第258話 運命の朝

「そうか、よく分かった。そなたらの功へ報いるに、すぐこの場で済ませることは。追って褒賞を与えるので、とりあえず今は休んでくれ。重ねて、忠道大義であった」

「ははーっ!!」


 ノーマンはとりあえず近衛たちを退がらせると、


「クロエ! 大丈夫!? クロエっ!」


 彼女の肩を揺する。

 しかし、


「あぁ、あああぁ、もう、もう、嫌ぁ」


 あまりな返事は期待できないようだ。


 相次ぐ悲劇、悲劇、悲劇。

 大切な人を失いすぎたとか、負担の大きさとか。

 もはやそういうことではない。


 ただひたすら、『しつこく嫌なことが起こり続ける』という事実。


 神さまがクラスのいじめっ子かのようにネチネチ絡んでくることに、心が折れたのだ。



 それは、実はその場の誰もが同じだったのだろう。

 ノーマンも、カタリナも、侍従総長も、シャオメイも。


 誰一人何一つ、冴えた言葉を持ち合わせなかった。






 ぱったり明るさの途絶えた翌日。



 クロエはベッドから出なかった。

 カタリナやシャオメイが強く言わなければ上体を起こしすらしない。

 せめてもの救いは、食事を口へ運べば抵抗する気力もないことくらい。

 入浴も勝手に丸洗いされてくれた。



 逆にノーマンは、励まし続けてくれた彼女の姿がショック療法にでもなったか。

 自分がしっかりしなければと、精神的要介護から立ちなおった。

 言うほど寝られなかったようだが、食事をし、政務には顔を出した。



 カタリナとシャオメイは、ひたすらクロエの側にいて尽くした。

 心の隙間を埋める、とまでは言わずとも、せめて苦しみが悪化しないように。

 特にシャオメイは、自身の判断がトラウトを死なせたと思っているようで。

 カタリナが見ていても痛ましいほどの必死さであった。



 侍従総長はというと、両陛下一行逃避行の手配を急いだ。

 ノーマンが少し立ちなおったので、手が空いたのだろう。

 実際問題、報告によればシルビア艦隊がカピトリヌスに到着するのは11日前後。

 猶予はないに等しい。

 何より両陛下の様子を見て、いち早く宮殿を離れさせた方がいいと思ったのだろう。

 全てを忘れられないにしても、無理にでも新しいスタートを切らせた方が。



 そうして、各々が各々の一日を過ごして一夜明けた10月8日。

 早朝6時12分のことであった。






 カタリナは微睡まどろむ頭を起こし、朝の支度をしている最中だった。

 半には詰所へ出て完全に準備完了し、7時には皇族への奉仕が始まる。

 ゆえに、ついさっき頭が覚醒したのはスケジュール的に遅れ気味であった。

 やはりここしばらくの心労があるのか、睡眠の質に影響しているのか。

 最近さっぱりすっきり起きられないことが多い。


 普段ならストイックに己を律するからこその皇后付き侍従長だが。

 今ばかりは『理由に言い訳が付くだけマシかも』と思いつつ化粧を整えていると、


 まるで僅かな人情すら咎めるように、




 右の鼓膜から左の鼓膜へ貫かんばかりの

 激しい銃声が響きわたった。




 あまりの衝撃に、思わずカタリナは化粧台の椅子から転げ落ちる。

 軍人ですらない彼女でも反射的にベッドの下へ飛び込むほどの音。

 自然界に存在しないのに、本能で『危機』と分かる悪魔的な破壊の足音。


「なっ、なっ!?」


 混乱しつつも、音が途切れた合間に顔だけ出すと。

 室内は特に変わりなかった。

 つまり、今の脅威は彼女へ向けて撒き散らされたわけではないらしい。

 が、逆に言えば。



 自身を狙ったわけでもないどこか別の場所でのが、

 ここまで届くほどの熱量で繰り広げられている。


 この、『黄金牡羊座宮殿』の、少なくともで。



 それを裏付けるように。

 次の凶悪な銃声の連打と、内臓の中の空気まで揺らすような爆発音が届く。


 正直、すっかり怯え切ってしまったカタリナだが。



「……クロエさま!」



 一周まわったのか、それとも根っからの従者なのか、偉大なる忠誠心か。

 この異常事態、彼女は部屋を飛び出し、守るべきあるじの元へ走った。






「陛下っ! クロエさまっ! ご無事ですかっ!」


 カタリナが皇帝夫妻の寝室へ、ノックも忘れて飛び込むと、


「あなたも無事だったのね!?」


 クロエはベッドの上で上体を起こし、いかにも今飛び起きた様子だった。

 見るからに怯えて、ノーマンを庇うようにもようにも抱き締めている。


 そんな、昨日はベッドから出られなかった彼女だが、今は状況が状況。

 自ら飛び出し、カタリナへ抱き付いてくる。


「いったい、いったい何が起きているの!?」

「分かりません。分かりませんが、おそらくは」


 カタリナも優しく抱き留めるが、背中をさする以上のことはできない。


「また、なの?」

「状況としては、非常に酷似しているかと」

「そんな……!」


 とにかく一度、怯えるクロエをベッドに座らせていると、



「両陛下!!」

「ご無事ですか!!」



 侍従総長と近衛兵団長が乗り込んできた。

 二人とも慌てて駆け付けたのだろう。侍従総長はパジャマのまま、兵団長は軍服だが着装が乱れている。


「ぶ、無事ではあるが、いったい何があったのだ?」


 ノーマンが、緊張もあるのだろう。

 皇帝然とした言葉遣いに慣れていないのが普段より丸出しな口調で答えると、


「両陛下、落ち着いて聞いてください」


 兵団長が重々しく切り出す。

 それだけでその場の全員が、いや、

 近衛兵団長などという人物が現れた時点で、ほぼほぼ察していたかもしれない。



「現在所属不明の武装集団が、『黄金牡羊座宮殿』を襲撃しております」



 誰も返事や相槌をしなかった。

 ゆえに、妙に無言の間が生まれ、激しい銃声や炸裂音が耳に響く。

 思わず夏の蝉の爆音かと錯覚してしまいそうな。


 その嫌な間合いを嫌ったか。

 彼は非常に言いづらそうに言葉を続ける。


「早朝の襲撃だったもので……正門はすでに突破されております。現在我々は議事堂で敵を食い止めているところです」

「見込みは……どうなのだ」


 対するノーマンも、黙っていてはいけないと思ったのだろう。

 苦しげながらも、状況把握に努める。


「現状、敵勢力の全体がつかめておりませんので、なんとも申し上げあられません。ただ、一つ言えることは、禁衛軍は前線で不在であり」

「近衛で支えきれなくなっても、増援は期待できないということか」

「治安維持に人員を取られている警官隊が、どれだけ早く動いてくれるかによるかと」

「そうか」


 お互い重苦しく、歯切れの悪い会話だったが。

 ここばかりは大事なところ。

 兵団長は、続く言葉だけは発音した。



「なんにせよ、ここは危険です。両陛下にあらせられましては、いち早く脱出なされますよう」

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