第247話 壊れ出す、もしくはすでに
気が付くとクロエはベッドに寝かされていた。
夫婦で使う寝室のとは別の、私室に備えられた一人用のベッド。
ようやく自身が気絶したことを理解し、周囲を見回すと、
「あ、起きられましたか?」
ベッドから少し離れた位置に、メイドが一人立っていた。
彼女はあちこちに読み散らかされた本を拾っている最中だったが、振り返って笑う。
「よかったです」
その顔は、当然ながらカタリナではない。
「私は……あ」
クロエが少し痛む頭を働かせると、脳裏にもっと痛いであろう光景が浮かぶ。
それをメイドも察したのだろう。
「だ、大丈夫です! 大丈夫!」
慌てて言葉を割り込ませる。
「侍従長の命に別状はないそうです。もちろん、怪我はしましたけど」
「そ、そうですか」
「でも、やっぱりメンタルの方は心配ですので。しばらくは私がお側につかせていただきますね」
唇に指を添えて考える仕草から、両握り拳を顔の横へ持ってくる仕草。
あざといとか、状況に対して態度が軽いと思わなくもないが。
むしろ事態を鑑みて、数いる侍従のなかから明るい彼女が選ばれたのかもしれない。
天然パーマ気味のダークブラウンも、なんとなく雰囲気を補強する。
あるいはそんな仕草をするくらいには若いために、年長者たちから押し付けられたか。
カタリナやクロエより若く見える。
「でも、侍従長の絶対安静が解けたらお見舞いに行きましょうね。その方が侍従長も、皇后陛下も。お心の回復によろしいでしょうから」
「……そうだね! そうしよう!」
しかし、なかなか気はまわせるらしい。
年齢的に家庭の事情で仕方なく奉公しているのかもしれないが、才覚はあるようだ。
宮殿に入って皇族周りの仕事をさせられているだけのことはある。
「ところで、食欲はございますか? 昼食はご用意しているのですが」
「あらやだ、そんな時間!? 私、結構寝ていたのね」
クロエはベッドから飛び起きると、鏡台に乗り出して髪を整え、
「陛下に大見え切った手前、私がお昼を抜くわけにはいかないわ」
食堂へ急いだ。
「ところで、あなたのお名前はなんていうの?」
「はい、シャオメイ・アッカーマンと申します」
「シャオメイ? 年下だと思ってたけど、もしかして
「さぁて、ふふふ」
そんな会話をしながらダイニングへ入ると、
「あれ?」
「どうかなされましたか?」
「いえ、お料理が」
テーブルの上には料理が2食分用意されていた。
どちらもまったく手は付けられていない。
隣にいるシャオメイの分ということはないだろう。
皇族と同じメニューを食べられない、という階級社会以前に。
彼女ら使用人は、職業倫理や作法として主人と食卓を囲まない。
となると、向き合うように配置された膳につくべきは、
「アッカ……シャオメイと呼んでも?」
「なんなりと」
「じゃあメイメイ、今は何時?」
「あれっ?」
なんかおかしかった気はするが、そういうのは流すのが一流のメイド。
彼女は格式のために義務付けられた所作として、懐中時計を開く。
「13時19分でございますね」
「ということは」
クロエは廊下をチラリと見る。
「陛下はお昼を召し上がっていらっしゃらない?」
「どうでしょう」
シャオメイは備え付けられた内線を手に取る。
クラシックな回転ダイヤル式。
「もしもし、メイドのアッカーマンです。そちらに今、陛下付きの侍従の方はいらっしゃいますか?」
どうやら、使用人の詰め所に連絡しているようだ。
確認を取ってくれているようだ。
「はい、はい、そうですか。ありがとうございます」
彼女は受話器を置くと、クロエの方を振り返って首を左右へ。
「私室にてお籠りとのことです」
「まぁ!」
それは認められない。
あれだけ励まして、やっとクロワッサンを食べられたところである。
ゆっくり進んでいこうとは言ったが、あっさり後退されてもたまらない。
「
「あっ、はっ、えぇ……? はい」
どんどん悪化(?)していくあだ名に困惑する
「私は陛下のお部屋に向かいます! あなたはお料理を運んでくれる?」
「承知しました」
忙しいことである。
そのまま主人公は、来たばかりのダイニングを飛び出していく。
クロエがノーマンの部屋の前まで来ると、そこでは侍従たちが顔を突き合わせている。
どうしたものかと困惑していたのだろう。
「陛下は?」
「皇后陛下!」
彼女の姿を見ると、安心したように表情を綻ばせた。
「その、迂闊に話し掛けるとお荒れになりますので」
「まぁ! 苦労を掛けましたね。あとは私に任せて」
クロエがドアノブに手を掛けると、
「あぁ! 陛下より『誰も中に入るな!』と」
慌てて止められるが、彼女には通じない。
「大丈夫。私なら、大丈夫」
「皇后陛下! お料理お持ちしました!」
「よし!」
シャオメイもワゴンを押しながら到着したので作戦開始。
今ばかりは(さっきもそうだったが)ノーマンの気持ちは一旦無視。
二人は室内へ突入する。
「陛下!」
クロエが大声で乗り込むと、こちらもベッドの上。膨らんだシーツがビクリと震えた。
「そこか!」
もはや刺客か何か。
ズカズカとベッドに近付き、一気にシーツを捲り上げる。
「ひいっ!」
「陛下! 昼食をお持ちしました! たとえ少しであろうと、必ず口にしていただきますからね!」
「ちょっ、皇后陛下」
体を丸めるノーマンの肩をつかむ勢いに、シャオメイも驚くほど。
「立派な皇帝になると! 国を背負うと! そのために食べて戦うと! 決めたでしょう!」
そのまま強く揺さぶって、枕に埋もれた顔を無理矢理自身へ向かせると、
「メイメイ、お料理を! さぁ! 食べて戦いましょう!」
あっさりめのボンゴレビアンコを、フォークで巻き取り近付けるが、
「無駄なんだ」
「何が!」
「もう、戦っても無駄なんだ……!!」
その顔はくしゃりと歪んでいた。
「何故急にそんなことをおっしゃるのですか!」
クロエがなおも詰めると、彼はむずかるように首を振る。
「クロエが言うのは、この内戦に勝って、僕が皇帝を続ける前提だ!」
「それがなんだって……!」
「もうないんだよ! 僕らが勝つことなんてないんだよ!」
皇帝は彼女と目を合わせず、絞り出すように呟く。
「バーンズワース元帥は死んだんだから……!」
「あっ」
瞬間、クロエの手からフォークが落ちた。
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