第254話 ペンは剣よりも強し

「というのは?」

「まず、その話を聞いたのはあなた一人でしたか?」

「嘘言わないからペン先押し付けないで!」


 トラウトが助けを求めてクロエを見るが、ここに来て彼女は


「またやってる……」

「ええええええ!?」


 急に呆れて首を振るだけになった。


「助けてぇ!」

「助かりたければ吐いてください」

「若手士官数人が話を聞いていました!」

「若手士官、ということは、近衛兵団長はいなかったんですね?」

「はいぃ!」

「ふむ」


 シャオメイは彼の頬からペン先を離すと、逆側で自身の下唇の付け根を押す。


「あなたは偶然その場に居合わせた? それとも呼ばれた?」

「呼ばれました!」

「怪しい」


 かと思えば、素早くペン先がトラウトの頸動脈へ。


「あなたは以前両陛下がクーデターから逃れた時の功臣。言わば陛下側の筆頭。そんなあなたに話を持ち掛けると?」

「そそそ、それは!」


 彼は一瞬だけクロエに目を向けると、


「わ、私は『宮中クロエ派かケイ派か議論』で、ケイ殿下を熱くを支持するもので……。ケイ殿下は現在シルビア殿下側にいらっしゃいますし」


 歯切れ悪く呟く。

 まぁこれに関しては、当のクーデター時、ケイと思い出深いやり取りがあった男である。仕方ない。

 なのでクロエも、


「痛っ! えっ!? 僕!?」


 ケイ派トップノーマンの太ももを叩くだけにしておいた。


「それで、何か見えてきましたか?」


 話が逸れはじめたので、カタリナが軌道修正に入る。

 するとシャオメイも腕を組み、鼻からため息。

 クロエからすると、どんどん態度が第一印象から乖離していく。


「そうですね、あとは、話を持ち掛けられた士官たちの反応は?」

「それはご安心ください! 遣いの前では曖昧に返しておきましたが、そのあとは『あり得ない』と!」

「そんなのは遣いの前と同じです。周りの腹が読めないのに即『オレはやるぜ!』という人はいません」

「むぅ……」

「むしろ」


 安心材料どころか、逆に彼女の顔は険しくなる。


「近衛兵団長がいない、ということは、近衛兵全体の意思決定はなされない。つまり、誰がどう動くか、誰が敵で味方は判別がつきません」

「な、なるほど」

「なんなら。あとでちゃんと報告に来るかもしれませんが、現状ではあなただけ。あまりいい感触はしませんね」


 軌道修正がうまく行きすぎたか、雰囲気が暗い方へ戻ってしまう。

 ノーマンが唾を飲み、クロエが座りなおし、侍従総長がハンカチで汗を拭き。

 各々居心地の悪さが滲み出るなか、シャオメイだけが異常に落ち着いている。


「とにかく、何もかも情報不足です。ミスタートラウト」

「な、なんでしょう」


 飴と鞭、ということもあるまいが。

 彼女はペンを握るのとは逆の手で、彼のあごを優しく撫でる。


「あなたはケイ殿下派ということですが。わざわざ報告に来たということは、両陛下にも忠誠心がありますね?」

「も、もちろん!」

「誓いますね?」

「言われるまでもなく!」

「いいでしょう」


 ここでようやくシャオメイは、縛ったトラウトの腕を解放する。


「ではあなたは、クーデターを持ち掛けられた士官たちの動向を探ってください。それと、協力するフリをして、その遣いにも接触してください」

「わ、私にスパイ働きをしろと!?」

「断るのであれば、味方として信用できないので消すしか」

「分かった分かった分かりました!」


 もうペン先を向けられてもいないのに怯える彼に、


「よろしくお願いしますね。頼りにしてます♡」


 彼女は久しぶりの、柔和な笑みを浮かべた。

 しかしクロエにはもう、小悪魔的にしか見えない。






 それから数日、秋雲美しい10月6日の正午。


 カタリナとシャオメイは皇后の私室で向き合い、昼食を済ませたところ。

 食後のミルクティーを嗜んでいた。

 本来カタリナはコーヒー党だが、侍従たるもの口臭に影響するものは敵である。


 何より彼女にとって、今は嗜好品を楽しむための時間ではない。


 昼休憩だというのに侍従の詰め所にも下がらず、主人の部屋。

 しかもその主人は今、ダイニングで陛下と昼食。

 本来この時間は無人になってしかるべき部屋に、何故彼女らはいるのか。


 それは無人のはずだからである。

 つまりは、


「アッカーマンさん」

「なんでしょう」


 低いテーブルではないので、ソーサーは置かれたまま。

 カタリナはそこへティーカップを下ろすと、相手を真っ直ぐ見つめる。


「そろそろ、教えていただけませんか?」

「何をですか?」


 とぼけるように小首を傾げるシャオメイへ、彼女は前のめりの代わりに背筋を伸ばす。



「あなた、ただのメイドではないのでしょう?」



 何故無人の場所を選ぶのか。

 それは、人に聞かれたくない話をするから。


 が、問われた彼女は、なんでもないように人差し指を振る。


「そうですよ? 私はスーパーデキるメイド。ただのメイドではございません」

「それにしては


 しかし、食い気味のレスポンスでその指も止まる。


「いえ、むしろメイドができてはおかしいことばかりできる」

「主人のあらゆるオーダーに応えるのが職務でしょう?」


 火花が散る、とまでは言わないが。

 両者のあいだにある空気は、少しの緊張を孕んでいる。

 さっきまでは仲よく食事をしていたのだ。その温度差に、そこを漂う微生物たちは逃げ出したことだろう。


「オーダーがなくとも、です。クロエさまが取り乱された時も、咄嗟に腕を噛ませたとか。妙に判断が早く、泥臭い」

「必死だっただけですよ」

「陛下が行方ゆくえになった時。いち早く見付けたのはあなたでしたね」

「ことなきを得てよかったです」

「えぇ。唐突な出来事にも関わらず、ことなきを得られる早さでした」


 シャオメイは両肘をテーブルにつき、両手の指を組み、その上にあごを乗せた。

 おもしろい、もっと話してみろとでも言うように。


「あなた、最初から逐一、陛下の動向を張っていたのではありませんか?」

「まさか。朝の散歩で偶然お見かけしただけですよ」

「その後の対応も、明らかに『陛下が自裁なさる』と踏んだ判断でしたね。自身と同じように散歩している、ではなく」

「明らかに挙動不審でしたので」


 彼女はにっこり笑う。

 並のメイドがあの日のことを笑顔で振り返るものか、とカタリナは思うが。

 あくまでそれは状況証拠にすぎない。


「問題はそれからの対応です。あなたはすぐに人を呼び、そのうえで相手を絞るよう指示した」

「ファインプレーでしょう?」

「いいえ。目を離しているあいだに何かあったら、どうするおつもりですか?」

「反省します」

「しかし、またある種、正解でもあった」


 笑うシャオメイの目が、薄く開く。

 正直彼女は恐怖を感じたが、ここで引くのはもう遅い。


「目的が『陛下をお止めする』ではなく。『陛下自裁という話が、迂闊に広がらないようにするため』なら。あなたの判断は、メイドにしては政治的すぎる」


 言わない方がいいのでは。


 心のどこかでそう思いつつ、カタリナは相手の黒々とした瞳孔を見据えた。



「例えるなら、そう。まるで、情報部エージェントか何かのような」

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