第252話 悪い子たち
「なっ、なっ、なっ!?」
「陛下」
爪を立てるのかというほどの強い力だが、相反して声は凪のよう。
彼女は上体を傾けて手を伸ばしているので、表情は俯いて見えないが。
「陛下は悪い子です。大失敗しました。多くの人に迷惑を掛け、多くの人から大切なものを永遠に奪いました。もう取り返せません。最低の人間です」
「……うん、分かってる」
「ですが」
「えっ」
素早く割り込む言葉。
そこからクロエの淡々とした声に、徐々に慈しむような色味が宿りはじめる。
「それの何がいけないんですか? 悪い子で何がいけないんですか?」
「いや、悪い子はいけないでしょう……」
「誰だって悪い子ですよ? あなたと戦っている、シルビアさんだって悪い子じゃないですか」
名にし負う悪徳令嬢。
誰もが知る悪の権化。
かつてなら、彼女が討滅されることを、誰もが『さもありなん』と片付ける存在。
しかし、
「でもあの人だって、軍隊に飛ばされて、心を入れ替えて、がんばって。そしたら多くの人に認められて、慕われているじゃないですか。あんな、あんな人がですよ? 意地悪で、人を傷付けることをするしか頭になくて。それこそいなくなれば、それだけで世の中がよくなるような」
あのクロエから出ているとは思えない、散々な言われようである。
ともすれば、普段なら笑ってしまうほどのパンチラインだが。
今この空気にあっては、真っ直ぐに届けようという意志以外の何ものでもない。
「だったら、なんであなたはやり直しちゃいけないの? あなただけ全てを差し出して終わりにしないといけないの?」
彼女の肩から腕へ、彼の肩へ。
震えが伝わる。想いが伝わる。
もうノーマンも目を逸らさずに、クロエのつむじをじっと見据える。
「私だって皇后なのに、実はずっとバーンズワース閣下のことが好きだったよ? 結婚してからもずっと。あなたも、私よりケイちゃんの方がずっと好きでしょ?」
「それは、うん」
「私たちもそんなのだよ? 二人とも悪い子だよ? でも何がいけないの? 最初から好き同士でないといけないの? これから好きになっていくんじゃダメなの?」
ゆっくり、ゆっくり顔が上がっていく。
「悪い子でいいよ。悪い子でいいよ! 他の誰にどんな迷惑を掛けても、他の誰からどう思われても! あなたの命は何にも変えられないから!」
床でポツ、ポツと音が立つ。
「だから、逃げようよ……! どこまででも逃げて! 逃げて! 逃げて! 責任とか国家とか皇帝とか皇后とかからも逃げて! どこかで一からやり直そうよ……! 最低の悪い子って言われながら、人生も、二人のことも、一から全部、一歩ずつ……!」
声も震え、しゃくり上げて。
見るまでもなく予想できるその顔は、やはり
「生きようよ……!!」
泣いていた。
大粒の涙を、ノーマンのために溢していた。
思いの丈のように、いくつもいくつも、止めどなく。
「クロエさま……」
カタリナがハンカチを取り出すより早く
「クロエ」
指でその雫を拭ったのは
「ありがとう」
ノーマンだった。
「あなた……!」
彼は首を縦にも横にも振れないような、そんな斜めに頷く。
「正直言って、君の言うことが分かるわけじゃない。本当に僕が生きてやり直すべきなのか。そんな権利や価値はあるのか。分からない」
それから、自分の肩をつかむ手を優しく放させると、
「でも」
肩に掛けるようにして、自身の腕も相手の背中へ回して、
「僕はもう、何も分からないし、正しい判断なんかできる自信もないから。君の言うとおりにするよ」
「あなた!!」
クロエの細い体を抱き締める。
彼女が強くつかんだのとは逆の、優しい抱擁。
妻もそれに応えるよう、首へ回した腕にそっと力を込め、
二人はお互いの肩に顔を埋め合った。
「しかし、逃げると言いましてもな」
ノーマンとクロエ、涙もイチャイチャも落ち着いたところで侍従総長が口火を切る。
ここからは建設的、というと彼女らは嫌がるかもしれない。
何せ悪い子なのだから。
なので、悪巧みのターンである。
夫婦は並んでソファに座っている。
侍従総長は相変わらず正面、カタリナは窓から右手側に移動しそこに立っている。
「その先が帝都内でも、外でも、別のどこか遠い星であっても。結局人目に付けば同じことですぞ」
「情報があれば、追っ手が来ますものね」
クロエがあごへ手を添えると、カタリナがあとを受ける。
「であれば、目立たないように抜け出す必要がある。しかし皇帝との一挙一動ともなれば、常に注目され、監視されているでしょう」
「しかし時間はありませんぞ。反乱軍はすでにこちらへ向かっております。着くのにそう日数は要さないでしょう」
正直よくはない条件が並び、ノーマンの顔には明らかな動揺が浮かぶ。
「じゃ、じゃあもう今すぐにでも出発しよう!」
「そうね! 荷物だっていらないわ! 一から始めるんだもの、着のみ着ままくらいがちょうどいいわ!」
まだ少し先ほどまでのテンションが残っているのだろうか。
大胆な方向へ走ろうとする二人を、賢いどころの侍従たちが止める。
「お待ちください!
「プライベートジェットは論外です。かと言って、いきなり空港へ行ってもレシプロ一機チャーターできません。仮に出発できてもどこへ身を寄せるかうろうろするおつもりですか?」
「そうです! 一度行動を起こせば、必ず誰かに何かが伝わる! どこかで立ち止まった瞬間に落ち着かれてしまいますぞ!」
「始まってからはノンストップで駆け抜けねばなりません。そのためにも、動くのは筋道と手配を完成させてからにすべきです」
「分かった分かった……」
話に納得したより、前のめりの姿勢と言葉の洪水に押されてノーマンが両手を上げる。
しかし何も彼らとて、二人を困らせるために言葉を弄するのではない。
侍従総長はすぐににっこり微笑み、どんと胸を打つ。
「大丈夫です! 根回しに関しましては、もう完っ全に
「い、いいの?」
「ところでクロエさま。私は連れていってくださるのですよね?」
「えっ? むしろ、ついてきてくれるの?」
「当然でございます。私はあなたの侍従長であり、あなたに尽くすことが兄の遺した指針であり。何より、もう私にはあなたしか残っていないのです。置いていかれては困りますわ」
「ありがとう! カタリナぁ!」
たとえどれだけの悪人であろうと。
人生の全てを許されざる存在として生きてきたことがあるだろうか。
そんなわけはない。
どんな人物にも、優しく純粋に過ごした時がたしかにあって。
そのなかで人と関わり、愛情を育んできたのだ。
人は必ず誰かに愛されている。
だから今があるのだし、その愛は相手がどん底でも変わりはしない。
だって、聖人とか悪人とかではない、その人を愛しているのだから。
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