第260話 従者たちの戦い
誰の耳にも明らかに戦闘の狂騒が大きくなってきた。
あまり猶予はない。
一行が決意を固めたところで、
「陛下! まだこのようなところにいらっしゃったのですか!」
別れていた侍従総長が走ってきた。
ちゃっかり服装を整えてきたように見えて、シャツが寝巻きである。
その格好にノーマンは優しく微笑むと、
「総長、いえ、マクレガーさん」
「陛下?」
皇帝ではなく、元来のノーマンという少年として言葉を告げる。
「来てくれたところで申し訳ないのですが。協力者の方の迎えを、歴帝陵から正門へ変更するよう伝えてもらえませんか?」
「正門ですと!? どうしてそのような危険なところへ!?」
「歴帝陵には敵の手が周っていて、そちらの方がむしろ安全らしい」
「なんと……。承知いたしました」
あまりここで問答していても仕方ない。
侍従総長が振り返ろうとしたその時、
「マクレガーさん!」
ノーマンは改めて、彼に一際大きい声で呼び掛ける。
「陛下、あまりそのようにお呼びには……」
「僕たちはもう正門に向かいます」
「それがよいでしょう。お急ぎください」
「だからあなたとは、ここでお別れです」
「は?」
中途半端に体の向きを変えていた侍従総長だが、主人の方へ向きなおる。
その顔には驚きや困惑、そして、
「何故そのようなことを? どのみちお迎えの到着に時間も掛かりますし、そのあいだに私も追い付いて……」
少しの悲しみがある。
しかし、
「いけません」
ノーマンは素早く突き放す。
「もう身一つしかない僕たちと違って、あなたには家庭や大切なものがある。それを捨ててついてくることは、あってはならない」
「そ、それは」
彼とて人なのである。
深い忠誠心を持つ愛情の人だけに、家族への想いもまた大きい。
それをまた、日々受け取ってきた主人は誰よりも知っている。
「だからもう、じゅうぶんです」
「陛下」
「今日までずっと、尽くしてくれてありがとうございました。このご恩、あなたの忠義は決して忘れません」
「陛下!」
侍従長の叫びを振り切るように、ノーマンは彼と逆方向へ踏み出す。
「この状況だけど、必ず生き延びてくださいね! もし許されるなら、またいつか! さようなら!」
そのまま駆け出した少年。
名残惜しくなる。絶対に振り返るまいと心に決めていたが、
やっぱり彼は、そこまで意思が強くない。
5、6歩走ったところで、チラリとだけ後ろを窺うと、
侍従総長はこちらへ深く頭を下げていた。
それから目元を袖で拭い、自身もまた向かうべき場所へ駆け出していった。
それから何分走り回ったかは誰にもよく分からない。
だが、ゴールが逃げるわけではないので、必ず到着はする。
人の流れにぶち当たったり、銃声を避けたり、目出し帽の襲撃者をやり過ごしたり。
紆余曲折を経ながらも、
「たしかに、思ったより固められてはいませんね」
「でも、本当に突破できる?」
一行は庭に出て建物の陰、正門の様子を窺える位置でしゃがんでいた。
しかし、
「10、いや、12。
シャオメイが手薄と言った割には、それなりの人数がいる。
もちろん要所の正門を固めるという意味では少ないだろうが。
完全に油断し、バリケードの前に出たりとウロウロしているが。
こちらは4人。
しかも道中さらに二人分、防弾ジャケットを拾いはしたが。
まともに武装しているのはシャオメイ一人。
12対1である。
明らかに状況はよくない。
「近衛兵たちを連れてきた方がよかったのでは」
「ここまでスニーキングだったんですよ。まともな数を組織するまえに、目立って皆殺しですね」
「ふむぅ」
ノーマンとシャオメイが小声で話す後ろで、
「侍従総長から、『協力者はすぐそこに来ているので、外にさえ出てくれればいつでも』と」
カタリナが侍従用内線端末の通話を切る。
「そうですか。では」
シャオメイは鉄柵で閉ざされた門を見遣る。
それから、そこと今自身がいる場所を頂点に、およそ正三角形を作る方向を確認する。
「まず私が敵の注意を引き付けて、あちらまで走ります」
「えっ!?」
「そのあいだにお三方は、この植え込みに沿って、可能なかぎり門へ接近してください」
正門は要人が車で現れることを想定し、奥のロータリーまで車道が敷かれている。
その左右には植物の優美な植え込みが、ガードレールのように配置されている。
なかなか背も高いので、たしかに誰かが注意を引いていれば接近は容易だろう。
しかし、
「それだとメイメイが危ない!」
「しーっ」
そこには、クロエからすれば見過ごせない要素が含まれている。
「静かに」
「あっ、うん」
「それから私が敵兵を排除したら、素早く外へ脱出してください。さすがに銃声ですぐ新手が来ると思いますから、急いで」
「ええっ!?」
「しーっ」
彼女は反射的にシャオメイの、ジャケットから覗くメイド服のエプロン紐をつかむ。
カタリナも主人へ助け舟を出すことにした。
「アッカーマンさん、その作戦には無理があるでしょう。あなた一人で10倍以上の相手を攻略するなど。せめて私も銃を拾ってきますから」
「素人がそんなもの持っても、無駄に走れなくなるだけですよ。ただでさえ防弾ジャケットを着ているのに」
「そうです。ですから」
彼女は相手へ、一歩詰め寄り、蝶結びの右をつかむクロエとは逆。
左腕を抑える。
「あなたもただのメイドなのですから。最初に向こう側へたどり着くまえに、命を落としてしまうでしょう」
しかしシャオメイは両者の指を一本ずつ解くと、ニヤリと笑う。
「ですが侍従長。あなたの見立てでは、私は情報部のエージェントなのでしょう?」
「それは、そう思ってはいますが! あなた自身が否定したでしょう! 今それを言っている場合ですか!」
しかし、彼女は反論を取り合わない。
「えっ? メイメイは香港マフィアだったの?」
「クロエ。マフィアと軍の情報部は全然違うよ」
「でも、カタギのスパイかアウトローのスパイかの違いしかないでしょ?」
「えぇ……」
などノーマンと呑気に話しているクロエの方へ、しゃがみ歩きで近寄る。
「
「ほ、本気!?」
「えぇ。ですが飛んだり跳ねたりしている時に、首が締まってはいけない」
シャオメイは襟首から中へ手を突っ込むと、ロケットペンダントを取り出した。
それを相手の手にそっと握らせる。
「あげちゃいます。中にはお守りが入ってますから。陛下が無事でいられますように」
「えっ、そんな大事なもの」
クロエは慌てて返そうとしたが、
そのまえにシャオメイは振り返って正門を睨み、
「では、パッパと始めてしましましょうか! あまりお迎えを待たせてもいけない!」
自身のスカートを捲り上げると、白い太もものホルダーに数発のグレネード。
健全な青少年ノーマンが反応する間もなく手に取ると、
「いけっ!」
思いきり、門の警備部隊へ向けて放り投げた。
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