第255話 Dragon Lady

「少しドラマを見すぎたのかもしれません」

「ドラマを見たくらいで、メイドが男性を拘束できませんよ」


 シャオメイはちょうど両肘のあいだに置いていた重心を、少し右側へ寄せる。

 これが心理戦なら、相手の裏を覗き込んでやろうと回り込むような。

 あるいは真正面から見られるのを避けるような。


「主人をお守りするために、護身術を研鑽する。これは侍従長もやっておられるでしょう?」

「しかしあなたより体躯がいい私でも、鍛えている近衛相手は無理です」

「不意打ちでしたし」

「そう。あなたには不意打ちができたんです。あなたはドア向こうで聞き耳を立てるトラウト少尉を。言わば隠れている相手の気配を察知した。そのうえで、相手からは気配を察知できないよう動くことすらできた」

「あなたもドラマの見すぎかもしれない」

「尋問も手慣れていましたね。動きというよりは冷淡な行為に対する度胸が」


 ここまで背筋を伸ばしていたカタリナだが。

 ついに行儀作法を忘れて相手に詰め寄る。


「その後のトラウト少尉への指示もやはり、メイドにはとても」

「そうですか? あれくらいなら誰でも」

「思い付いたとしても、あれだけ自信満々に『指示』できませんよ。やはり情報部の士官のような」

「ドラマではなく、ゾンビゲームのやりすぎかもしれませんね。中華系チャイニーズが全員エイダ・ウォンというわけではない」


 顔を近付けてきたカタリナに合わせるよう、シャオメイは上体を起こす。

 何を言っているのやら、という様子でミルクティーを口へ運ぶ。


「何より気になるのは、それだけの才覚を持ちながら今まで目立たなかったことです。このたび『明るい性格が皇后陛下の支えになるかもしれない』と推薦されるまで。申し訳ありませんが、まったくあなたの働きぶりを存じ上げなかった」

「過分なお褒めの言葉として受け取っておきますね」

「いえ、『目立たない』ではありませんね。あなたにメイドとしての業務ができないとは思えません。『普段は手を抜いていた』というのは、もっと思えない」

「いくらなんでも神格化しすぎですよ。私を聖書の登場人物にでもするおつもりですか?」


 普通ここまで呆れた対応をされれば、恥ずかしくなって引くものだが。

 カタリナは引かなかった。確信があるのだろう。


「あなたは何者なんですか? アッカーマンさん。いえ、あなたは本当にアッカーマンという人物なんですか?」

「そこからですか?」

「えぇ。今の私には、あなたが女性であるということしか……女装かもしれない」

「待ってください待ってください。さすがにエイリアンかもとか言いませんよね?」


 あくまで彼女はジョークとして扱ってくる。

 カップを置いて大袈裟に手を突き出すと、


「私はただのメイド、シャオメイ・アッカーマンですよ」


 また両肘をつき、両手に顔を乗せ、不敵に微笑んだ。


「それで説明がつくとでも?」

「悪魔の証明をさせるつもりですか? 『ノックスの十戒』には『中国人を登場させてはならない』というのがあったそうですね?」

「……なるほど」

「そういうことです」


 シャオメイがにっこり微笑むと、

 今度はカタリナが上体を起こし、深くため息をついた。


「……そういうことにしておきましょうか。現状、これ以上あなたを詰める手札はない」

「そんなリベンジマッチを匂わせるような」

「調べれば分かることです。これでも私は皇后陛下付きの侍従長。その気になれば、大抵のブラックボックスはのです」

「大袈裟なうえに執念深いなぁ」


 シャオメイは呆れたように笑うと、懐中時計を取り出し開く。


「まぁ、とにかく話はこれでなんですよね?」

「えぇ」

「そろそろお昼休みも終わりです。皇后陛下をお迎えにあがりませんと」

「よろしいでしょう。ですが今後、もしあなたがなんらかの怪しい者と分かれば。その時は進退を考えていただきます」


 負け惜しみではあるまいが、カタリナは少し低い声を出す。

 対する謎の女は、


「今すぐクビでなくていいんですか? 脅威だと思うなら、判断は早い方がいいですよ?」


 明るく楽しげですらある。


 ここでようやく彼女は大きく息をつき、全身の力を抜いた。

 今度こそ『参った』とでもいうように。


「私の使命は、クロエさまの生活を整え、必要なものを手配することです」

「ですね」

「であれば。あなたがクロエさまに必要不可欠な現状、私にはともしがたいのです」

「なるほど? それも過分なお褒めの言葉として受け取っておきますね」


 そうしてお互い、腹の内はミルクティーの膜に隠し、不敵に微笑み合っていると、



『皇后陛下! 皇后陛下!!』



 急に激しいノックとともに、ドアの向こうから大声が響いた。


『急ぎお耳に入れたいことが!』

「トラウト少尉でしょうか?」

「という声ではなさそうですが」


 答えながらシャオメイはドアへ向かう。

 両開きの左側を開けると、そこに立っていたのは若い男の侍従だった。


「あら、なんの用ですか?」


 侍従といえど、基本的に若い男が皇后に近付くことはない。まだ近衛の方がある。

 なんならむしろ、問題にすらなりかねないので怪訝な顔をする二人だが。


「皇后陛下は!? いらっしゃらないのか!?」


 男の方は気にする余裕がない。


「皇后陛下なら、まだダイニングだと思いますけど。陛下とお話が弾まれているのではないでしょうか」

「そうか、なら陛下の方へ行ったやつが報告しているか」


 急ぐ必要がなくなったのだろう。

 走ってきたのか、あがっている息を整えに入る彼へ、カタリナも近寄ってくる。


「いったい何があったのですか? 私たちが聞いていけないことでしょうか」

「いや」


 すると男は首を左右へ振り、一区切りのように大きく深呼吸すると、



「流管局で、大事件だ」

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