第256話 今度こそ忠義を

 時間を少しだけ遡る。

 10月6日の正午をほんの少しだけ過ぎたところ。


『黄金牡羊座宮殿』の外ではあるが、ほど近く。

 人によっては一つの敷地に収まった複合施設的に捉えたりする立地にある、


 流通管理局、通称『流管』の、巨大な高級モダンハウスじみた建物。

 そこに入っていく男の姿があった。


 通常とは違う、青と白基調で帽子キャップにはガチョウの羽の軍服

 を目立たないスーツに変装した、

 近衛士官シーザー・トラウト少尉である。



「ようこそいらっしゃいました」


 今は廊下を歩く彼を先導するのは、いつかの『遣い』の男。

 勝手知ったる様子で進んでいく。


 あれ以来密命を帯びたトラウトは、クーデターに協力するフリをして男と接触を重ねた。

『我らがケイ殿下をお迎えするため』と言えば、動機として疑われはしなかった。



 ケイと言えば。

 彼にはずっと後悔していることがある。






 この内戦が本格的に始まるまえのこと。

 ノーマンがシルビアを罷免ひめんする決定を下した直後、ケイからお叱りの手紙があった。

 信頼する姉からの意見が180度違っているとして、皇帝は大いに悩んだ。

 それを皇后クロエは、そもそも最初の話が何かの食い違いだったのだと論じた。


 あれが、内戦を避ける最大のチャンスにして、

 最後の分かれ道だったのだ。


 しかし皇国は、路線を切り替えることができなかった。

 何故なら、トラウトの


『ケイはシルビアに脅されて、無理矢理手紙を書かされたのではないか』


 という提言があったからである。

 ノーマンにとって彼女は何より誰より大事。

 この意見を聞いて、彼の方針はかたくなになってしまった。



 だが、今になって思えば。

 同じようにノーマンを大切にしているケイが、あんな手紙を書くだろうか。

 脅されたとて、弟を裏切り、騙すことになる行為を選ぶだろうか。


 トラウト自身も、彼女のことを深く敬愛している。

 以前から国民の一人なりに、皇国のアイドルたる妃殿下として抱いてはいたが。


 例のクーデター、未曾有の出来事にどうしていいか分からなくなった時。

 彼は明るく導く女神の存在に救われたのだ。

 彼女は皇族なのに、たかだか国民Aの近衛兵を、

 皇族だからこそ、国民の一人すら見捨てなかった。

 それ以来彼は、ケイに万世の忠義を誓ったはずだった。


 なのに、いや、だからこそ。


 彼はシルビアの元にいるその身を心配するあまり。

 彼女のことを信じきれなかった。



 その結果が今である。

 皇国は戦禍を産み、多くの者が悩み苦しむこととなった。

 もちろんケイも。


『皇族の争いがために犠牲となった、全ての皇国人へ。また、遠く皇国の宇宙で散ることとなった、同盟からの人々へ。私たちは深い弔意と謝意を示さなければならないのです』


 彼女のコメントが報じられた時、トラウトは悔恨にむせび泣いた。






 だからこそ彼は今、強い決意を持ってここにいる。

 何があっても、どれだけ危ない橋でも、命を失うことになろうとも。

 償いとご奉公をしなければならない、と。


 その一心でひたすらスパイ働きをした結果。

 この短いあいだに、遣いの男が本当に流管の人間であることをつかみ、

 信頼と情報を勝ち取り、

 本日ついに、


「閣下、プラスキです。トラウト少尉をお連れしました」

『よろしい。入れ』






『6日正午、流通管理局へお越しください。バルバリーゴ閣下にお会いいただきます』






 本当に、元老院が関わっていたのか!



 トラウトは王手を掛けたのである。

 だが、まだ罠かもしれないと警戒し続けて今、



 ここはバルバリーゴ卿の執務室だ!

 ついに事実関係をつかんだぞ!



 彼の努力は結実したのである。


「失礼します」


 が、ここがゴールではない。

 むしろ重要なのはここから。

 明かされる計画の全容を頭に入れ、持ち帰ること。

 また、ここ数日動向を探っていた、話を持ち掛けられた他の近衛士官たち。

 正直怪しい動きはなかったが、結局両陛下へ報告に上がることもなかった。

 誰が計画に参加するのかも確かめねばならない。


 トラウトが敷居を跨ぐと、


「君がトラウトくんだね? 我々の大義に協力してくれるという」

「はっ! シーザー・トラウト少尉であります! 閣下への拝謁、誠に恐縮であります!」

「うむうむ」


 果たしてデスクに着いていたのは、見た目だけならサンタクロース。

 元老院流管局長バルバリーゴその人であり、


「おや、私が一番乗りでしょうか」


 他には誰もいなかった。


「そのようだな。だが安心したまえ。協力者は君一人ではない。すぐ集まるだろう」

「……左様ですか」


 正直彼にとってはショックな返答ではある。

 しかし、見るかぎりではまったく怪しいところはなかったのだ。

 それをこうして知ることができただけ、不幸中の幸いだろう。


 であれば、次の任務に取り掛かるだけである。


「さて、まぁ立ち話もなんだ。座ってお茶でもいかがかな?」

「いえ、せっかくですが。いくら中休みとはいえ、近衛が宮中を離れているのは怪しいことです。必要な打ち合わせだけを済ませ、すみやかに戻らせていただくべきかと」

「まだ他が集まっていないのにかね?」

「それも、三々五々に解散した方が気取けどられにくいですから」

「それもそうか、残念だな」


 相手の声は、言葉ほどの感情を持っていなさそうだったが。

 あるいは本題のまえに腹の探り合いはしたかったのかもしれない。

 が、そうであれば、老獪な相手にはますます避けたい。

 他の参加者は話が終わったあと、隠れて偵察すればいい。

 トラウトは突っ立ったまま切り出す。


「それで、我々は当日何をすればよいのでしょう。近衛兵を動員して、陛下を拘束すればよいのでしょうか」

「いや、それには及ばん。君らの権限だけでは限度があるだろう」


 バルバリーゴはアンティークな箱から葉巻を取り出す。

 その三角錐の尻にカッターを当てがい、パチンと鳴らした。


「人員はこちらで手配してある。その手引きなどもあるが、特に君には発信機をやってもらいたい」

「それはつまり」

「突入は正午ちょうどを予定している。が、いくら協力者がいようと、近衛全体を掌握したわけではない。抵抗には遭うだろう。すぐには陛下の元へ辿り着けん」


 彼はガスライターを葉巻の先端に近付け、吸いつける。

 たっぷり煙を口内で楽しんでから、長く吐き出し、ようやく話を続ける。


「だから君はそのあいだ、陛下のお側に付くのだ。そして発信機で居場所を知らせる。これでどれだけ時間を稼がれようと、陛下がどこへどのように逃げ出そうと。必ず補足することができる」

「……なるほど」

「難しい仕事ではないだろう? 君は前回のクーデター以来信用されている。喜んで受け入れられるはずだ。プラスキ、トラウトくんに当日使用する発信機を」

「かしこまりました」


 頷いた彼が戸棚へ手を伸ばし、バルバリーゴが


「ところでトラウトくん。君は煙はやるのかね?」


 などと葉巻を勧めようとしたその瞬間、




「動くな!!」




 大きな怒鳴り声とともに、執務室の重厚な扉が蹴破られた。

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