第248話 花籠の少女

「あっ、あっ、あああ」


 クロエはそのまま顔を覆うように両手を頬へ。


「皇后陛下!」


 ベッドから後ろ向きに落ちそうになるのを、シャオメイが慌てて支える。

 そのために手で持っていたパスタの皿が床へ落とされ、甲高い音がする。


 それがクロエの心理を表すように、



 あぁ、そうだ。そうだった。



 何故忘れていたのか。

 否、自分で忘れるようにしていたのだ。

 カタリナが自殺を図ったインパクトにかこつけて。

 ノーマンを立ち直らせるという使命感で塗り潰して。

 だからメイドに変なあだ名を付けたり、皇帝に粗暴なテンションで迫ったり。

 わざわざ浮き足だって、直視する暇を作らなかったのだ。


 しかし今、もう一度はっきり突き付けられた。


「じゅ、ジュリアスさま、が……」



 ずっと心の底から慕っていた男が、命を落としたということを。



「あ、ああ、嫌」



 支えられながら、ゆっくり床へ座らされるクロエ。

 彼女の口が大きく開いた瞬間、そこに柔肌が押し付けられる。

 シャオメイの腕である。


 おそらく主人が舌を噛んだりしないように。

 大きな金切り声で皇帝を刺激しないように。

 咄嗟の判断だったのだろう。


 その結果、室内にノーマンの


「もう終わりだ、もう終わりだ」


 という呟きが転がるなか、



「んんんんんんっ!! んーっ!! んんーっ!!」



 クロエはくぐもった叫びを上げ続けた。


 扉の前で集まっていた使用人たちは中の惨状を見て立ち尽くし、


 シャオメイは静かに目を閉じ皇后を抱き寄せ、

 彼女の涙に付き合うように、歯を立てられた場所から血を流した。



 もしイルミが生きてこの場を見ていたなら、きっとバーンズワースを叱っただろう。


 何が『落としどころを探るために、話し合いをするために』だ。

 そんなのおまえがいて、状況が拮抗しているから話し合いになるんだ。

 いくら建て前だったとはいえ、おまえが死んで全部ご破算になったじゃないか。

 だから死ぬなと言ったんだ。


 と。

 それに対して彼が何か反論できたか、こうなった場合のプランを示せたか。


 少なくとも、後世の歴史家に冴えた一手を教示した者はいない。






 それからの宮中がいかに沈鬱であったか。

 事務次官のアンディ・マクエナや侍従のドルジ・ヤコブ・クリプキによると、


“近頃、皇帝陛下は『お加減優れず』とのことで、政務に顔を出さなくなられた”

“元老院は全ての議題を後回しにして今後を話し合うが、議事録は連日コピペのよう”


“社交界から『ここのところ、皇后陛下のお顔を拝しておらず寂しい』と手紙が来る”

“侍従のお偉方たちは盛んに部屋を出入りするが、肝心の両陛下は姿を現さない”


 誰もが全てが行き詰まった空気感が伝えられている。


 が、逆に言えば彼らは、書いてあるとおりに会えていない。

 つまり見られていない部分も多い。

 ではそのあいだ、皇帝皇后両陛下はどうなっていたのかというと、






「クロエさま、お茶のご用意ができましたよ」


 ある日の14時過ぎ。

 普段ならアフタヌーンティーは庭やダイニングで行うのだが、


「あー、ちょっと置いといて」


 最近のクロエは私室からあまり出ないので、セットが直接運び込まれる。


「お茶が温かいうちにいただいた方が」

「それはそうだけど」


 ベッドの上の彼女に茶を勧めるのはカタリナである。

 未だ額のガーゼは取れないし、兄を喪ったダメージは癒えていないが。

 主人の惨状を聞いて、寝ていられないと舞い戻ってきたのである。

 何せ、


『君は自分の主人に忠誠を尽くせばいい。僕はそんな妹のために、力を尽くそう』


 亡き最愛の兄が、最後にくれた指針なのだから。


 それに、人間こういう時は没頭できる何かがあった方がいいものである。

 忙しさで悲しみを紛らわす、葬式理論的なアレ。



 ではその主人の方はというと。

 実は部屋どころかベッドからもあまり出ない。


 ショックで一日中寝込んでいるのかと思われそうだが、そうでもない。

 ただ、


「あまりそうしていると、折れたり傷が付きますよ」

「気を付けてるもん」


 ベッド一面、自分の周りに写真を並べている。


 そこに写っているのは、もちろん自身も多いが。

 クロエは一枚一枚手に取っては、愛おしそうに撫でる。



「ジュリアスさま、ミチ姉さん、セナ閣下」



 そこで笑ったり、楽しげだったり、真剣な表情をしているのは。

 彼女の大切で大切で、仕方がなかった人たち。

 彼らとの思い出の一幕やツーショットで、自身を包んでいた。


「……」


 カタリナは小さくため息をつく。

 こんなものは取り乱して泣き叫ぶよりタチが悪い。

 だからこそ、ベッドから引き出そうとティータイムを勧めているのだ。


 そんな心配も露知らず。

 写真と戯れるクロエの手が、ピクリと止まる。

 その理由は、



「リータちゃん、シルビアさん……」



 彼女らもまた、大切な人たち。

 素敵な思い出がたくさんある人たち。


 だけどもう、失ったに等しい人たち。


 敵味方になっても、バーンズワースが死ぬことになっても。

 自分でも案外、思ったほどの恨みは湧かない。

 だからこそ、



「どうして、こんな……」



 悲しみは深い。

 カタリナに忠告されたそばから、写真に涙を落としそうなクロエだったが、


「皇后陛下! お花を調達してきましたよ!」


 元気のいい声で、花満載のバスケットを持ったシャオメイが現れる。


「ありがとう!」

「いえいえ。近頃はコスモスの出回る量が増えてきましたね」


 花籠を受け取るクロエだが。

 伸ばされた腕に包帯が巻き付いているのを見て、胸がチクリと痛む。


 あの日、自分が負わせた傷である。



 最初、シャオメイの腕を噛んで血を出させたあと。

 クロエは彼女を自身のお付きから外そうとした。

 顔を見ると申し訳なさでたまらなくなるからである。

 皇后付きの侍従長代理に伝えた時は、「承知しました」と返ってきたが。


 直後、彼女は直談判に来た。

 そして、こう訴えたのである。


『今の皇后陛下を「はいそうですか」と置き去りにするほど我々は甘くない。我々侍従の職務に対する誇りは、そんな程度ではない』

『申し訳ないと感じるなら、その想いと向き合うべきである。あなたは皇帝陛下に「戦え」と言ったのだから、自身もその義務がある。私の傷を見て戦え』


 と。

 その言葉に感銘を受けたクロエは、以来シャオメイを側に置いているが。



「色とりどりのコスモスが、それぞれ。まるで人みたい」


 クロエは上機嫌でベッドをコスモスで彩る。

 まるで散っていった人へ捧げるようにも、


「ではまた、ご用がありましたら」

「メイメイ」


 置き去りにしないとは言ったが。

 カタリナの復帰に伴い、はバトンタッチと思っているシャオメイ。

 彼女が普段の業務に戻ろうとするのを、クロエは呼び止める。

 その指がゆっくりと、ティーセットの置かれた丸テーブルを指差す。


「あなたの席は、そこ」


「……」


 彼女を囲う写真を、さらに囲うよう配置されたコスモス。

 カタリナにはそれが、



『大切な人が、もう誰もどこにも行かないように』



「じゃあティータイムにしましょう。カタリナ、あなたの席はそっち」

「……」



『行けないように。




 逃がさない』




「カタリナ?」

「あっ、いえ」

「メイメイも早く座って」

「はい」


 そんな強迫観念にも見えるのだった。

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