第259話 応報への応報
「では私は指揮へ戻りますので」
近衛兵団長が立ち去ると、残された一行も慌ただしくなる。
最初に動いたのは侍従総長だった。
「では私は、逃亡計画の協力者に連絡します! 予定より早いですが、宮殿から脱出する程度は対応してくれるでしょう!」
「頼めるか」
「お任せください。そのあいだに両陛下は、脱出用の通路へ!」
皇帝私室の電話は内線にしか繋がっていない。
彼が部屋を飛び出していくと、カタリナも棚を開いて中をかき出す。
「お着替えしている時間はございませんので」
かといって寝巻きで秋の野外へ飛び出すのは厳しい。
とりあえず上着を二人へ被せる。
「えっと、キッチンはどうやって行くんだっけ」
ノーマンがジャケットの袖に腕を通しつつ呟く。
『黄金牡羊座宮殿』の脱出用通路の入り口は厨房にある。
緊急性を考えれば、皇帝の部屋にでもあった方がよさそうではあるが。
逆に私室へ直通のルートがあるのも防犯上のリスクが高い。
また、歴代皇帝のなかに脱出用通路から夜遊びに出る者もいたので封鎖された。
しかし厨房なら、いち早く皇帝へ料理や茶を届けるため、私室やダイニングに近い。
また、各部屋へワゴンで運ぶ必要がある。逆に言えば、いつどこにいても簡単に厨房へ逃げるルートが確保されている。
何より、ならず者は宝物庫を荒らしてもキッチンには立ち寄らない。
そういった利便性で考えられた配置だが。
逆に厨房に立ち入ることがない皇帝には、咄嗟に場所が分からないらしい。
側に誰も付いていないことはそうそうあるまいが、
「改善点が見つかりましたね。次はもっと覚えやすい場所にしませんと。こちらです」
カタリナはあえてそう口にした。
『次は』
どうせもう宮殿に戻ってくるつもりのない一行でも、
『次は』
それは未来を望む言葉だから。
一行が厨房へ向かうと、その入り口には右往左往する人のなかで、
「シャオメイ!」
「やはりこちらにいらっしゃいましたか!」
ここまで姿の見えなかった、もう一人の仲間が待っていた。
しかし、
「何その格好!?」
「前線の様子を偵察がてら、少し漁ってきました」
着ているのはいつものメイド服、はメイド服なのだが。
その上から防弾ジャケットを着込み、
頭にはヘッドドレス代わりのヘルメットを被り、
左手にはもう一着のジャケットとヘルメット、
右手にはアサルトライフル、
腰からは儀礼用の少し長めな銃剣を数本ぶら下げている完全武装。
しかも、
「あなた、顔に血が!?」
「私のものではありません」
「えっ」
彼女はサラッと流すと、硬直したクロエの肩に持っていた防弾チョッキを被せる。
「さすがに成人男性用なので、両陛下の体格には合いませんが」
それからカタリナが彼女に着させているあいだに、ノーマンへは自身が着ていたものを。
思春期の皇帝が、若い女性が身に付けていたものへの照れ隠しか、
「これがあれば、とりあえず安心かな」
などと宣うと、
「いえ、連中はバズーカやグレネードまで持ち込んでいます。その辺はさすがに」
シャオメイはシビアな言葉を返す。
「ということは、近衛は」
カタリナの言葉へも、小さく首を左右へ。
近衛兵はあくまで皇族や要人の警護、宮殿の防衛が任務。
建物を破壊してしまうような高火力兵器は持ち合わせていないのだ。
結論から言って、時間稼ぎ以上には太刀打ちできない。
「であれば、早く脱出しなければ!」
焦って厨房へ入ろうとするカタリナ。
その腕をシャオメイはすれ違いざまにつかむ。
「何を!?」
「脱出経路は危険です。先回りされている可能性が大きい」
「なんですって!?」
ここまで両陛下を安心させるために落ち着いたフリをしていた彼女だが。
さすがに今のは聞き捨てならない。
「いったいどういうことですか!」
腕を放されると、今度はカタリナが相手の肩をつかむ番。
シャオメイは渋い顔を崩さない。
「襲撃の首謀者が、十中八九、元老院か上層部の人間だからです」
「なっ……!」
その予想には、口を挟まないノーマンとクロエも青ざめる。
事実、このような脱出口がありながら前回のクーデターで使用しなかった理由。
それは首謀者がショーンで、当然抑えられていただろうからである。
脱出経路の存在を知らされている者は、最終的に歴代皇帝陵へ出ることも知っている。
「しかし、何故彼らが関わっていると?」
「装備です。グレネードまでならまだしも、バズーカ砲まで。禁軍でもなければ、この帝都にそんなものを持っているテロリストやチンピラはいません。まぁ最近は治安悪いですけど」
「それは、たしかに」
「であれば、それこそ禁軍の物資を横流しできたり、どこぞの傭兵を私費で雇えたり。そのような人物は限られてくるはずです」
シャオメイは振り返り、廊下の奥を見遣る。
彼女の耳には、少しずつ銃撃戦の音が近付いているのかもしれない。
そこにノーマンがポツリと呟く。
「しかし、このまえバルバリーゴ卿が粛清されたばかりというのに……。彼も氷山の一角に過ぎなかったのか」
「そして、彼が粛清されたからこそ。組んでいたか別で企てていたかは知りませんが、焦った者がいるのでしょう。『露見するまえに、やられるまえにやれ』と」
「そんな……」
まさか近衛士官たちも、よかれと思ってしたことがこうなるとは思わなかっただろう。
事実、トラウトは犠牲になったが、間違った行為でもなかったのだ。
いくら猶予があろうと、すぐにでも皇帝の危険を排除するのは当然である。
ただ、その後の巡り合わせが、数ある運命の中で悪いものを
正しい判断、正しい行動をすれば、よい結果が返ってくる。
そう信じたいが、そうあるべきだが、そういうものではない。
シルビアが平和のためにアンヌ=マリーと会談をし、彼女を死なせ、
あまつさえ皇帝からも不信を買い、内乱の遠因となってしまったあたりから。
この方ずっと、世界はそういうふうに回っている。
しかし、過去を悔いても始まらない。
未来を生きられるのは、どんな形であれ道の先へ目を向けた者だけなのだ。
「じゃ、じゃあ、どうやって脱出するの?」
そこで人々の目を向かせる光を灯せるのが、やはり『主人公』なのだろう。
「またプラタナスでも切る?」
冗談か本気か分からないクロエに、シャオメイは首を左右へ振る。
「いえ、それには及びません。近くに前例があるものは警戒されますし」
「じゃあ」
「先ほど偵察してきましたが。敵勢力は宮殿内部へ浸透している分、逆に正門が手薄でした」
全員の顔に希望と緊張が走るなか。
彼女の手の中で、アサルトライフルがガチャリと鳴った。
「正面突破が可能な数です」
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