第251話 もう逃げられない

 カタリナが侍従総長を伴い納屋へ着くと、


 そこには右手を振るわせるクロエと、左頬を押さえるノーマンの姿が。


 何が起きたのかはなんとなく分かる。

 が、状況をいまいち把握できない二人は、シャオメイに梁を差し示され理解する。


 と同時に、おそらく最初に彼女が方法で連絡をとった理由。

 この3人だけを指定した意味。

 おそらくシャオメイは、こうなることを予見していたのだとカタリナは思った。


 それを裏付けるように、彼女は二人に小声で提案する。


「とにかく、ここは人目に付く可能性があります。陛下のお部屋へ渡りましょう。こんなところ、誰かに見られてはいけない」






 寝室とは別の、皇帝の私室。

 しかしベッド扱いできそうなサイズのソファに、ノーマンは座らされている。


 そして、それを逃さないように。

 正面にクロエと侍従総長が仁王立ち。

 その後方、部屋の中央あたりにはシャオメイの二段構え。

 背後の窓はカタリナが抑えている。


 そんな圧が強い布陣のなか縮こまる少年に、クロエが先陣を切る。


「陛下。何をなさっていた、というのは一目瞭然ですのでお聞きしません。が」


 その声には、

『怯える相手を怒鳴るまい、冷静に、お互い落ち着いて』

 そんな努力が見えるも、


「何故あのようなことを、なさろうとしていたのですか」


 どうしても隠しきれない怒りが滲んでいる。

 それに負けるようにノーマンが顔を逸らすと、


「答えなさい! どうして!」


 やはり彼女は容易くヒートアップした。

 相手の顔を両手で挟み、無理矢理自身の方を向かせる。


「皇后陛下っ」


 慌てる侍従総長。

 その位置取りはノーマンを逃さないのでなく、クロエを止めるためなのかもしれない。


 しかし実際は慌てるだけで、止めてくれるわけでもない。

 顔を近付けられ、至近距離で真っ直ぐ見つめられて。

 観念したノーマンは、絞り出すように呟いた。



「だって、もう、耐えられないんです……!」



 同時にポロポロと、目から雫もこぼれ出す。


「怖い! 怖いんだ! もう僕らは決定的に負けたんだ! あとはシルビア姉上が来るのを、ただ待つだけ! 姉上が来たら、僕はどうなる!?」

「そ、それは」


 頬を押さえる手の力が弱まる。

 さすがに彼女も、これには答えられない。

 分からないからではなく、分かるから答えられない。

 何よりノーマンだって、分からないから聞いているのではない。


「ショーン兄上の末路を見たでしょう!? 罪人として、ズダボロになって最後は死刑だ! あんなの僕は耐えられない! あんな死に方も! その日が来るまで怯えながら暮らすのも!」


 今度はクロエが目を逸らす番だった。

 もちろんこれは、彼の判断が招いたことではある。

 だからその結果の恐怖に泣いている姿も、人には愚かで滑稽に映るかもしれない。身勝手と思うかもしれない。


 だが、ノーマンはまだ、せいぜい15の子どもなのだ。

 市井にいれば、まだ難しいことは何も考えず、伸びやかに生きていい年頃なのだ。


 それが大人たちの勝手な都合で皇帝にされ、

 しかもその大人たちの誰も彼を助けず、間違いを正しもせず。

 見殺しにされて、今責任がのし掛かろうとしている。



「だからもう、いいじゃないか……。許してよ……」



 こんなものが、15の少年に背負わされようとしている。

 残酷な世界に、運命に。

 彼女は何も言えなかった。


「それに」


 しかしそれだけでは終わらない。

 さらに残酷な言葉が、クロエの心に降り掛かる。



「この方が、僕が死んだ方が、みんな助かるじゃないですか……」



「それ、は、どういう」


 誰が口にするにもショッキングな言葉。

 身近な人からは絶対に聞きたくない言葉。

 思わずクロエは一歩退がる。


「今さら、今さら遅いのは分かってる。でも、僕が、僕が死ねば。これ以上戦争をする理由はなくなる。誰かが誰かを傷付ける必要はなくなるんです」


 実際に首を吊ろうとした人間を疑うわけではないが。

 その声には真実苦悩があり、彼は本気で信じている。


「僕が悪いから。僕が原因だから。悪者さえいなくなれば、全部解決するんです。こんなやつがいなくなれば、それだけで世の中は少しでもよくなる」


 悲劇の自分に酔う自虐ではない。

 本当に罪の意識に耐えかねた者の、懺悔の声。

 もう死をもってしか償えないと。だからせめてその機会を得ることで、ほんの少しでも埋め合わせがしたいと。

 そんな希求に満ちた声。



 誰が……



 クロエの脳内に声がこだまする。



 誰がこの子をこんなに追い詰めたの?

 いえ、たしかに始まりはこの子自身の判断だけど。


 でも、こんなのはおかしいわ。


 子どもは間違うものでしょう?

 それを誰かが守り、育むものなんじゃないの?


 もちろん、この子がしたことは許されることではないでしょう。

 歴史を見ればその先の償いが、彼の言うものしかないかもしれないでしょう。


 でも。

 でも!


 子どもが自分から『僕はいてはいけないんだ』『僕さえいなければ』なんて。

 そんなことを言い出すほどまで追い詰めるなんて!


 子どもに向かって『全ておまえが悪いんだ』と! 『死んでしまえ』と言うような!

 そんな大人が、社会が、運命が!


 許されていいわけがないでしょう!?



「だからもう、全部終わらせるんです。僕の責任だから。犠牲になったものは帰ってこないけど、これ以上増えないようにはできる。もっと早くこうしていれば……ひっ!?」


 誰に聞かせているのか。

 それとも自身の末路を汚辱することで、人々の溜飲が下がると信じたいのか。

 言葉を重ねるノーマンの両肩を不意打ちのように、クロエの両手がつかむ。

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