後に、


『おい、なんかマグカップ置いてあんぞ』

『あ? いつのだ?』

『なんだこれ、ココアか? まだあったけぇぞ』

『てこたぁ、誰か住んでんのか!? おいおい空き家だって話じゃねぇのかよ』


 などと会話が聞こえてくる。

 人がいると思っていないのであれば、ノーマン目当てに追ってきたわけではない。

 つまり、少なくとも今朝の連中ではないらしい。


「空き巣、っぽいね」

「そのようですね。よりにもよって、こんな時に」


 よりにもよって、とは言うが。

 いつか述べたように、現在皇国の治安は非常に悪く、このような事件は横行している。

 宮殿内にいる貴人の彼らには知らされていないだけである。


 それもこれも、現在社稷しゃしょくが機能していない皺寄せであり、

 言い換えれば自身の身から出た錆なのだが。

 彼らはそんなこと、知るよしもない。


 そうこうしているあいだにも、


『見ろよ、この壁紙、インテリア。男じゃ気恥ずかしくって住めねぇ。若い女の寂しい独り住まいってとこだな』

『でもココアは二つだったぜ?』

『ま、遅かれ早かれ捨てられんだろ』

『だったら今のうちから、オレらが慰めといてやるか?』


 ガシャガシャあちこち荒らし回る音をさせながら、不穏な会話を振り撒いている。

 何よりマズいのは、


『家具とかは高級品だが、パッと盗れる金目のモンは見当たらねぇな』

『二階とか寝室じゃねぇのか?』

『まぁいいさ。そういうのが欲しけりゃ、またお貴族サマの空き家に入りゃあいいのよ。それよりせっかくだ』

『女を探すのか?』

『そうそう、そうよ』


 ただの物盗りより、集中して家探しするモードに入ってしまったことである。

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